第27話 変化(1)

 変わらぬ日々が続いていた。

 

 だがあの日以来、和泉は亜姫へ不用意に近づかないよう気をつけていた。

 亜姫が、近づくのを少し怖れているように見えるからだ。

 

 告白で変に意識させてしまったのか、やはり自分の過去に不信感を持たれてしまったのか…和泉にはわからない。

 けれど亜姫に余計な負担はかけたくなかったし、この関係に水を差したくもなかった。距離さえ保てば、亜姫は今までと変わらないのだから。

 あと少しで係の仕事は終わる。その後、今までのように話すことは出来なくなるだろうとなんとなくわかっていた。だからこそ、せめてその最後の日までは楽しみたかった。

 

 しかしその希望とは裏腹に、亜姫は少しずつ変わっていった。

 まず、ボンヤリすることが増えた。

 仕事中、ふとした瞬間に戸惑いが見え隠れする。

 和泉を見て急にビクッとすることが増えた。

 そんな時に目が合うと、亜姫の笑顔が少し引きつる。

 

 それが、日に日に少しずつ悪化していった。

 

 

 

 ◇

 「もうすぐおしまいだな。どう?楽しく終われそう?」

 ヒロが久し振りに亜姫の話題を出した。

 しかし、返事がない。

 和泉を見ると、携帯を触りながら何か考え込んでいる。

 「和泉?聞いてる?」

 戸塚が声をかけると、長い間のあと和泉が呟いた。

 「告白したの、失敗だったかも」

 

 亜姫の様子が日に日に変わっていく。

 今では、距離を保っていても亜姫の居心地は悪そうだ。

 そして、ここ数日で目を合わせなくなった。

 明らかに避けられている。

 

 「え?亜姫が?」

 二人が驚く。

 亜姫なら、避ける前にその理由をきちんと伝えるのではないか。それ以前に、誰かを避ける行動を亜姫が取るなんて考えられない。


 和泉も同じように感じていたので、二人の驚く気持ちはわかる。

 

 「気持ちを伝えたことで、印象が変わっちまったんだと思う。俺が亜姫に手を出すと思われてるか…俺への嫌悪感、じゃねぇかな。

 俺が関わったら亜姫から笑顔を奪うって、わかってたのにな。あの時はアレしか思いつかなくて、つい言っちゃったんだけど……逆に困らせてる。考えが足りなかったな」

 「でも、亜姫が理由も言わずにそんな態度に出るなんて考えられない。何か別のワケがあるんじゃねぇの?」

 「それ以外、何があるんだよ。ねぇよ。あるとしても……理由を説明することすら嫌だと思われてるってことだろ。

 まぁ…俺が相手ならこうなるよな、普通に考えたらわかることだ。せめてこれを終えるまではと思っていたけど……やっぱ、俺は恋愛には向いてねぇな。

 そもそも、今までが有り得ないぐらい出来すぎてたんだよ。ハハ……ちょっと、夢、見すぎた」

 和泉は乾いた笑いを零して、小さな溜息を零す。

 

 「…………元の生活に戻るだけ。なにかが変わるわけじゃない………………ただ、元通りになるだけだよ」

 

 「和泉……」

 二人が言葉を失くして和泉を見つめる。

 

 さすがに強がる気力は残っておらず、和泉は力なく笑う。

 「亜姫はもともと男が苦手だろ?ちょっと近づいただけで真っ赤になって、あんなに動揺しちゃうんだし。あれじゃあ、俺なんて到底受け入れられねぇよな」

 「……え?」

 ヒロが驚いた様子で和泉を見る。

 「誰が男を苦手だって?」

 「亜姫だよ。近づく度に首まで真っ赤になっちゃうんだもん。あまりにパニクるから可愛くてついからかっちゃってたけど、アレも失敗だったかも。ますます男が苦手になってなきゃいいんだけどな」

 思い出した光景に優しく笑うと、和泉は携帯を触り始めた。

 

 だから気づかなかった。ヒロ達が驚愕の表情を浮かべていたことに。

   

 

 

 ◇

 亜姫は麗華の家にいた。

 

