第18話 係の仕事

 変わらない日々が続き、亜姫が和泉と話す機会は訪れなかった。

 

 この学校では、春に校内文化祭を行う。秋に行う文化祭とは異なり生徒と職員だけの小規模なもので、クラス内の交流を深める目的で行われる。

 絆が深まりやすいと好評な催しで、準備期間からあちこちで和気藹々とした空気が広がる。


 亜姫は道具係。その中で更にいくつかのグループに別れ、亜姫はヒロと大道具担当になった。

 小規模な行事なので、いくつかある倉庫から使えそうなものを再利用する。それを必要に応じて探したり運んだりするのが主な仕事だ。

 

 亜姫は校舎の端にある倉庫へと向かっていた。ついでに持っていくよう頼まれていた、大きな荷物を抱えて。

 

 ヒロが別の仕事に借り出されていたので「一人で大丈夫」と出てきたのだが、想像していたよりも荷物が重かった。持ち直したりしながらどうにか運んでいたのだが、とうとう腕に限界がきてしまい、廊下の片隅に荷物を置いてしゃがみ込む。

 

 ちょっと無謀だったかなぁ、どうしよう…。

 数回に分けたら運べる。でも、その間、残りをココに放置していっても大丈夫だろうか。

 倉庫まではまだ距離がある。取られて困るものではないし持っていく人がいるとも思えないが、人から頼まれたものなので置いていくのに躊躇してしまう。

 

 腕の復活を待ちながらボンヤリと考えていると、横の通路から何かが勢いよく飛び出してきた。亜姫は驚きに体をビクつかせ、固まる。

 

 飛び出してきたのは、イズミとやらだった。

 「び、びっくりした……」

 亜姫が思わず呟くと、今度は何故か和泉が固まった。

 

 …………?

 彼の息が少し荒い。急いでいたのだろうか?

 どうして立ち止まっているのだろう?

 

 亜姫がポカンとしていると、思い出したように動き出した和泉が視線を逸らしながら言った。

 「あー………何してんの?」

 

 意味がわからず、亜姫はますますポカンとする。

 

 「………どこまで?」

 相変わらず目が合わないまま、またワケがわからないことを呟く和泉。それを疑問に思う間もなく、彼はサッと荷物を持ち上げてそのまま歩き出した。

 そこでようやく亜姫は我に返る。

 

 「あっ……いいよ、大丈夫!自分で持っていけるから」

 そう言うも、和泉は返事も振り向きもせずサッサと進む。

 亜姫が慌てて後を追いながら倉庫の場所を教えると、和泉がチラッと後ろを向いた。それが返事だと理解する。

 早足で進む和泉を追うと、亜姫は自然と小走りになる。


 頭の中は疑問だらけだ。だが彼の背中を追っていたら、目の前の姿に興味が出てきた。

 

 こんなに勢いよく動いたり…するんだ?

 ホントに大きい。足、長い。髪、ツンツン。綺麗な髪の色。力持ち。簡単そうに荷物を持ってる…腕も長いのかな?手の平は大きそうだったし、指も長かったような…?

 以前見た、プルプルおっぱいに触れていた手を思い出したところで彼の背中が目前に迫る。それに驚いて、動きも思考も急停止した。

 

 ビックリした、突っ込むところだった……。

 

 亜姫が顔を上げると、目の前には倉庫のドア。いつの間にか目的地に着いていたようで、荷物を抱えた和泉がドアの前で立ち止まっていた。亜姫がドアを開けると、彼は無言で室内へ進む。

 

 倉庫と言っても空き教室を物置代わりにしているだけだ。スチール製の棚が均等に配置され、上から下まで隙間なく物が詰まっていた。乱雑に床へ置かれたものもある。

 

 亜姫があちこち見回していると、ドサッと荷物を置く音がした。その音に振り向くと、彼もちょうどこちらを向いたところで…初めて至近距離で視線が絡んだ。

 

 「ありがとう」

 亜姫の声に、和泉が目を見開いて固まった。

 「………………え?」

 「荷物。想像より重くて。分けて運ばなきゃ持てないな、でも荷物置いていきたくないな…って悩んでたところだったの。助かっちゃった!」

 ありがとう!と、亜姫は笑顔で再度お礼を言う。

 

 和泉が、固まったまま更に驚きを見せた。

 

 その顔を見て、亜姫は思い出した。

 「あっ!ごめんなさい!」

 「……………えっ?」

 「あ、あの、少し前に中庭でキーホルダー見つけてくれた…よね?お礼、ちゃんと言えてなくてごめんなさい!あの時はありがとう。

 あと、ヒロ達から聞いてるかなぁ?表情筋鍛える練習したほうがいいんじゃないかって、偉そうに言っちゃったのも……私です……ゴメンナサイ……」

 「…………え…………?」

 ますます驚愕する和泉を、亜姫は伺うように見上げる。

 「えーと…私のこと、挨拶すらまともにできない人だと思ってる…よね……?」

 「えっ………………?」

 「えっ?あれ?だって、違う…?今も、お礼とか謝罪する度に驚いてるみたいだから……あ、あの、もっと前からちゃんと言おうと思ってたから。ホントに」

 困ったな、言い訳してるみたいだけど本当に違うから!と一生懸命伝えようとする亜姫に、和泉はようやく口を開いた。

 「そんなこと、思ってない。…今のも、ちゃんと伝わってる」

 相変わらずつまらなそうな顔ではあるが、和泉はちゃんと亜姫の目を見ていた。

 「よかった!」

 亜姫は嬉しそうに笑う。

 「あ、えっと、今更なんだけど…和泉くん……だよね?私、同じクラスなんだけど……」

 「…………橘だろ?……橘、亜姫」

 その返事を聞いて、亜姫はまた笑った。

 「よかった、知られてた!勝手に話し出しちゃったけど、コイツ誰だ?何言ってんの?って思われてるかも……って、実は途中からちょっと焦りはじめてたの」

 

