2-1

 細川がクラスメイトの奈保に誘われて土屋和美と顔を合わせた翌日の放課後。


 校舎二階の西日が射しこむ生徒会室の会長席で、生徒会長の呉本恵がハーフアップの髪の下にある顔に険しくさせて申請書に目を通していた。

 部員署名には三人の生徒の名が書かれている。

 呉本は申請書から目を離し、テーブル越しに立つ三人のうち真ん中の奈保に問いかける。


「平田さん」

「はい。なんでしょうか?」


 礼儀正しく奈保が応答した。

 奈保の左右には和美と細川が立ち、無言の視線を呉本に返している。

 メモリスポーツ部の新設を目指す三人は、部活認可の再申請をするために生徒会室に来ていた。

 呉本が七面倒そうな目で奈保を見る。


「以前も同じ内容で来られませんでした?」

「来ましたよ。突っぱねられましたけど」


 わざと皮肉げに返した。

 呉本は再び申請書に目を落とす。


「以前は平田さん一人でしたが、今日は署名に書かれている二人を連れて来たわけですか」

「はい。三人顔を出してくれないと部員が三名以上いる証明にならない、と会長が言ってらしたので」

「確かに言ったね。ほんとに連れてくるとは思わなかったけど」


 他人の苦労に呆れた顔になって言った。 

 奈保が緊張した面持ちで呉本を見つめる。


「三人揃っているので認可してくれませんか?」


 単刀直入に裁可を仰いだ。

 呉本の視線が上がり、奈保の熱意ある眼差しを受け止める。


「以前に平田さんが申請に来た後、メモリスポーツについて少し調べました」

「それで?」


 奈保が伺うような目になる。

 呉本は感心したように奈保に微笑みかけた。


「平田さんは実績があるみたいだね」

「はい。ということは?」


 認可する、という言葉を期待した。

 だが、呉本はわざとらしく申し訳なさげに返答する。


「平田さんの部活にしたいという気持ちは理解できましたが、認可はできません」

「は、どうしてですか?」


 期待が外れて、奈保が困惑気味に問い返す。

 呉本の目が奈保の左右に立つ和美と細川に向けられる。


「隣の二人がね、認可を下すには少し問題があるんだよ」

「和美と細川君ですか? どんな問題があるんですか?」


 奈保が反抗の顔つきで呉本に食ってかかった。

 呉本は和美に視線を定め、冷静に答弁する。


「土屋和美さんは素行が悪いでしょ。素行の悪い生徒を員数の少ない新設する部活に所属させれば、その部が不良の溜まり場になる可能性が出てきます。実際に悪い噂も生徒たちの耳に入ってきてます」


