2-2
生徒会室を後にして帰路に就いた奈保、彼女の後ろに無言で追従する和美、女子生徒二人との別れる時機を掴めずにそのまま付いてきてしまった細川の順に並んで、夕暮れに染まる通学路をトボトボ三人で歩いていた。
細川が、このファミレスの右に曲がれば近道だけど。俺こっちだから、とすら言いづらい雰囲気だな、と逡巡し出した時、ふいに和美が足を止めた。
細川も釣られるように歩みを止める。
「おい、奈保」
二人が足を止めたのに気付かず奈保がファミレスの前を通過しかけたタイミングで、和美は会話には大きいぐらいの声で話しかけた。
和美の声に奈保も足を止め、物憂げに振り向く。
しかし沈んでいたはずの表情には、すでに作った微笑みを浮かべていた。
「急にどうしたの、和美?」
「ちょっとツラ貸せや」
「はあ?」
突然に乱暴な言い方で誘われ、奈保は理解しがたげに眉を寄せた。
和美が顎をしゃくってファミレスを指し示す。
「話がしたい」
「別にここでもいいじゃない」
「いいから、ツラ貸せ」
繰り返し誘い、真剣な眼差しで奈保を捉える。
和美の視線に根負けしたように、奈保は仕方ないわねと誘いを受けた。
話しかけられもせず、かといってはっきりと爪弾きにされたわけでもない細川は、道端で対峙する女子生徒二人を、和美の赤髪越しに見ながら立ち往生する。
渋々という顔をして奈保がファミレスへ方向転換すると、和美が細川の存在を思い出したように振り返った。
「幸也。お前も来い」
「俺も?」
細川が間の抜けた返しをすると、何言ってんだよと和美が呆れる。
「当り前だろ。幸也も当事者なんだからな」
「そうか。そうだよな」
当事者なんだから、と言われて納得する。
申請のために名前を貸しただけとはいえ、関係者として扱われていることを知覚する。
「早くしろ、幸也」
いつの間にか奈保を伴ってファミレスの出入り口にまで移動していた和美が、顔だけを細川の方へ捻り焦れたように促す。
細川は頷き返し、二人の後に続いてファミレスの出入り口を潜った。
店内に入るなり、和美が街路側と隣接する窓際の隅のテーブル席を指さす。
奈保は頷くでもなく無言で和美が指さしたテーブルに向かった。
「行くぞ、幸也」
和美が告げ、細川の手首を掴んだ。
声も出せずに困惑する細川を引っ張り、和美はテーブル席へ歩いていく。
テーブル席の前まで来ると細川の腕を離し、先に窓側へ詰めてソファシートに腰かけていた奈保の真向かいに着座した。
細川に向かって自身の隣の位置を指さす。
「幸也。そこに座れ」
「……わかった」
細川は和美が自分を横に座らせる理由を察せられなかったが、何か意図があるのだと考えて言う通りの位置に腰を据えた。
和美が奈保に向き直って口を開く。
「どうすんだよ奈保。続けるのか?」
何が、とは言わずに尋ねた。
奈保が和美に視線を合わせる。
「諦めるわ」
「……ああ?」
回答が予想外だったのか、和美は驚きの声を上げた。
真面目くさった顔で奈保は続ける。
「メモリースポーツ部の創設は諦めるわ。条件が厳しすぎるもの」
「あたしの素行のことは気にしなくていい、部の創設が懸かってるなら直すからよ。あたしだってメモリースポーツ部を作りたいしな」
和美が奈保の心配を取り除こうとするように言った。
奈保は首を横に振る。
「私が厳しいって言ってるのは和美のことじゃないの」
「じゃあ、細川の方か?」
「そうよ。当り前じゃない」
言い切って、細川に目を向けた。
細川は何かを告げられるのかと緊張しながら、クラスメイトの視線を浴びた。
しかし奈保は何も告げぬまま、和美に顔を戻す。
「和美はさ、細川君まで私の欲に巻き込めって言うの?」
「そんなこと思ってないねぇけど……」
「だから、もう諦めましょう。もともと無理があったのよ、認知度の低いメモリースポーツを部活にしようっていうのが」
「けどよ、奈保は部活としてメモリースポーツやりたいんだろ?」
否定したい気持ちが籠ったような願う声で和美が問いかけた。
ほんのりと奈保は笑みを浮かべる。
「私の気持ちを尊重してくれてありがと和美。でも、諦めはついてるから」
「それでいいのかよ?」
「うん。いいの」
「……幸也!」
和美が唐突に名を叫んだ。
細川はビクリとしながら、問い返す目で和美に送る。
「な、なに?」
「お前の方からも奈保に言ってやれ。諦めるなって」
泣訴するような眼差しで和美が細川を見つめた。
不意に水を向けられて困る細川に、奈保が微笑みを向ける。
「和美の頼みは聞かないでね細川君。和美は昔から諦めが悪いだけだから」
「ええと……」
相反する女子生徒二人からの頼みに、細川はすぐに返事が出来なかった。
どちらの意見も間違っていないし、どちらの頼みにも応じる義理はない。
部員数確保のために名前を貸した、というだけの関係。
自分の一言で、一方の意思を蔑ろにしてしまうのは嫌だった。
細川はかろうじて語を継ぐ。
「俺には平田さんにも土屋さんにも賛成する資格はないよ」
「ああ?」
「そんなことは……」
「だって、俺は部に名前貸しただけだよ」
「チッ……」
「はあ……」
和美が舌打ちし、奈保は気抜けた顔になる。
「俺には荷が重すぎるよ」
そう呟きながら、細川の胸にふと疑問が生じた。
あれ? 二人に共通してあるものは、メモリースポーツを部活にしたいっていう思いなんじゃないか?
