第24話 心の中(2)
自分の気持ちに何度も寄り添われただけでなく、降り注がれる数々の言葉。思いも寄らないことばかりで、和泉は衝撃を受け続けた。
自分の最低な行為──その心情に深く目を向けられたことなどない。自分ですら否定したソレを、こんな風に見てくれる人がいたのだと──そしてそれが他の誰でもなく亜姫であるということに──和泉は捉えようのない喜びとむず痒さを感じた。
あれ程荒れ狂っていた怒りや苛立ちが、動きを止めた。
不意に熊澤の言葉を思い出す。
──亜姫は前しか見ない。亜姫にとって、過去はただの過去でしかない──
「この先どうすればいいかは、自分で考えろ」と言った熊澤は、あれから少ししてその先のヒントを教えてくれた。
──亜姫は、今と未来を見るヤツだ。和泉が変われば変わったお前だけを見る。
その過去があるから今があるんだ、って考えるヤツだよ。
過去もひっくるめて、お前の存在を丸ごと受け入れてくれる。お前の過去も否定したりはしない。
だから過去を消そうとか傷だなんて考えず、ちゃんと受け止めろ。過去ごと自分を好きになれ──
熊澤が言っていたのは、こういうことか。
理不尽な八つ当たりと酷い態度をどれだけ続けても、亜姫は変わらず笑う。
亜姫が紡いだ数多の言葉、それが今になって染み込んでくる。それらに照らされた自分の過去が、全然違うものに見えてくる。
急激に色んなものが混じり合い、真っ黒だった記憶が形を変えてほんのり色を持ち始める。その感覚に和泉はまごついた。
停止していた苛立ちと怒りがその変化に流されてどんどん消えていき、自分の気持ちが凪いでいく。
和泉はそれらをどう受け止めたらいいかわからなくなっていた。なのにそんな様子を気にも止めず、亜姫は手当を再開する。
「私の友達も、確かに和泉の見た目には惹かれてたみたいだけど。でもね、その子が和泉の話をする時はいつも楽しそうなの。私は内容にビックリすることが多かったんだけど、話をしてる友達を見てるのはすごく楽しくて。和泉のおかげで楽しく過ごせた日が結構あったんだよ。同じように楽しんで過ごす人、沢山いると思うなぁ。
和泉は笑わないのに周りだけ楽しそうに笑うなんて、なんだかそれって変だけど。でも、和泉が普段から愛想よく笑ってたらもっと近付く子が増えて大変そうだから…和泉はつまらなそうな顔でちょうどいいのかもしれないね!」
軽い口調の亜姫は見るからに楽しそうで、和泉は目を瞬かせた。
先程まであんな状況だったのに、何故こんなに呑気な会話が出るのだろうか?意味がわからない。
余りにも対照的で楽観的な様子に理解が追いつかない。なんだかこっちも気が抜けてしまう。
「そう、なの、か…?なんか…俺だけ損してる気が…しないでもない、ような…?」
「そうだよ、多分!それが嫌なら、和泉も負けずに笑ってみたら?あ、でも…逆に大騒ぎになりそうだなぁ。やっぱり、やめといたほうがいいかも!」
亜姫はそう言って、また笑った。
和泉は自分の気持ちがどうなっているのかもわからず、八つ当たりしたことを謝るタイミングすら見つけられず。気がつけば、ただ穏やかな心だけがあった。
亜姫は何一つ気にしていないようで、目の前の手当に夢中になっている。
和泉は混乱する思考を放棄して、ただ黙って亜姫の様子を眺めていた。
◇
「ねぇ、和泉は沢山彼女がいたんだよね?だったら…好きって気持ち、少しはわかったりする?」
手当を続けていた亜姫が、ふと別の話題を口にする。
「彼女?そんなの、いたことない」
「えっ?和泉が仲良くしてた女の子達って、彼女だったんじゃないの?」
「違う。しつこくせがまれてヤッてただけ。名前も知らねぇし、知り合いですらねぇな」
瞬間、亜姫は固まり頬を染めた。
「あ、悪い。お前には刺激が強すぎたか」
行為を見られてるから今更だけど…と言いかけた言葉を、和泉は飲み込んだ。
「あ、ううん、大丈夫。あ、あの…好きってどんな気持ちなのか聞きたかったの。沢山の女の子と関わってきたならわかるかな、って……。
皆、その時が来ればわかるからって教えてくれないの。和泉、好きな人がいたことある?」
「いるよ」
「ホント!?……ん?いる…って今?今、好きな人がいるの!?」
「いる」
和泉は、亜姫を真っ直ぐ見て言った。
その目はまたあの熱さを持っていた。それを見ると亜姫の心臓はまた騒ぎ出す。
でも、何故そうなるのかがわからない。自分の体に違和感を感じながら、亜姫は続けた。
「好きな人がいるって、どんな感じ?」