 無言で成り行きを聞いていた和美が苦々し気に顔を歪めた。

 友人の心中を慮り奈保が反論する。


「和美にだって実績があります。それに模試の成績だって会長より上ですよ」

「どうしてそう、苛立つ言い方するのかな?」


 怒りのシャープ印が呉本のこめかみに浮き出そうだった。

 奈保は真っすぐに呉本の視線を見返す。

 呉本は大きく息を吐いて怒りを鎮めてから言葉を継ぐ。


「成績の良い悪いはこの際は関係ありません。とにかく素行が悪いことが問題なんです」

「……和美は人殴ったりとかしてません」

「髪の毛のことは千差万別だし、私も模範的な髪型ではないからとやかく言わないけど。授業を無断でサボるのはさすがに良くない」

「……」


 呉本のもっともな言論に、奈保は返す言葉がなかった。

 問題生徒の扱いをされた当の和美も、ただ憂鬱そうな目を床に落としている。


「細川君の問題はね」


 奈保のだんまりを気にする風もなく、呉本は細川の方に複雑そうな目を向けて話を続ける。


「特に悪い噂は聞いてないけど、何も実績がないからね。どうも信用できない」

「生徒会長。俺は……」

「細川君は初心者だから実績がないんです」


 何かしら言い返そうと細川が口を開くと、それより早く奈保が弁解した。

 しかし、呉本の目からは疑いが消えない。


「平田さんと土屋さんに弱みを握られて署名だけした、という可能性もあり得るから」


 言ってから、呉本は奈保に猜疑の視線を移した。


「……ええと」


 的を掠る呉本の指摘に、奈保は必死に弁明を考えた。

 名前の貸与が細川の善意だと思っているとはいえ、弱みを握っていないという証明をする術もなかった。実際、細川のひけらかしたくない過去を知っている。

 呉本は静かに奈保の返答を待った。

 生徒会室に沈黙が降りる。


「俺は弱みなんて握られてませんよ」


 この場にいる唯一人の男子生徒である細川が、不意に沈黙を破った。

 奈保、和美、呉本の視線が細川に向く。

 細川は嘘だと窺え得ない真面目な眼差しを呉本に送る。


「俺は初心者です。平田さんや和美さんに教えてもらいながら始めるつもりなんです」

「……ふむ」


 呉本は細川の目を見返し、顎に手を遣って思案した。

 しばらくして顎から手を離す。


「そうかい。一応、細川君の言葉を信じることにするよ」


 細川の眼差しに負けたように、呉本が納得を示した。

 名前を貸しただけでない、と信じ込ませることができ、細川は首の皮一枚繋がった思いで胸を撫でおろす。


「細川君?」


 奈保が気遣いの目で細川を振り向いていた。

 細川が問い返す視線を向けると、奈保は大丈夫そうだと安心して微かに首を横に振り呉本に顔を戻した。


「生徒会長?」

「何かな?」

「部活の新設に問題があるのはわかりました。では、どうすれば認可してくれますか?」

「そうだねぇ」


 思い浮かぶ問題点を頭の中でまとめているかのような数秒を経てから、呉本が右手の人差し指と中指を立てる。


「認可する条件は二つ」

「なんですか?」

「まず一つは、土屋さんがきちんと授業に出ること。授業に出るだけでも教師陣の評価は改善されると思う」


 和美は厄介そうに眉根を顰めた。

 友人に心中で詫びながら奈保が問いを重ねる。


「わかりました。もう一つは?」

「部員全員が実績を持つこと。特に細川君だね」


 細川はドキリと身を強張らせた。

 クラスメイトの緊張を察しながら奈保は呉本に尋ねる。


「実績って、具体的にどれくらいですか?」

「私はメモリースポーツをやったことないからなぁ」


 奈保の質問に、呉本が目線を天井へ上げて思考を巡らした。

 二回瞬きする間があってから、妙案を閃いて奈保に目線を戻す。


「平田さん、次の大会はいつかな?」

「次の大会ですか。小さいので言えば、三週間後にトランプ記憶の大会がありますけど、それがどうしたんですか?」

「トランプ記憶って、平田さんが大会の動画で三〇秒ぐらいの記録出してたものだよね?」

「はい。そうですけど……」


 答えてから、奈保はしくじったと思った。

 競技に慣れた自身の最速記録が、呉本の中で基準になってしまうのではないか。

 呉本の次の言葉を恐れながら、じっと返事を待つ。


「平田さんが三〇秒なら、細川君は一分だね。細川君が大会で一分以内の記録を出すことができたら申請書を認可してあげよう」


 妥当だよね、という顔で呉本が提言した。

 無理難題ではないとわかった細川は、強張っていた身がほっとしたように少しだけ緩む。

 しかしメモリースポーツの難易度をよく知る奈保は、心の中で頭を抱えたい失望感に襲われてしまい表情が苦み走った。

 もう一人メモリースポーツを知る和美は、ちょっと驚いて小さく目を見開いただけで、ある程度予測できていたような素振りだ。


「厳しいかい?」


 奈保の苦い表情を見て呉本が訊いた。


「三週間で一分以内は相当に厳しいですよ」

「そうなのかい、厳しいか」


 訴える奈保の言葉に、呉本は頭の中で譲歩を検討する。

 だが、条件を甘くし過ぎるのも考え物だよね、と思い直して奈保に微笑みかけた。


「厳しいみたいだけど、わずか三人の部員で一人は授業サボり魔が所属する部活を認可するんだ。実績だけでも誇れるところを見せてくれ」

「じゃあ、一分以内ですか?」

「そうだよ。頑張ってね」

「……わかりました」


 奈保は誠意の希薄な呉本の励ましを受けて、失意を感じながら背を向ける。

 項垂れて生徒会室の出入り口へ歩き出す奈保に、和美と細川はそれぞれ質の違う憂いの目を注ぎながら後ろを着いていった。


「ふう、帰ったか」


 部活新設の申請に来た三人が辞去の言葉も無しに生徒会室から去ると、呉本が悩ましげに眉間に皺を寄せた。

 悪い噂のある土屋和美、土屋の友人で部活の新設に熱心な平田奈保、そして噂すら聞いたこともない平田奈保のクラスメイト細川幸也。


 三人の関係性が不透明で、人畜無害な生徒である細川が和美と奈保に弱みを握られているのでは、と想像し細川の身が少し心配になった。

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