第30話 新しい朝

 翌朝。

 

 ヒロと戸塚が、改札口の端に立つ和泉を見つけて声をかけた。

 「あれ、和泉?早くね?何してんだよこんなとこで」

 「おはよ。……ちょっとな」

 いつもと変わらず、携帯を見ながら適当に返事をする和泉。

 

 行かねーの?と聞く声に彼が曖昧な返事をしていると、

 「あ、亜姫」

 戸塚が改札口の中に向かって手をあげた。

 

 気づいた亜姫が小走りで駆け寄ってくる。

 そして二人に挨拶を済ませたあと、ゆっくりと和泉を見た。

 「和泉………おはよ」

 亜姫は少し顔を赤らめて恥ずかしそうだ。それを見て、挨拶を返す和泉の顔が綻ぶ。

 

 見たことのない光景に、ヒロと戸塚がポカンと口を開けた。

 

 「え…?ちょっと待って、ナニお前らのその感じ……?」

 呆然としながらヒロが呟くが、和泉はそれを無視して亜姫の前に手を差し出した。

 「亜姫。ほら」

 

 意味がわからず、亜姫は首をかしげる。

 

 「ちょ、待て、和泉、おい………」

 ヒロ達が混乱しているのを更に無視して、和泉は亜姫の手を取った。

 「……え?」

 ボフンと真っ赤に染まる亜姫。

 和泉は自分の指を絡めながら、その手を引いて歩き出そうとする。

 その肩を、ヒロがガシッと掴んで止めた。

 「待て待て待て待て待て!まず説明しろ!なんでっ!?いつ!?」

 「起きたら夢、ってオチかも。って思ってた。……夢じゃなかったわ」

 和泉はそう言って嬉しそうに笑い、今度こそ亜姫の手を引いて歩き出した。

 

 普段見ることのない時間に和泉が現れた。それだけでざわめいていた駅が、手を繋ぐ姿と突然見せた笑顔でパニックに陥る。

 

 和泉はそんな周囲を気にすること無く、蕩けそうな笑顔を亜姫に向け嬉々としている。

 その後ろを歩くヒロ達は、収拾がつかなそうな状況に早くもウンザリしていた。

 

 なにせ、あの和泉が突然全てをひっくり返したのだ。その衝撃たるや、凄まじかった。

 だが和泉はそんな周囲に目もくれず、亜姫に話しかけては嬉しそうに笑う。

 

 反対に、亜姫はひどく居心地が悪かった。

 そもそも注目される事がない。その上、和泉もなんだか甘い空気を醸し出してくる。慣れないことばかりでどうしたらいいかわからず、亜姫は羞恥心に埋もれてしまいそうだった。

 そこへ、剣呑さを隠そうともしない数多の視線が刺さる。普段周りを気にしない亜姫でも、さすがに異様な空気を感じ取った。

 進むにつれ様々な言葉が耳に入り、居たたまれない気持ちになってくる。


 状況に耐えられず、亜姫は手を離そうとする。すると和泉が強く握りしめてきて、その手はちっとも離れない。

 焦りながら小声で「離して」と頼むも、そんな様子すらも面白がる和泉。

 いっぱいいっぱいになった亜姫は和泉に怒るが、やはり離れることはなく。

 亜姫はとにかく逃げ出したくてたまらなかった。

 

 「もう!離してってば!」

 和泉に怒鳴りながら、繋がった手をブンブン振って解こうとする。けれど和泉は楽しそうに声を上げて笑うだけだ。

 

 それを見た周りの子達は、更に悲鳴や驚愕を口にした。

 

 「あーぁ……和泉、自分がどうなってるかわかってないな。無駄にフェロモン撒き散らしてる」

 「逆に亜姫が…色気なさすぎだろ。なんだよアレ、ガキの喧嘩か」

 ヒロと戸塚は呆れて苦笑いだ。

 

 

