第22話 倉庫で(2)

 これでもかと笑い続けて、ようやく落ち着いてきた和泉。息を整えながら顔を上げると、亜姫と目が合った。

 

 さっきまで真っ赤な顔をして泣きそうだった亜姫は、いつの間にか嬉しそうに笑っていた。

 

 和泉が見たかった、笑いかけて欲しかった──あの笑顔で。

 

 その顔に和泉は釘付けになる。

 

 「笑った」

 「………………え?」

 「和泉、笑った!」

 

 再び亜姫が笑った。あの、喜びを爆発させたような笑い方で。

 

 全てを静止する和泉の前で、亜姫は笑い続ける。

 「和泉って、そんな風に笑うんだね!やっと見られた!」 

 「……やっと?」

 「うん!いつもつまらなそうな顔してるから、どんな顔して笑うのかずっと気になってた!」

 「ずっと…?そんなに…つまらなそうにしてる?」

 「してる!」

 そう言ってまた楽しそうに笑う亜姫。

 「和泉は今、楽しいんだ?私も楽しい!」

 

 

 抱きしめたい。

 

 突如湧き上がった感情に、和泉は慌てて蓋をする。先ほどは助けることに気がいっていて深く考えていなかったが、亜姫に触れた感触や香りはまだ生々しく残っている。それを今になって意識してしまい、そこに引っ張られそうな衝動を必死で繋ぎ止めた。 

 

 「俺も、楽しければ笑うよ。亜姫は見てると面白いから」

 気持ちを散らしたくて、わざと揶揄うように言ってみた。

 「え?面白い……?」

 キョトンとした亜姫は、恐らくさっきのことをもう忘れているのだろう。

 

 それを見たら、もう少し踏み込んで話をしたくなった。

 他の顔も見てみたかった。

 ちょっと、意地悪してみたくなった。

 

 「亜姫って、男が苦手なの?動揺しすぎで面白かった」

 「………!!」

 思い出したのだろう、また真っ赤になる亜姫。

 

 「ほら、また真っ赤」

 意地悪そうに笑ってみせると。

 「……今、忘れてたのに!」

 膨れる亜姫が可愛くて、和泉はまた声を上げて笑った。

 

 「やっばり苦手なんだ?今まで…ないの?男に近づいたり触れたりしたこと」

 気になってたことを…何でも無さそうに、軽い口調で聞いてみる。

 

 「……ないよ。あああ、あんなこと…普通の生活の中で起こらないでしょう……」

 「あぁ、まぁ確かに。穴にはまって抜けなくなるなんて、初めて見た」

 「違う!いや、違わないけど…そっちじゃなくて!」

 「ハハッ、冗談だよ。でも付き合ったりとか、今まで無かったの?」

 「……ない。……好きな人すら、いたことない」 

 亜姫が内緒話をするように、小声で囁く。

 

 和泉は全身の細胞が喜びに沸き立つのを感じた。

 

 「ないの?一度も?」

 「うん。…おかしい?」

 「いや、別におかしくはないんじゃない?興味がないの?」

 「うーん…興味が全くないわけじゃないよ?そういう話を聞くのは好きだし、少し憧れる気持ちもある」

 「憧れ?」

 「うん。誰かに自分が告白されるとか、友達の嬉しそうな顔見たりするとちょっとだけ憧れる。でも実際に起こることを考えてみると、まだ想像ができないかなぁ」

 「ふーん?告白もされたことないんだ?」

 「ないよ、告白なんて。お友達は皆経験してるけど、私は縁がなくて。でも、彼が欲しいとか誰かと付き合いたいって思ったこともないんだけどね!私にはまだ…考えられないかな」

 

 そこまで言ったあと、亜姫が

 「あっ、忘れてた!今更ですが…助けてくれてありがとう」

 と急にお辞儀をした。顔を上げた亜姫の顔は羞恥でまた赤く染まっていた。

 

 和泉は再び手を伸ばしそうになり、それを誤魔化す為「いいよ別に」とぶっきらぼうに呟いた。

 

 

  

