第38話 お留守番したら
「お邪魔しまーす……」
亜姫はキョロキョロしながら靴を揃えて上がる。
和泉の家に来るのは二度目。
前回は悩みがあってそれどころではなかったし、ちゃんとお邪魔するのは今日が初めてという気分だ。
これまで男の子の家に上がったことはなく、興味津々にリビングを眺める。
和泉はそんな亜姫に笑った。
「何してんの、一度見てるだろ?」
「うん。でも、この間はおっぱいのことで余裕がなかったから…」
大きくて綺麗な家だ。
和泉は年の離れた兄と二人暮らし。でも、家は綺麗でむしろピカピカと言ってもいい。台所で動く和泉もなんだか手慣れている。
「一通りの家事は出来るよ、冬夜から厳しく仕込まれたから」
和泉は、兄の冬夜と分担しながら日常的に家事をこなしていると言う。
「メシだけは滅多にやらないけど、簡単なものだったら作れる」
「へぇー意外!和泉、何にもやらなそうに見えるのに」
「ハハッ、だろーな。外では何もやらないし、出来るって言ったこともないから。
でも、冬夜がいなかったらホントに何もしないまま育ってたと思う」
そう言って和泉は笑う。
「家のこと、まともに話したのは初めて。亜姫は?料理すんの?」
「うん。私は一人っ子だし親が共働きで忙しいから。
私、これでも家事は得意なんだよ!でも裁縫だけは、好きだけど下手なんだよねぇ…」
「あー…裁縫に手こずってる感じ、ちょっと想像できるかも」
「あ、わかっちゃった?やっぱり、雑だからダメなのかなぁ。ハンドメイドのサイトとか見るのは好きで、いつかああいうの作りたいとは思ってるんだけど…」
家事の話をしながら、ニ階にある和泉の部屋へと向かう。
前回はリビングで過ごしたので、和泉の部屋を見るのは初めてだ。
そこは綺麗に片付いていた。モノトーンで揃えられた、シンプルな部屋。
亜姫がキョロキョロ見回していると、和泉の携帯が鳴った。
「…え?今?……わかったわかった、行くよ」
電話に出た和泉が面倒くさそうに返事をする。
「ゴメン、冬夜から。仕事で使う大事な書類を忘れたから届けてほしいって」
「えっ、大変!じゃあ私、今日は帰るよ」
「いや、近くまで来るらしいからこのまま待ってて。部屋のもの、適当に見てて構わないから」
そう言って、和泉は家を出て行った。
余所様の家に一人でいるのはなんだか居心地が悪い。所在無げに室内を見渡すと、本棚に中学校のアルバムを見つけた。亜姫はそれを手に取り、ベッドへ戻る。
パラパラとめくっていくと、学ランを着た和泉を見つけた。
今よりも随分幼い。今は男っぽさが強い印象だけど、コレはなんだか可愛いな……。
気がつけば、亜姫は夢中でアルバムをめくっていた。
◇
冬夜がなかなか来ず、帰宅が遅れた和泉は急ぎ足で部屋に入る。と、亜姫は寝ていた。アルバムを開いたまま、ベッドで横になって。
どうやら、見ながら寝落ちしたようだ。
近づいて声をかけたが、規則正しい寝息だけが返ってきた。
ホントに、よく寝るな。
和泉はクスリと笑う。
亜姫を軽々と抱き上げると、布団の奥に寝かせて布団をかけてやった。
自分の布団で、なんとも無防備に眠る亜姫。
その寝顔を眺めていたら、なんだか無性に触れたくなった。
同意なしには…。そう思ったが、この状況に気持ちが昂ぶっていたのかもしれない。普段なら我慢できるのに、自然と手が伸びた。
ちょっとだけ…そう思っていたハズなのに。
ゆっくり、そっと。壊れ物を触るように頭を撫で、頬に指を滑らせていく。と、不意に亜姫が身動ぎしして、思わずその手を止める。
その時、和泉の手は頬に添えられていた。
すると、寝ている筈の亜姫が。
猫が甘えてすり寄るみたいにその手に頬を擦り寄せ、気持ち良さそうにほんのり微笑んだ。
和泉の心臓が、一瞬高い音を立てた。
それは理性へ鍵を…かけた音、だったのだろうか。
和泉は亜姫の顔に手を添え、額に軽いキスを落とす。そして、ゆっくりと唇を重ねた。
さらに、角度を変えてもう一度。
「ん……」
亜姫の声が聞こえて、和泉はハッとする。
瞬間的に理性を引き出し、「亜姫?起きた…?」と優しく声をかける。
すると、亜姫がおもむろに両手を伸ばした。
「……いずみ………ギュー……」
亜姫の口から小さな呟きが漏れる。
和泉は一瞬息を飲んだが、ゆっくりとその体を抱き起こした。優しく抱き込み、小さな子をあやすようにポンポンと背中を叩いてみる。
束の間そうしていると、亜姫が甘えるように呟いた。
「和泉の手…いつでも気持ちいー……」
全身を包む温もりに安心したのか、亜姫はホウッと息を吐いて和泉にもたれかかった。
「……亜姫?」
ふいに力が抜けて重みが増し、亜姫の体が沈み込んだ。
「寝ぼけてたのか………」
和泉は溜息をついた。
だが、今に限っては助かった。
あの時、あの声で我に返らなかったらヤバかった。自分の理性を必死で手繰り寄せ、何とか踏みとどまれたが。
なんだよ、あの行動。ギュー、とか気持ちいいとか……。
「何の拷問だ、これ…。俺、我慢しきれるかな……」
腕の中で気持ち良さそうに眠る亜姫を見ながら、和泉はまた深い溜息をついた。
亜姫は自分が何をしたかなど、勿論わかってないだろう。そして、それが和泉の理性をどれだけ揺さぶるかも知らないだろう。
「無自覚に煽ってくんの、マジできついんだけど。誰だよ、亜姫に色気ないっつったの……」
少しして目覚めた亜姫は、当たり前だがいつも通りで。
和泉が色んなモノと闘っていることなど微塵も気づかず、「楽しかった!またお邪魔するね!」と帰って行った。
その晩、和泉がモヤモヤと闘い続ける羽目になったのは、間違いなく亜姫のせいである。
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