第31話 初めてのこと(1)

 学校は、二人の噂で持ちきりだった。とにかく、あること無いこと至る所で話題になる。

 

 亜姫も密かに人気があったので、落胆する男子の数はかなりのものだった。本人は全く気づいていなかったが。

 

 亜姫に対する不穏な感情も多かったが、麗華達がうまく立ち回っていた。

 琴音が先回りしてある程度の情報を広めてくれたことも大きい。

 

 

 手つなぎ登校の日、琴音は文字通りすっ飛んできた。

 

 一体何が起きたのか聞き始めたところで、和泉が横から割り込み亜姫を抱き寄せる。

 「俺が惚れてて、告白した。それ以外は秘密。亜姫も、言うなよ?」 

 真っ赤になって離れたがる亜姫を捕まえたまま、和泉は琴音にも笑いかけた。

 

 和泉が笑顔で自ら話しかけるという、有り得ない姿を目にした琴音は舞い上がった。そんな彼女に、和泉はその話をどんどん広めてくれと依頼する。

 

 亜姫は誰が相手だろうが単純に靡くことはない。

 流されて簡単に付き合うような子でもない。

 それを知っている琴音は、亜姫がちゃんと考えた末に和泉を選んだこと、そしてそんな亜姫を守る為に和泉がこう発言したのだと理解した。これなら、亜姫ではなく和泉の発言に目を向けられるから。

 広めたところで気休めにしかならないだろう。だが、琴音はその願いを快諾した。

 

 和泉といても亜姫は変わらなかった。和泉のどこを好きになったのか?という問いにも、

 「一緒にいると楽しい。あと、なんだかすごく安心する。なんでだろう?和泉が大きいからかな?」

 と、いつもの笑顔で即答する。

 そこに、色気やときめく様子は皆無だった。

 

 亜姫はやはり亜姫だったと琴音は呆れたが「そんな亜姫だからイイ」と笑う和泉に好感を持ち、亜姫への被害が少なくなるようにうまく情報を流してくれた。

 

 何より、和泉がベタ惚れの様相を惜しげも無く曝け出していた為、大きな揉め事は起こらなかった。

 

 

 そんなある日の放課後。

 

 皆で出かけることになっていて、亜姫と和泉は三人を教室で待っていた。

 暇を持て余していた亜姫は、窓から校庭を眺めていた。体育祭が近づいているこの時期は、準備や練習で賑やか。その光景を見ているだけでなんだか楽しい。

 

 「なに見てんの?」

 

 突然、温かい空気に包まれた。

 和泉が背後に立ち、亜姫の見ていた方を覗きこんだのだ。

 

 「…運動会の、練習」

 距離の近さに動揺して声が上擦った。和泉にも気づかれてしまったようだ。 

 亜姫は顔を上げることが出来ず、俯きがちに外を眺めるフリをした。

 

 和泉がクスッと笑う。するとその吐息が微かに首へ当たり、じわじわと熱を帯び始めた。

 

 そこにかかる髪を、和泉がそっとよけていく。そのままゆっくり顔を寄せて、小声で囁いた。

 「亜姫、もしかして緊張してる……?首、赤くなってるよ?」

 

 「やっ……」

 亜姫は咄嗟に首を手で隠す。そこでからかわれたと気づき、振り向きざま和泉を睨みつけた。

 ……ハズなのに。目前に和泉がいて、その近さに動揺する。

 

 「ハハッ。亜姫、後ろに立たれるの弱いんだろ?倉庫でも、いつも真っ赤だったもんな」

 揶揄うように笑った和泉は、亜姫の頭にチュッとキスを落とした。

 

 

 付き合うことになったあの日以来、和泉がこんなに近づくのは初めてだ。

 

 動揺しまくる姿を和泉が面白そうに見つめ、ゆっくり指を伸ばした。 

 首筋にかかる髪を、そっと肩の奥へと流していく。

 奥まで進めたその手を後頭部へ添え、和泉は亜姫のこめかみへ優しく唇を当てた。

 

 「やっ、ここ…教室……ひひ、人…が、く、くく来るから……」

 「誰も来ないよ。ヒロ達も、まだ時間かかるし」

 「で、でもヤダ…や、ち、ちょっと……ち、ちちち近いってばぁぁ………」

 

 亜姫はガチガチに固まって不自然な動きをしている。和泉はクスクス笑いながら、そばにあったカーテンを引いた。

 シャッ!と大きな音がして、亜姫の視界が和泉とカーテンで満たされる。

 「これで、見えない」 

 「外、から…見え、ちゃう……」 

 「端だから、見えない。この時間だと影になるから尚更」

 今度は頬にそっと唇を落とした。

 