 ◇

 その日をキッカケに、仕事以外のたわいもない話をするようになった。教室で会えば、会話はしないが会釈ぐらいは交わす。

 

 倉庫での仕事もより細かな探しものに限定されてきて、協力しないと見つけられなくなった。雑多に積まれた奥や上部にある物は、確認するだけでも一苦労だ。

 

 「亜姫、絶対勝手に出すなよ?」

 「大丈夫。もう穴にも落ちないし!」

 「足元だけじゃねぇよ。お前は常に危なっかしいから」

 言いながら亜姫を見ると、上にある荷物に手を伸ばしていた。

 

 言ってるそばからこれだ。取ろうとしている物は奥の方で重なり合っている。下手に動かすと全部落ちてきそうなのだが、亜姫からはそれが見えていない。

 

 「待て、触るな」

 言うのと亜姫が掴むのは同時だった。

 走る和泉の目には、奥の荷物が亜姫の方へ傾きはじめるのが見える。

 

 ──間に合わない!

 

 後ろから手を伸ばし、辛うじて掴んだ亜姫の手を思い切り引き寄せた。倒れ込んでくる亜姫をそのまま自分の胸元に抱えこみ、その全身を腕で包んで棚との間に挟み込む。

 

 直後、音と衝撃。

 

 和泉がそっと顔を上げると、目の前はもうもうと舞う埃で真っ白。足元には物が散乱していた。

 亜姫に当たった様子は無く、和泉はホッと息を吐く。

 

 よかった………。

 

 腕の中に収まる亜姫の体は細いのに柔らかく、甘く香る匂いとサラサラな髪の感触も合わさり、妙に抱き心地がよかった。先日助け出した時も、そういえばやたらとフィット感があった。

 今まで感じたことのない心地良さ。このまま離したくないと強く思い、亜姫の頭に顔を寄せながらギュッと抱き込んだ。

 

 「あ、あの…………」 

 亜姫の上擦った声が聞こえて、和泉は我に返る。

 

 焦って飛び退きたい気持ちと離したくない気持ちが交錯する。それを悟られないよう、ゆっくり手を緩めながら亜姫の顔を覗き込んだ。 

 

 やはり、真っ赤な顔。視線をさまよわせる潤んだ瞳が妙に色気を感じさせて、和泉の心臓が小さく跳ねる。


 「ケガ、してない?」

 まだ離したくなくて、返事が来る前に言葉を繋ぐ。

 「あーぁ、真っ白。埃、スゴいよ」

 言いながら、亜姫の頭や背中についた埃を軽く払う。背中の方を覗き込むとまた体が密着するが、亜姫が動かないのをいいことに、肩や腕の埃をゆっくりと払っていった。

 

「あれだけ言ってんのに、なんで同じこと繰り返すんだよ。危ねぇだろ?」

 

 むくれた声が返ってくると思って言ったのに、亜姫から返事がない。

 再度顔をのぞき込むと、染まった色は変わらずだが、今にも零れそうな涙を目に溜めている。

 「どこか、ケガした…?」

 心配になった和泉が尋ねると。

 

 「……バ、バカ、ち、ちか…近いぃぃ……」

 亜姫が和泉の体を押しのけようとギクシャク動き出す。だが手は震えていて力など入らず、全然離れられない。 

 

 その姿にまた笑いがこみ上げる。

 

 「そういや、男に近づくのダメだったんだっけ?

 ……亜姫?首まで真っ赤だよ?可愛いね、慣れてなくて」 

 笑いながら揶揄うと、亜姫は今度こそ和泉を突き飛ばして、

 「……バカ!和泉って、結構イジワル!!」

 叫びながら和泉を睨み……サーッと顔色を変えた。 

 「和泉!血が出てる!」

 

 指を差された場所に手を当てると、ヌルっとした感触。落ちてきた荷物がかすめたのだろうか。それほど痛みもなかったので和泉は気にしなかったが、予想外に亜姫が慌てた。 

 

 別にいいよと言うも強引に引っ張られ、和泉は保健室へ連行されていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る