 笑わない和泉が、声を上げて笑っている。

 喋らない和泉がずっと会話を…しかも、彼の方から話しかけている。

 女に冷たい和泉が、顔を覗き込んでは何かと気遣う素振りを見せている。

 そして、あの和泉が女と手を繋いでいる。目撃者に聞けば、なんと和泉から手を取ったのだという。

 相手が嫌がる素振りを見せているにも関わらず、離そうとしないしさせない。

 

 全てが衝撃的で、強烈な嫉妬が隣の女に向かう。

 

 あれは誰だ、一体どんな手を使ったのか。

 そんな声があちこちで囁かれる。

 

 途中で合流した麗華の耳にもヒロ達にも、そのざわめきは届いていた。 

 「やっぱり、静かに見守ってもらうのは無理そうね」

 溜息をつく麗華に戸塚が苦笑する。

 

 少し前を歩く二人の、なんだか幸せそうな姿。

 この二人の、邪魔をしないでやってほしい。

 無理だとわかってはいるが、そう願わずにはいられなかった。

 

 

 そんな想いを余所に、亜姫達は手を繋いだまま校門をくぐる。校内にも既に話が広まっていて、彼らの姿に大騒ぎだった。

 

 亜姫はもう、下を向いて小さくなっている。

 

 校庭の真ん中には山本が立っていた。その目が二人の姿を捉えると、大きく見開かれて固まる。

 「和泉……お、まえ……亜姫は……違うだろう……!」

 

 山本は、ちょっと来い!と二人を校庭の端まで連れていった。

 

 「何だよ、こんなとこまで連れてきて」

 「なんだじゃねーよ!これはどーいうことだ!?和泉、亜姫は違うって…ちゃんとわかってんだろうな!?」

 

 亜姫は突然始まった話の意味がわからず、首を傾げている。

 その亜姫と和泉を交互に見る山本。こんなに動揺している山本を見るのは二人とも初めてだ。

 

 「山セン、動揺しすぎ。勿論わかってるよ。

 亜姫は、そーゆうんじゃねーから」

 

 未だ不思議そうな顔の亜姫を優しく見つめると、和泉は顔を引き締め、真剣な顔つきで山本に告げた。

 「ずっと言われてただろ?ちゃんと、見つけた。

 ようやく手に入れたんだ。しばらく見守っててくんねーかな」

 「ようやく……?」

 呆然と和泉を見ていた山本が、ハッとしたように亜姫を見る。

 「亜姫、和泉のことは…ちゃんとわかってるのか?」

 

 亜姫は笑った。和泉の過去と、そんな和泉からの扱われ方について心配されているのだろう。

 「和泉がどんな生活してきたか、ちゃんと知ってます。その上で、今の和泉が好きなんです。

 ……先生が心配するような事もしてません。だから心配しないで」

 

 いつもの亜姫だ。隣に立つ和泉は、その様子を優しく見つめている。それを見て山本はようやく肩の力を抜いた。

 

 

 今までの和泉からは想像もしなかった姿。遠ざかるその背中を、山本はしばらく眺めていた。

 

 彼には、折に触れ何度も伝えてきた。

 大事にしたいと思うモノを見つけろ、お前自身を見てくれる人を探せと。

 

 ──冬夜、お前の弟は大事なモノをちゃんと見つけたみたいだぞ──

 

 それも、あの橘亜姫を。選りに選って、まさかあの子を見つけ出すとは。

 ようやく手に入れた、だと?いつからだ…?変わり始めた頃からか?なんにせよ、あいつの変化は亜姫が理由か。

 それなら和泉の変化に納得がいく。

 相手が亜姫なら、この先和泉が歪むことはないだろう。あの子は人が本来持ちうる心を引き出すのがうまい。そして、どんな人のことも──特にその心を──とにかく大事にする子だから。

 

 亜姫は、和泉の「中身が好き」だと言っているのだ。

 

 和泉がうっかり手を出したりしないように、後で釘だけはさしておくか……。

 そう思いながらも、あの二人の明るい未来を想像して山本の顔には笑みが零れた。

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