1-1

 学校終わりですでに夕方の時間帯だが、初夏のせいか日没までは遠い。


「ああ、今日もやりたことがない」


 まだ日の高い中、細川は一人自宅へと街路を歩いていた。

 細川は部活動に所属していない。そして趣味もない。


 なので、彼にとって放課後は、面白い物を見つける時間だった。

 中学生まではそれなりに熱を入れていた物もあったが、高校進学とともに身を引いて今では無趣味になっている。


 趣味に出来るものがあれば、と細川は周りが興味を示すことを試してはみたが、音楽も、映画も、漫画も、アニメも、アウトドアも、熱意は灯らなかった。


 新しい趣味はないかと細川が頭を捻りながら歩いていると、道の端に登下校でいつも通りすぎるコンビニが目に入る。


 そういえば、のど飴を切らしてた。


 ふと細川は思い出し、コンビニに足を向ける。

 のど飴だけは小学生のころから変わらず彼の好物だった。

 店内に入ると、冷房で満たされた空気が細川の身体を包む。


「寒いぐらいに涼しいな」


 突然のヒヤッとした感じに意味もなく呟いてしまう。

 夕方の店内は空いており、客はレジの前に初老の主婦一人。レジにも女子大生らしい若い女性が一人だけでつまらなさそうに立っている。


 主婦とレジの女子大生が、ちらりと細川の方を窺う。が、すぐに視線は元の位置に戻る。

 細川の方も主婦と女子大生に興味はなく、菓子類の商品が並んだ列に向かう。


 のど飴のコーナーには三種類あった。 

 とりどりのフルーツのど飴、丹切のど飴、レモンのど飴。


「ううむ」


 細川は迷った。

 週一で一袋を食べ切るので、全種類買う必要はなかった。

 先週はレモンのど飴で、今週は丹切のど飴だった。

 ローテーションで言えばフルールのど飴を買うべきなのだが、丹切のど飴のパッケージに想定外の内容が印刷されていた。


 期間限定 二個増量!


「二個かぁ」


 ローテーションを守れば楽なのだが、細川の食指はフルーツのど飴の袋に伸びずに顎に向かった。

 二個増量! の文字が魅力的で、どうしても踏ん切りがつかない。


「……どうしよう?」


 フルーツか、二個増量の丹切か。

 顎に手を添えたまま、フルーツのど飴と丹切のど飴の間で視線を行き来させる。


「よし、こっちだ」


 細川は決断し、丹切のど飴の袋へ手を伸ばしかけたところで、コンビニの入り口から彼のところへ一人の少女が一目散に歩み寄ってきた。


「ここにいたんだね、細川君」


 自分の苗字を呼ぶ声に、細川は声の方へ動きを止めて振り向いた。

 細川の通う高校の制服を着た女子生徒が立っていた。

 

 肩まである黒髪に、標準的なデザインのスクールバッグ。

 女子生徒のほっとした目が細川を見つめている。


「細川君だよね?」


 女子生徒が確認するように訊いた。

 細川は女子生徒の相貌を眺める。整った顔立ちをしていて、美少女の類に入るのかもしれなかったが、生憎と細川は名前が出てこなかった。


「誰ですか?」

「同じクラスなんだけどな。私の顔に見覚えない?」


 少し落ち込みながらも、女子生徒は人差し指を自身の顔に向けた。

 細川は改めて女子生徒を詳しく見た。

 名前は出てこない。しかし顔だけなら見たことある気がした。


「ごめん、名前だけが思い出せない」

「名前だけってことは、顔は覚えてるの?」

「ああ。そういえば同じクラスだな」

「それだけ?」

「……それだけって、どういうことだよ?」


 女子生徒の求めている回答がわからなかった。

 じっーと細川は女子生徒の顔を凝視する。

 記憶が蘇ることはなかった。


「やっぱり、同じクラスってこと以外知らないんだが」

「図書室で会ったでしょ」

「図書室?」

「そう。私がトランプしてるところ見たでしょ?」

「トランプ? ああ、あの時か」


 ようやく合点がいった。

 細川が『雪国』を貸し出した日、図書室のテーブルでトランプをしていた女子生徒。


「それで、トランプの人が俺に何の用だよ」

「私、トランプの人じゃないよ。ちゃんと名前あるよ」


 ちょっと悲しそうに文句をつけた。

 しかしなぁ、と細川は困った顔になる。


「俺。肝心の名前が思い出せないんだけど」

「同じクラスなのに?」


 細川は頷いた。

 女子生徒がはあ、とため息を吐く。


「他人に関心ないんだろうな、とは思ってたけど。ほんとうに名前を知らないとは、なんかちょっとショック」

「ごめん。覚えるから教えてくれ」

「うん、わかった」


 仕方ないと言いたげに了承して、女子生徒は微笑みを向けた。


「平田奈保って言います」

「平田さん、初めまして。細川幸也です」

「同じクラスだから初めましてじゃないよ。それに細川君の方が一方的に私の名前を知らないだけじゃん」

「あれ、違った?」

「まあ、いいや」


 どうでもいい、という顔で奈保が破顔した。

 細川は丹切のど飴の袋をラックから取る。


「それで、俺に何か用でもあるの?」

「用がないと話しかけちゃダメなの?」

「もちろん」

「そこで、もちろんって言っちゃんだね。普通そこは、そんなことはないけど、みたいなこと言うんじゃないの?」

「用もないのに話しかけられても困るじゃん。自ら寄ってくるのは悪徳業者がほとんどだから」

「私を悪徳業者と同じにしないでよ。細川くんって絶対友達いないよね?」


 痛いところを突くつもりで奈保は言った。

 しかし細川は真顔で答える。


「いないよ」

「俺にだって友達ぐらいいるし、とか言えないの?」

「だって本当のことだし。見栄張るのも嫌いだから」

「正直者なんだね」


 面倒そうな細川の性格を一言で片づけた。

 細川は肯定も否定もせず、黙って奈保の次の言葉を待った。

 奈保の表情に生真面目さが戻る。


「それでね、細川君」

「なに?」

「大事な話があるの」

「……俺じゃないと駄目なのか」


 さほど重要事ではない口調で細川は伺う。

 奈保はのど飴の列を見た。


「細川君。のど飴よく食べるの?」

「まあ。舐めてると落ち着くからな」

「のど飴全種類奢るから、話聞いてよ」


 細川は心外だ、という顔になる。


「奢られなくても話ぐらい聞くよ。でも、話はのど飴買ってからでもいい?」

「うん、いいよ」


 それじゃ先に外いるから、と奈保は告げてからコンビニの出入り口へ踵を返した。


 何を考えてるんだ平田さんは?


 細川は疑る視線を奈保の後ろ姿に投げ、丹切のど飴の袋を持ってレジに向かった。

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