「……誰かは聞かないんだ?普通は、そこをしつこく聞きたがるんじゃねぇの?」
「え?言いたいなら聞くけど?でもそれは、こっちから勝手に覗くものではないような気がするし…今聞きたいのはそれじゃないしなぁ」
「亜姫は、そういうところが他のヤツと違って面白い」
和泉は表情をやわらげた。
少し一緒にいただけでわかる。亜姫は、他者の気持ちを常に慮る。自分がその名を出す気がないことを感じ取ってくれたのだろう。亜姫と過ごす中で不快を感じないのは、こういうところだ。
きっと、自分がわざわざ念押しせずともこの話を他言したりはしないだろう。亜姫はそういう子だ。
「好きな子がいると…毎日、楽しい。気がつくとその子のことばっかり考えてて。いいことばっかじゃないけど……まあ、悪い感情は少ないかな」
「そっかぁ。ねぇ…好き、ってどうやって気付いたの?何かキッカケがあったりしたの?」
興味津々で食いついてくる亜姫がおかしくて、和泉はハハッと笑いをこぼす。
「そうだな。俺はその子のことを考える時間が増えていって……ある時自覚する瞬間がきた、って感じかな。
亜姫は?ないの?そーゆーの?」
「うーん、そんな風に誰か1人のことだけずっと考えて…なんて、したことがないなぁ。
毎日考えることは沢山あって、ただでさえ時間が足りないと思ってるのに」
「何をそんなに考えてんの?」
「えーと…この仕事のことでしょ、その日やりたいこと、それからお友達と遊ぶこととか…」
「あー、あと…おっぱいか」
「えっ?なんで知って……あっ、ヒロ達!?」
目をまんまるにして驚く姿に、和泉は噴き出してしまった。
「以前から、面白いヤツがいるって時々聞いてた。それって亜姫のことだろ?」
「えー…面白いことなんてしてないのに」
眉を下げた亜姫が可愛くて、和泉はまた笑ってしまう。
「和泉、ホントによく笑うんだね。なんか、そーゆーの見ると私も楽しくなってきちゃう!
話すの嫌いなのかと思ったらすごく喋るし。実は楽しい人だよね、和泉って」
すぐ楽しむ方向に切り替わるのが亜姫らしいな、と思う。そして、そう思った自分に和泉は驚いた。
亜姫のことをいつの間にかよく知るようになっていたことも、他人をこんなに深く知るようになった自分にも。
コイツらしい、なんて…今まで誰かを分析するように見たことはなかった。
変わりたいと願いながら日々過ごしてきた。
そんな自分が本当に変わり始めているのだと、ようやく実感する。
さっき亜姫に言われたことも、昔の自分だったら聞く耳すら持たずにいたかも知れない。
でも、その変化が嫌ではなかった。
──過去ごと自分を好きになれ──
熊澤の言葉がまた頭をよぎる。
もしかしたら、自分のことを好きになれる日が来るかも知れない。
そんな日が来るとしたら、それは間違いなく亜姫のお陰だ。
目の前の亜姫を改めて見つめる。
先程、強くぶつけてしまった不満や不快。前も思ったが、亜姫にそれを感じることはない。
和泉は恵まれた外見に強い否定感があった。そのせいで苦しんできたのだから、当然と言えば当然なのだが。
だが亜姫といる時はそれを忘れられる。これが心地良さを感じる一つなのだと、改めて思う。
もともと、人を見る際に外見を重要視していないのだろう。常に心の方に意識が向いているのだと、亜姫を見ていればわかる。おっぱいだけは別として。
「亜姫はどういう人が好みなの?見た目とか中身とか、色々あるだろ?」
「あぁ、それね…よくわかんない」
「わからない?」
「うん。だって、何を考えてもおっぱいを見てウキウキするような気持ちにはならないんだもの。でも、そう言うと子供扱いされるの」
「わからないなら考えてもしょーがねーよな。それこそ、その時が来るのを待つしかなくね?」
「嬉しい!なかなかいないの、そう言ってくれる人!和泉で三人目!」
「一人、わかった。いつも一緒にいるヤツだろ?なんか姉ちゃんぽい雰囲気の」
「当たり!麗華はいつでもわかってくれるの。あともう一人、熊澤先輩って人がいて」
「先輩なら知ってる。いい人だよな」
「うん、わかる!私も大好きで……」
熊澤の話で盛り上がりながら、二人は教室へ戻っていった。
他の人がいると、途端に和泉は話さなくなる。しかし亜姫はそんなことを気にはしないし、和泉は無言でも話はちゃんと聞いている。なので会話は変わらず成立した。
だから、和泉が笑うこともこんなに話すことも、他者に知られることはなかった。
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