第21話 倉庫で(1)

 麗華達のおかげで噂は下火になり、亜姫と和泉が被害にあうことは無かった。ニ人はそれに気づかぬまま、今日も仕事を楽しんでいた。

 

 準備が進むにつれ、探し物はより具体的になっていく。それに伴い、倉庫内での会話は増していった。

 「橘、これは?」

 「あぁ、いいかも!あ、和泉君。それが終わったらアレも見てほしいな」

 「わかった」

 

 長い廊下も、仕事の話をしながら歩く事が増えた。

 

 亜姫も和泉も基本は変わらない。

 亜姫は笑うが和泉は笑わない。

 亜姫は話すが和泉は殆ど話さない。

 でも、お互いにこの時間を楽しいと思っていた。

 

 そして、和泉は今日も亜姫を見る。

 見とれているのではない。見張っている。 

 

 共に作業してみると、亜姫がやたら危なっかしいことに気づいた。

 集中力があるのか、逆に無いのか…亜姫は一つの事を考え出すと他のことを見事に忘れる。躓いたりぶつかったり、上にある物を取ろうとして他の荷物の下敷きになりかけたり。

 和泉が慌てて対処して事無きを得た、なんてことも何度かある。こちらが焦るような状況が幾度もあるのに、亜姫はヘラリと笑って気にもしていない。

 思い返して、和泉は小さな溜息をつく。

 

 「橘、上とか奥の荷物を取るときは言えよ?俺が取るから」

 「えー?大丈夫だよ」

 「いいから」

 「はぁーい…」

 

 ………あやしい。返事が曖昧な時は、何か考え始めた時だ。

 

 嫌な予感がして、後方にいる亜姫を見ると。

 まさに今、雑然と積まれた荷物の上に足を乗せたところだった。

 

 「危ない!」

 「えっ?」

 

 ガタガタッ!と大きな音を立てて、亜姫の体がガクンと沈んだ。

 

 

 

 ◇

 不安定な積み方で下が空洞になっていたらしい。そこを踏みぬいた亜姫の片足は、完全に飲み込まれていた。

 

 

 「え、うそ…」

 沈んだ足先は床につかず、宙に浮いている。

 大きく踏み込んでいたようで、残った足にも力が入りづらい。両側にある棚を支えに両手で体を持ち上げようとしてみるが、うまく力を入れられず全く動かなかった。

 

 大丈夫か?と後ろから声がかかる。

 

 「あっ、うん…大丈夫」 

 そう返事はしたものの、どうにもならない。亜姫は、焦りつつも打開策を必死で考えた。

 

 

 「抜けないの?そっちの足、どーなってる?」

 突然真後ろで聞こえた低い声に、亜姫の心臓がバクン!と音を立てた。

 

 「ビ、ビックリした……声が、近い……」

 振り向けない亜姫がそう呟くも返事は無い。

 代わりに、棚に添えていた手のそばへ長い腕が伸びてきた。両側を棚に挟まれたそこは、後ろからだと状況が見えない。伸ばした手を支えにして、和泉が真後ろから覗き込む。

 

 「足先、浮いちゃってる?踏ん張れそう?」

 

 かすかに触れる指先と腕。

 耳の側で聞こえる優しい声。

 近い体温。

 

 亜姫の心臓がバクン!バクン!と大きな音を立てて心拍数を急激に増やしていく。

 

 和泉の体温を感じられるほど、近い。

 くっつきそうな背中がやたら熱い。

 同じように熱を感じる耳や手が、何故かビリビリと痺れてくる。

 やたらと恥ずかしい。

 心臓がワケのわからない動きをしている。

 

 その全てが初めてのことで。

 亜姫は混乱し、ワケがわからなくなってきた。

 

 「あ、足…?う、浮いてる…」

 それだけ、何とか口にする。

 

 後ろにいた和泉は一瞬沈黙した。だがすぐに、

 「ちょっとだけ、ゴメンな」

 そう言うと、亜姫の右脇から頭を出した。

 

 突然視界に入る栗色の短髪。先ほど感じた熱が、今度は右脇に集中する。左手は変わらず触れ続けているのに、もうそこには意識がいかない。

 

 和泉は特に変わらず、ただ足元の状態を確認している。

 

 ヤ、ヤダこれ…恥ずかしい…。よくわからないけど…とにかく恥ずかしい……!!!