 「亜姫、またボンヤリしてる」

 「え?」

 「最近おかしいわよ?」

 麗華の指摘に亜姫が食いついた。

 「そうなの!なんか、おかしいの。

 あのね、最近ね、和泉と一緒にいるのがヤなの」

 「どうしたの?あんなに楽しいって言ってたのに」

 麗華が優しく尋ねる。 

 「よくわかんないんだけど…なんか、変になる。

 近づいてほしくない。二人で作業するのも嫌だ。

 目が合うのも…ヤなの。なんだか、逃げたくなって……」

 「変って、どういう風に?」

 「心臓が変な動きする。和泉の目を見ると、恐くなっちゃって…」

 「どんな時に?恐くなるのはどうして?」

 

 亜姫はしばらく考え込む。

 和泉の姿を、頭に思い浮かべてみた。

 和泉が自分を見て…そして「亜姫」と呼ぶ……

 

 「亜姫。あーきー?」

 「……えっ!?」

 急に麗華の声が聞こえて、亜姫はハッとする。

 「今、何を考えてた?」

 「や、えっと、和泉が…こっち見て…私の名前、呼んだ……」

 なぜか和泉を前にした様な気分になり、亜姫は狼狽える。

 「亜姫?顔、真っ赤よ。今、自分がどんな顔してるかわかってる?」

 「え?わ、わかんない……。

 ……ねぇ、麗華。私ね、男の人が苦手だって気づいてなかったの。和泉に言われて初めて知って」

 「はぁ?何を知ったって?」

 「だから、男の人が苦手なことを!だって、あんなこと恥ずかしくて心臓痛くなるし、もう逃げたくなっちゃうし…」

 「あんなことって?和泉に何をされたの?」

 

 目つきが鋭くなった麗華に、亜姫は倉庫で起きていた事を初めて話した。今までは、黒田に絡んだ事しか話していなかったから。

 

 

 「その時は、その瞬間死ぬほど恥ずかしかっただけなのに。なんだか、今はずっと恥ずかしいの。

 もう、どうしたらいいか分かんなくなっちゃって…顔、見たくない…」

 「じゃあ…仕事、私と代わろうか?」

 「ダメ!絶対ダメ!」

 麗華の提案を大声で即座に否定。そんな自分に亜姫自身が驚いている。

 「どうして?和泉のことが嫌なんでしょう?」

 「うん…えっ、あれ…?そう、ヤなの。ヤなんだけど…でも…仕事、途中で放り出すなんて」

 「放り出すワケじゃないわよ、交代するだけなんだから」

 「で、でもっ、ダメ…私、ちゃんとやる……」

 「そ?まあ、もう仕事も終わるしね。そしたらもう関わりも無くなるし、あと少しの辛抱だから我慢して頑張りなさい」

 「え?」

 亜姫が驚きの声をあげた。

 「どうしたの、そんなに驚いて?もう準備期間も終わりでしょ?

 行事があるから必要だっただけで、それが終わればアンタ達が話すことなんて無いじゃない。

 今だって、仕事以外で話なんてしてないでしょ?せいぜい会釈するぐらいで。

 和泉はもう女と関わらないって言ってるし、今してる挨拶だって終わればしないわよ。今まで関わった子達、誰もそんな事してないもの。

 亜姫だって、和泉からは今まで通りでって言われてたんでしょ?」

 「終わり?もう、話さない…?えっ……?」

 放心する亜姫。

 「何?」

 「ずっと続くと思ってた。終わり。もう、話さない。そっか…………」 

 亜姫は下を向き、しばらく黙っていたが、

 「麗華、私…もう、何が何だかわからない…わからないよ……」

 泣きそうな顔で麗華に抱きついた。

 

 麗華はヨシヨシと頭を撫でる。

 