 和泉の唇が触れるたび、亜姫の全身に痺れが広がっていく。心臓がものすごい音を立てて、今にも飛び出しそうだ。

 亜姫はどうしたらいいかわからず、ギュッと目を瞑る。

 和泉の唇は場所を変えながらゆっくり移動した。

 そして鼻と鼻が擦り合わされたあと、とうとう亜姫の唇に重なった。

 

 小さな音を立てて、一瞬で離れた温もり。

 と思ったら少し位置をずらし、再び重なる。

 ゆっくり味わうように重なったソレは、やはりゆっくりと離れていった。

 

 フワフワした感覚が体中に広がり、亜姫の思考が停止した。

 ボンヤリしながら目を開けると、視界いっぱいに和泉の瞳が映る。

 強い色気を纏う瞳。見つめられている。

 そう感じた瞬間、亜姫の頭は真っ白になった。同時に、羞恥心と恐怖と不安が吹き溢れそうな勢いで湧き上がってくる。

 そんな中、和泉がまた近づいてきて………。

 

 「やっ………!」

 気がついたら、和泉を突き飛ばしていた。

 

 驚きを見せた和泉の瞳は熱っぽさを保っていて、その視線に亜姫は限界を迎えた。

 

 「で、出来ない……出来ないぃぃぃっ!」

 「亜姫…?」

 「だって…だってセックス!……むむむむムリだからっ!」 

 「セッ……!?」

 和泉が目を見開いて固まった。

 だが、赤く染まった亜姫は止まらない。眉をヘニャリと下げ、涙目で叫ぶ。

 「だだだだって絶倫でヤりまくるですぐ学校のセックスだもん!!わわ…わ私まだおっぱ…おっぱい……!!プルプルが、まだ…だか、だから……はみ出たりムリなんだからっ!こ……こここっ声だって練習!しっ、してないし…せめてムニュって掴んでなのっ!」 

 「ちょっ…待って亜姫、何言っ、えっ、ぜつ…おっぱ……?」

 支離滅裂な言語に和泉が混乱を極めるが、それを遥かに上回る亜姫は更に意味不明な事を喚き散らした。

 

 「……とっ、とにかくっ!ででででっ出来ないからっ!やややっぱり付き合うなんてムッ…ムリ!かかかかっ、か、帰るぅぅっ!」

 

 亜姫はパニックで半ベソをかき、ダッシュで逃げ出そうとした。

 それを和泉が慌てて止める。

 

 抱き止めるように腰に絡まる、逞しい腕。

 亜姫はそれにますます混乱し、振りほどこうとして床に倒れ込む。 

 つられて一緒に座り込んだ和泉が、どうにか亜姫を抱え込み腕の中に抱きしめた。

 

 「落ち着け、亜姫。何もしない、しないから。

 大丈夫だから。まず落ち着こ?」

 腕の中で藻掻き続ける亜姫。和泉は子供を宥めるようにその背をポンポンと叩いた。

 

 

 

  

 ◇

 亜姫を宥めながら、和泉は思い返していた。

 

 ──パワーワード出すぎなんだけど。俺の理性吹っ飛ばす気か。そもそも、なんでいきなりセックス?

 あれは、俺の過去の話……?誰かの入れ知恵?なにか勘違いしてる?とにかく話を聞かないと

 

 と、腕にガクンと重み。そう言えば、亜姫が大人しい。

 名前を呼びながら顔を覗き込むと、目を閉じてスウスウと規則正しい呼吸。力の抜けた体。

 

 「寝てる………」

 

 えっ?寝てる?

 今?この状況で?

 マジかよ…なんなんだ一体?

 

 和泉は混乱したが、冷静になるにつれ可笑しくなってきた。噴き出しそうになるのを我慢すると体が震え、亜姫の体が沈みこむ。それをそっと横抱きにして、膝の上に抱え直した。

 あどけない寝顔の亜姫は和泉にもたれかかり、気持ち良さそうにすり寄るとそのまま深い眠りについた。

 

 

 