 

 亜姫は、猛烈に襲い来る感情に混乱した。

 

 和泉がいくつか質問してきたが、それに返事をできたかどうかもわからない。心臓の動きは激しさを増し、今にも口から飛び出しそうだ。

 「あ、あの…ごご、ごめんなさ……こ、これちょっと恥ずかしい、です…」

 状況に耐えきれなくなった亜姫は小声で呟く。

 

 和泉が一瞬動きを止めて、少しだけ亜姫の方へ顔を向けた。目が合うほどではないが、お互いの顔が視界には入る角度。

 

 そのまま数秒の沈黙。そして。

 

 「あぁ…悪い。あと少しだけ、我慢して」

 和泉がそう言うと同時に左手が離れ、亜姫の体がグッと持ち上がった。

 

 「きゃあっ!」

 グラついた体が和泉に密着し、慌てて離れようと藻掻く亜姫。

 「暴れんな。助けるだけだから」

 和泉が動きを止めて静かに言った。

 

 その声が耳元でした事に、亜姫はまた動揺する。

 

 「俺の肩に掴まって」

 「む、むむ無理…。は、離して……」

 「このままじゃ出られないだろ。掴まらないと危ねぇから」

 

 和泉は固まる亜姫の腕を棚から剥がし、半ば無理やり自分の肩に絡ませた。

 混乱した亜姫が視線を泳がせると、和泉の片腕が自分の腰に絡まっているのが見えた。腰回りに感じる熱さはそのせいだと知り、恥ずかしさに目を逸らす。そこで、いつのまにか抱き合うような姿勢になっていることに気づいた。

 

 ボフン、とどこかから爆発音。

 

 「や、や…これヤダ……」

 思わず俯くと、和泉の肩口に顔が埋まる。何とか離れようと暴れるが、和泉の体はびくともしない。

 触れた部分が焼かれたように熱い。痺れるような感覚と羞恥心が全身を駆け巡る。

 

 「足、中で引っかかったりしてない?」

 「ゆっくり持ち上げるから、様子見ながら抜いて」

 「大丈夫そう?」

 

 不安定な体勢なので、亜姫は必然的に和泉へ縋り付く形になる。頭が沸騰して思考は停止、耳元で囁かれる声に頷くだけで精一杯だ。

 

 そんな中、ひときわ力強く抱きしめられ体がフワッと浮いた。

 それに驚いた亜姫は強くしがみつく。そのまま床に降ろされたが、亜姫はワケがわからないまま目の前の大きな熱にもたれかかっていた。

 

 

 かすかに笑う声と突然離れた熱。ハッとした亜姫が顔を上げると、目の前には微笑む綺麗な顔があった。

 

 ボフン!

 また何かが爆発した音。

 

 「亜姫…顔、真っ赤」

 綺麗な顔が、少し意地悪そうな笑顔に変わる。

 

 それを見た瞬間、亜姫は飛び退くように離れて後ろを向いた。

 「み、見ないで!!あっち行ってよ!」

 爆発したのは自分の顔だったと気づき、亜姫は両手で顔を覆う。

 

 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!

 心臓おかしい!なにこれ、ナニコレ!!

 

 全てが許容範囲を超えていて、亜姫はパニックになっていた。

 それに…………。

 「名前………」 

 「え?」

 「……さっきから………亜姫って………」

 亜姫は、自分が声を出していることに気づいていない。

 「あー、……ヒロ達がいつもそう呼んでるから、つい……悪い」

 「っ、えっ?」

 返事がきたことに驚いて振り返ると、和泉と目が合った。

 

 教室でたまに見る、あの熱を孕んだ目。

 先程まで全身に感じていた熱がその視線に煽られるようにまた暴れ出し、亜姫はますますパニックになった。

 

 「い、いい、よ……別に名前、でも。皆…そ、う、呼ぶし……」

 なぜか視線を逸らすことが出来ず、しどろもどろに答えると、 

 「わかった。亜姫……俺の事も。呼び捨てでいい」

 と和泉も言った。

 

 和泉に名前を呼ばれる度、心臓がおかしくなる。自分の体に起きていることが分からぬまま、どんどん熱くなる体温。頭は沸騰し続け、思考がちっともまとまらない。

 

 そこへ、和泉の声が降ってきた。

 「亜姫?大丈夫か?」

 

 瞬間、亜姫は首まで赤く染まった。顔を隠そうと俯き、叫ぶ。

 「だだだ大丈夫なわけないでしょうっ!こんな風に男の人と近づいた事なんてないし、ああああんなの!むっ、むっ無理だから!こっ、こんなっ………慣れてないのっ!もう!なにコレぇっ、恥ずかし……こんなの、もうヤだぁぁぁぁ……」

 「あー、ええと…あの、足…怪我してないか聞きたかったんだけど…」

 和泉が申し訳無さそうに呟くと、亜姫は顔をバッとあげた。

 

 問いを勘違いしたと気づき、もはや全身赤いと思うほど羞恥にまみれた亜姫。零れ落ちそうなほど目と口を大きく開き、驚愕の表情で和泉を凝視したまま固まった。

 

 「……………………………」

 

 「……………………………」

 

 

 

 

 フハッ。

 突然、和泉の口から笑いが漏れた。

 

 ヤバい、なんだこれ。可愛い。楽しい。面白い。

 もっと近づきたい。話したい。知りたい。

 あー、ダメだ。もう亜姫以外考えられねーわ。

 

 和泉の中で、数多の感情が一気に蓋を開けた。

 

 目の前の子が可愛すぎておかしくて楽しくて…ひどく愛おしい。

 

 込み上げてきた笑いが止まらなくなった。

 声を上げ、腹を抱えてひたすら笑う。

 

 「え…なんで……?」 

 突然の出来事に亜姫は困惑した様子だったが、和泉はしばらく笑い転げていた。

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