第19話 同じ係(1)

 和泉は倉庫へ向かう道を歩いていた。

 

 あれから既に数回、亜姫と同じ道を辿っている。

 

 交代の話を聞いた時、亜姫は明るく「よろしくお願いします」と言い、楽しそうに笑った。ヒロと交代することも和泉と関わることも、全く気にしていなかった。

 

 今まで、和泉から話しかけた事は一度もない。

 

 毎回亜姫から声をかけられて倉庫に向かうが、道中これといった会話もない。ごく稀に話しかけられたが、その時は無言で頷くかせいぜい一言返すだけだった。

 亜姫が話さなければひたすら無言が続く。倉庫内でも、必要な時に最低限のやりとりがあるだけだ。

 

 和泉も最初は緊張していた。無言をそれなりに気にしていたし、何か話した方がいいのでは……と考えもした。けれど、自分から行動を起こすなんて出来るワケもなく。せめて話しかけられた時ぐらい頑張ろうと思いはしたものの、ヒロ達のように会話を繋げて…なんて、とてもじゃないが無理だった。

 

 そもそも、自発的に他者と絡む経験も女とこんな風に過ごした事も無い。なので、そんな高度な事が自分に出来るわけがない。そう気づいて早々に諦めると、「何もしない時間がどれだけ続いても、全く苦痛を感じない」ということに気がついた。

 

 初めて亜姫と歩いた時から感じる心地良さ。

 これは何だろう?歩きながら和泉は考える。

 

 半歩先を歩いている彼女を見る。無言でただ歩いているだけなのに、何が面白いのか…どう見ても亜姫は楽しそうだ。

 

 時折、不意に亜姫が話しかけてくる。しかし、その内容は特別な意味など無いものばかりだった。

 空に浮かんでる雲の形が面白いとか、今日は暖かくて気持ちがいいとか、自販機のおすすめの飲み物は何かとか…亜姫が思いつくまま口にすることは些細な質問だったり独り言のようだったり。それに対してこっちが返事をしようがしまいが、そんな事どうでもよさそうだ。

 数学がとても苦手なんだと一人で勝手に凹んで、勝手に復活していた時もあった。この時は、そもそも話しかけられてるのか独り言なのかわからないうちに話が終わった為、和泉は一切反応をしていないのだが。やはり、気にした様子はなかった。

 

 そして、ある時気がついた。

 彼女は、和泉に何も求めないし望まないのだと。

 亜姫からは何の欲も感じない。

 

 そして、これまた気づいた。

 女が当然のように向けてくる好意や、嫌悪を乗せた不躾な視線、自分の外見に対して興味や欲を向けた視線。それらを亜姫から感じたことが一度もないと。それどころか、こちらへの興味など微塵も無さそうだ。

 

 亜姫に惚れていることを思えば、これらは悲しむべきなのかもしれない。しかし常に人の感情をぶつけられてきた和泉にとって、その反応はとても新鮮だった。

 それに、亜姫のコレは「無関心」とは違うと感じていた。日々の亜姫を観察していると、誰に対しても同じように接していると分かる。

 

 亜姫は、いつでも自身が楽しんでいる。そして、それを誰かに押しつけたりはしないし理解してもらおうともしない。人も出来事も、そのものを丸ごと受け入れている。

 そして、亜姫が話さなくてもそれは相手を無視しているわけではない。一緒に過ごす人との「無言の空気」すら、亜姫は楽しんでいる。自分にも他者にも余計な気負いやムダな気遣いがなく、常に自然体だ。

 

 だから、ありのままの自分でいられる。何をしてもしなくても、『ただの和泉魁夜』として存在しているだけでいい。

 

 ヒロ達にも同じような気楽さがあるが、亜姫はそれとはまた違う。不思議な感覚。

 なんというか…家でのんびりしている感覚に近い。

 

 亜姫はヒロ達と何が違うのか?

 やっぱり、好きな子だから?

 皆、好きな子相手だとこんな気分になるのだろうか?

  

 「ならねーよ。もっとドキドキするだろ、好きな子がそばにいたら」

 

 ヒロ達に聞いてみたら即座にツッコまれ、呆れた顔を向けられた。

 

 「これまで、ドキドキしすぎて何度も死にかけてただろ。二人っきりで少しは進展してんのかと思ったら、なんだそりゃ。長年連れ添った夫婦みてーなこと言ってんじゃねーよ、お前のトキメキはどこ行った?」

 

 和泉は思わず笑ってしまった。

 

 「それは俺にもわかんねぇ」

 「ドキドキしたり触りたくなったりしねぇの?」

 「最近は……しないな。実際に触れたいと思ったことは………言われてみると、ないかも」

 「えぇっ?なんで!?実際会ってみたら、あんまり好きじゃなかったとか?やっぱり色気ある方が好みだったとか?」

 

 普段冷静な戸塚が、珍しく驚き露わに乗り出してきた。その姿にも和泉は笑いをこぼす。

 

 「いや、好き。むしろ、前より今の方がスゲェ好き」

 「マジ?じゃあ、亜姫と一緒にいる時はどんな気分なの?」

 「ただ楽しい。とにかく面白い。ずっと見ていたい」 

 それは惚れた子に向ける言葉じゃねぇ…と、ヒロがますます呆れる。

 

 でも、実際そうなのだからしょうがない。

 

 そう、『楽しい』。

 この一言に尽きる。

 

 亜姫が好きだ。会えば会うほど、その気持ちはデカくなる。

 あの子の事をいつの間にか考えて…それは今も続いている。実物と関わる時間が増すほど、それはリアルさを増して様々な感情に満たされる。

 だが……実際の亜姫を見ると、不思議と同じ気持ちにはならない。

 

 「まぁ、亜姫は見事に女子力ゼロだから」 

 「楽しい、面白い…確かに、亜姫を見てるとそう思うのはわかる」

 

 二人も和泉に同意する部分はある。彼らだけでなく、亜姫をよく知る人なら誰もがそう思うだろう。

 

 「でもさ、倉庫へ行く時しか亜姫とは話さないだろ?行事が終わったらその時間も無くなるって事だよ?和泉はこのままでいいの?」

 「亜姫が和泉を意識してるようには見えないし、この先の発展があるとも思えないしな。そもそも亜姫は恋愛事にはかなり疎いし…やっぱ、和泉が動かなきゃダメなんじゃない?」

 ヒロ達はそう言うが。

 

 亜姫が自分を見て当然のように笑ってくれる。その事に和泉は満足してしまったのかもしれない。

 「楽しい、面白い」という感情で満たされ、気持ちがやたら沸き立つ。そんな自身の変化が嫌いじゃなかったし、そう感じられる亜姫との時間をただ楽しみたい。

 

 今の和泉には、それ以上のことは考えられなかった。「手に入れたい、取られたくない」なんて…そんなことは考えもしなかった。想像したくないだけかもしれないが、とにかく今はこの幸せな状況に浸っていたかった。

 

 「先の事は…そうなった時に、また考えるよ」

 そう言って、和泉は満足そうに微笑んだ。

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