 ◇

 「おっまたせー!」と軽いノリで入ってきたヒロが、和泉を見て気まずそうに固まる。

 おかしな格好でフリーズしたヒロを見て、和泉は笑ってしまった。

 「お前が思ってるようなことはしてねーよ?」


 すると、ヒロ達は亜姫を覗き込み……。 

 「え、寝てんの?」

 「そう」

 「なんでこんな体勢?」

 「キスして、喚いて、泣いて、逃げて、寝た」

 「は?どーゆーこと?」

 「セックス、絶倫、ヤりまくり、おっぱい。他にも色々」

 「はぁ?なんだソレ?」

 「突然パワーワード連発。暴れた挙げ句気づいたら寝てたから、俺にもサッパリわからない」

 「えーと……?お前の言ってる事、全く理解出来ないんだけど」

 「奇遇だな、俺もだよ」

 口を開けたまま固まるヒロ達に、和泉は笑う。

 

 「いったい、何をしたの?まさか無理やり襲ったんじゃないでしょうね?」

 麗華の言葉に、和泉はこれまた笑った。

 「そんなことするわけねーだろ。ちゃんと亜姫の様子見ながら、ほんのちょっと触れただけ」

 「え?それだけ!?」

 「そう。額にほんの一瞬したことは、一度だけあったんだけど。

 口にしたのは初めてだけど、でもホントに軽く触れた程度だよ」

 

 すると、麗華が納得したように頷いた。

 「琴音が和泉の追っかけだったでしょ。だから、話をやたら聞かされてたのよ」

 そして、聞いてた話を三人にする。

 

 「初めてのことに混乱して変な想像をしちゃったのよ。和泉がシてたとこを突然思い出したりしんじゃない?この子、いきなり思考がぶっ飛ぶから。

 しかも想像の斜め上をいくから、予測不能なの」

 

 麗華は呆れた顔で亜姫を見る。

 

 「寝ちゃうとしばらく起きないのよね…。

 でも、ちょうどいいわ。和泉と話したかったから」

 麗華は和泉に向き直った。

 

 「亜姫は恋愛経験がない。それ以前に男女絡みの知識も免疫も無いから。

 だから、亜姫に変なことはしないで。まさか、今までの女と同じ扱いなんて…しないわよね?」

 「しないよ」

 「信用できない」

 「大丈夫。できないから」

 「どういう意味?」

 

 麗華が眉をひそめる。すると、和泉は苦笑した。

 

 「好きすぎて手が出せない。

 俺、亜姫の前じゃ余裕ぶったんだけど…さっきのキスだけでいっぱいいっぱい。なのに亜姫の口からあんな言葉が出まくるから……頭ん中、真っ白」

 

 「和泉、それ本気で言ってる?」

 戸塚が呆れたように聞く。

 

 「マジで。それに、俺が触れたら汚しちゃいそうだし…怖くて気軽に触れねぇよ。

 亜姫、いつもいい匂いするし…よく分かんねぇけど、そばにいるだけで心地良くて。あんなガキみたいなキスだけで舞い上がってる」

 「それだけ聞いてると、逆に心配だわ。死ぬほど女食い散らかしてきた男が、処女の見本みたいな子相手に何言ってんだか……」

 麗華も呆れた声で言い、ヒロ達が同意して笑う。

 

 「絶対手に入らないと思ってた子が目の前にいて…まだ夢見心地なんだよ、俺。

 相手してきたヤツらと同じだなんて思われたくない。亜姫にだけは誤解されたくない。

 だから、悲しませたり怖がらせたりするようなことは絶対しない。

 つっても、今すぐ信用してもらうのは無理だよな。まぁ、なんかあれば今みたいに何でも言って」 

 和泉は柔らかく微笑むと、亜姫を愛おしそうに見つめた。

 

 その様子を眺めていた麗華が、ポツリと呟く。 

 「ホントは。信用、してる」

 

 和泉は不思議そうに麗華を見上げる。

 

 「亜姫が、アンタの腕の中で眠ってるから。

 亜姫はね、いつでも馬鹿みたいに笑ってるし深く悩んだりなんてしない子だけど…でも、何も考えてないわけじゃない。

 人のことばっかり考えてるのはわかるでしょ?人懐っこい子だけど…人に甘えられないの。たとえ何かあっても、全部隠して我慢しちゃう。自分が人の負担になるようなことをしたがらない。

 意外でしょ?私以外に知ってる人はいない。ずっとそばにいる私にだって、滅多に甘えてこない。

 でも、そんな亜姫がこんなに熟睡しちゃうほど和泉に身を預けてる。

 この子が感情的に泣いたり怒ったりなんて、これまで無かったわよ。和泉の時だけ。人前でこんな無防備に甘えるのも初めて見た。

 アンタをそこまで信頼しきってるってことに、正直私も驚いてる」

 

 だから、亜姫が我慢しないように二人でよく話して。和泉が聞けば、亜姫は素直に話すと思う。

 

 麗華はそう言った。

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