 「ねぇ亜姫。最近、おっぱいの事を考えた?」

 「…え?考え、て、ないかも……」

 「じゃあ、何を考えてたの?いつも頭の中はおっぱいのことばかりだったのに」

 「…和泉と、仕事すること……。だって、男の人苦手って気づいて」

 「亜姫が?男を苦手?そんなわけないじゃない。そんな姿、見たことないわよ?」

 「え?」

 「男を意識すらしないアンタが、どうやって苦手になるのよ?むしろ意識しなさすぎて、いざ接すると距離が近すぎるぐらいなのに」

 「だ、だけど近づいたらホントに恥ずかしくて」

 「転んだ時とか、熊澤先輩に抱きしめられてる。よく隣に座ったりしてるし。でも亜姫は何ともないじゃない。

 そもそも、そんなこと気にしたこともなかったでしょ?現に今、私が言うまで思い出しもしないし。思い出したところで、なんとも思ってないじゃないの」

 「あ…ホントだ」

 「ヒロとだってそうよ。いつも兄弟喧嘩みたいになってるけど、距離が近くておかしくなったりするの?」

 「ううん、全然。…あれ?じゃあ、なんで?」

 亜姫はますます混乱した。

 

 「亜姫。アンタ最近、和泉のことばっかり考えてる事に気づいてる?」

 

 無自覚だった亜姫は、その言葉に衝撃を受けた。しかし深く考える間もなく「和泉」という言葉に反応してしまう。

 彼の姿が次々と思い浮かび、また体がおかしくなってきた。

 

 「ねぇ、大丈夫?首まで真っ赤」

 「……え?」

 

 ほてった顔を手でパタパタ仰ぐ亜姫を眺め、麗華は柔らかく笑った。

 

 「和泉のことを考えると、心臓がおかしくなる?今も?」

 「……うん」

 「和泉と、このまま話せなくなるのはイヤ?」

 「うん」

 「和泉のことが嫌なんじゃなくて。一緒にいたいけど、どうしていいかわからないから嫌…なんじゃないの?」

 

 亜姫は少し考えて、頷く。

 「………うん」

 

 「心臓がおかしくなる。それはね、ドキドキしてるって言うのよ。和泉にときめいてるの。

 亜姫は……和泉の事が、好きなのね」

 

 亜姫はしばし呆け、ボフン!と顔を真っ赤に染めた。

 「すすすす、好きっ!?えっ、ちょ、まっ、わわわ私が!?や…や……えぇっ!」

 

 「はい、深呼吸。ちょっと落ち着きなさい。色気もクソもないわね、相変わらず」

 いつになく麗華が優しいと思っていたのに、いつもの調子に戻ってしまった。

 

 「今、色気は関係なくない!?いや違う、今はそれじゃなくて…え、私って………和泉のことが好きだったの!?」

 

 衝撃を受けた亜姫は、ポカンと大口を開けている。麗華はちょっとだけ和泉に同情した。

 「和泉、ホントにこんなので良かったのかしら?今頃、後悔してたりして……」

 「なんか、言い方!酷くない?って、違う違う、そうじゃなくて…えっ、私が?和泉のことを?好き……?」

 「そうよ。ちゃんと考えてみて」

 

 亜姫は、言われたことと自分の状況を再度思い返してみる。

 

 「これがトキメキ…うわぁ、想像より破壊力がスゴイ…これで死んじゃう人がいそう…。トキメキって人も殺せちゃうんだね……」

 「あー、もしかしたら違うんじゃないかって気がしてきたわ。亜姫を見てたら段々自信が無くなってきた。ねぇ、今は恋の話をしてるんだけど?」

 「うん……」

 

 和泉が好き。亜姫は小さく呟いた。

 数回繰り返すと、体の中のゴチャゴチャが全て綺麗に合わさった。

 

 私は、和泉が好き。

 

 亜姫は確認するように再度呟き、それはそれは嬉しそうに笑った。

 

 そこへ麗華が問いかける。

 「で?ようやく自覚したわけだけど、これからどうするつもり?」

 「わかんない」

 「はぁ?」

 「どうしたらいいか、全然わかんない。だって、好きって思ったらますますおかしくなっちゃう。

 最近は仕事中も全然話せてないの。ねぇ麗華、私はどうしたらいい?」

 

 と言われても。亜姫に何かをしろと言ったところで、そんなの無理だろう。

 和泉が亜姫とどうなりたいのか、麗華にはわからない。余計な動きをしておかしなことになっても困るので、麗華は手を貸すつもりはなかった。

 

 なので「とりあえず数日中に仕事が終わる。それまで自力で何とかしろ」と叱咤しておいた。

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