部活にしたいけど諦める。部活にしたいから諦めない。どちらにもメモリースポーツを部活として認可させたいという意思が隠れている。
どうして二人はメモリースポーツを部活にしたいんだろう?
どうして二人はメモリースポーツに魅かれているんだろう?
かつてカードゲームに心血を注いだ細川だからこそ、二人が部活にしたいと思うまでにメモリースポーツに魅了されている理由が気になった。
「二人に聞いていいかな?」
「ああ?」「何、細川君?」
細川が不意に問いを振ると、和美と奈保は虚を突かれた顔で同時に顔を振り向けた。
質問を待つ二人の顔を交互に見ながら、細川は問いかける。
「メモリースポーツって楽しい?」
質問を理解する間の後、和美と奈保は顔を見合わせた。
その瞬間だけで二人の答えが一致し、屈託のない笑顔で細川に向き直った。
「楽しいぜ」「楽しいわよ」
「なるほど」
二人の答えに、細川は頷いた。
楽しいと聞くと興味が湧く。
諦める諦めない、にかかわらず、メモリースポーツをやってみようかな、という気持ちになった。
「俺にも出来るかな?」
「間違いない」「もちろん」
訊かれると、和美と奈保は嬉しそうな笑顔で請け合う。
「出来るって言うなら挑戦してみようかな?」
ほのめかすように口にすると、奈保の表情が固まった。
伺う目で細川を見つめる。
「挑戦するって、細川君もしかして一分以内のタイムを目指す気?」
「あくまでそれは目標だよ。俺は純粋にメモリースポーツをやってみたいだけだ」
「だってよ、奈保。競技人口が増やせるチャンスじゃねーか?」
和美が尻馬に乗って言った。
そうだけど、と奈保は煮え切らない態度になる。
「結局、細川君を巻き込む形になっちゃうじゃない」
「幸也も奈保に諦めてほしくないんだよ」
「無理に私たちに付き合わなくていいよ。細川君は細川君のしたいことに時間を使ってよ」
奈保が細川に申し訳ない気持ちで遠慮した。
細川は真顔で言葉を返す。
「平田さん、俺は別に無理してない。俺のしてみたいことがメモリースポーツに決まっただけだ。ちょっと興味があって」
「それでも、いきなり一分以内を目標にするのは厳しいよ」
「達成できないならできないでもいいんだ。新しい趣味として触れてみたいっていう部活の創設とは関係ない話なんだ」
「幸也が趣味にしたいって言うなら、あたしは協力するぜ」
すでに乗り気になった和美が快活に笑った。
奈保が迷った目で細川と和美に目を配る。
「やっぱり、細川君がメモリースポーツをやるっていう向きで決まりなの?」
和美が頷く。
細川は頷きもせず、じっと奈保の言葉を待っている。
「はあ」
溜息を吐くと、奈保の中で躊躇いと遠慮が吹っ切れた。
細川に射殺すような真剣な目を向ける。
「ねえ、細川君?」
「な、何かな?」
急に鋭くなった奈保の雰囲気に、細川は後ずさりしたい気持ちで問い返した。
「やるからには本気だよ?」
「……ああ」
「一分以内、何があっても目指してもらうよ? 半端は許さないからね?」
「……もちろん」
凄みを増した奈保に気圧され、首を縦に振ってしまう。
恐いぞ奈保、と和美が窘めると、奈保の鋭さが潮のように引いていった。
口元を微笑の形にする。
「一分以内の記録を目指すと決まったなら、大会までの二週間よろしくね細川君」
「……あ、ああ。こちらこそ、よろしく」
自分でやってみたいと言い出したにも関わらず、細川は急展開に戸惑った。
「明日の放課後から図書室でレッスン始めるから、やり残したことがあるなら今日のうちに済ましておいてね」
「あ、ああ」
「それじゃあ、私は大会までのトレーニング日程と日課の練習メニューを考えたいから帰るね」
否応もなく告げると、奈保はバッグを提げ直しながら席を立ち、ファミレスから早足に出て行った。
テーブル席に残った細川が奈保の行動の早さに呆気にとられていると、彼の肩をトントンと和美が軽く叩いた。
細川が気付いて振り向くと、和美が苦笑する。
「奈保のやる気に火をつけちまったな」
「俺、どうなるのかな?」
もはや脅しに近かった奈保の問いかけに、細川は急に先行きが不安になった。
「大丈夫だ。奈保が無理なことを要求したら、あたしが止めてやるから」
「ありがとう。助かるよ」
メモリースポーツの競技者であり奈保の友人でもある和美の言葉に、細川は命綱のような心強さを感じた。
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