 屈託のない笑顔で楽しそうに話す亜姫を、和泉はジッと見つめた。しかし、亜姫はそれには気づかない。

 

 「あっ、そうだ!和泉君、さっきどこかに行く途中だったんじゃないの?もう行ってもらっても大丈夫だよ?ゴメンね、寄り道させちゃったよね」

 「あー…………いや……」

 ほんの少し表情を崩し、和泉は困った様子を見せる。そして一瞬の間を空けて、小さな声で言った。

 「ヒロに、頼まれて。……代わりに、来た」

 「え?そうだったんだ!?」

 

 さっき飛び出してきた彼の様子を思い出し、亜姫は多少の違和感を感じる。だが深くは考えず、再度お礼を伝えた。そして頼まれていた荷物もついでだからと一緒に探してもらい、そのまま二人で教室へと戻った。

 


 その日の帰り道、亜姫はようやく言えたと麗華に報告した。

 いきさつを話すと麗華は意外そうな顔をする。

 「麗華?どうしてそんな顔してるの?」

 「いや、思ったよりちゃんと仕事するんだと思って」

 「何それ?普通にいっぱい手伝ってくれたよ、助かっちゃった!」

 

 麗華は、和泉が係決めの時に寝ていたことを知っている。こういう仕事に対してやる気がないということも。

 彼は何かを決める際に人の思惑が絡むのを鬱陶しがっている。なので、最後に余った枠を埋めるようにしているのだという。

 しかし、まともにこなしたことは一度もない。琴音は彼がマジメになったと言っていたが、麗華は信じていなかった。

 今回も同じやり方で決まった彼の係は、そもそも亜姫と関わるものではない。ヒロに頼まれたとはいえ、ちゃんとこなしたことは意外だった。

 

 目が合うと聞いて以来、麗華は和泉を密かに観察していた。

 なぜなら、和泉が亜姫に興味を持っていると疑ったから。あんな節操無しが亜姫に手を出そうとしているなら、容赦なく潰すつもりでいたから。

 注意深く見ていると、やはり亜姫を見ている。亜姫の言っていた通り、熱さを持った視線で。ただ、その視線に懸念していたような性的要素は感じられなかった。

 しかし、この先も異なる熱を孕まないという保障はない。多少の危機感を持って和泉を見ていた麗華には、今日の彼が取った行動は意外なほど紳士的に見えた。

 

 変わったと言うのは、あながちウソではないのかも?

 亜姫に本気…なワケはないか。まず接点がない。彼が好むタイプと亜姫は余りに違いすぎるから、そもそも有り得ない。

 どちらにせよ、今の時点で亜姫に害をなすとは言えない。しばらく様子を見るしかないわね。

 

 麗華がそんな事を考えているなんて亜姫は全く気づいていない。伝えることなど、もちろんしない。 

 

 「思ったより普通に話せた」と和泉への好印象を口にして楽しそうに笑う亜姫を見て、こっちも様子見かしらね…と、麗華は小さな溜息をついた。

 

 

 

 ◇

 「早く行け!」

 

 放課後、早々と行事の準備が始まったらしい。

 席を外していた和泉がガヤつく教室に戻ると、ヒロにいきなり急かされた。

 

 そもそも、係決めの時に寝ていた和泉は自分の係すらまだ把握していない。そんな中、唐突にそんなことを言われても動けるわけがない。

 ワケがわからぬまま廊下に追い出されると、ヒロが小声で囁いた。

 「俺、亜姫と同じ係。でも、今行けないから。お前が代わりに行って」

 「……………………は?」

 「亜姫、一人で倉庫に向かった。スゲー重い荷物だから、今頃困ってるはず。いいからとにかくスグ行け!」


 何かを言い返す暇もなくヒロにドつかれ、和泉は渋々歩き出した。

 

 いや、無理だろ……無理だって。いきなり行ってどーしたらいいんだよ。つーか、ヒロが担当なのに俺が行っても……。

 

 頭が混乱する。行きたくない。逃げ出したい。

 目の前に立つ勇気も心づもりも、未だに出来ていないのに。

 

 そう思っているのに、亜姫が重い荷物に困り果ててる様子が頭の片隅に浮かび……気がつけば、急ぎ足の自分がいた。

 

 このクラスは準備開始がかなり早いらしく、放課後の廊下はまだ静かなものだ。自分の足音が妙に響く気がする。

 いや、違う、これは自分の心臓の音か…?

 

 気が急くまま倉庫に続く廊下へ飛び出すと、目の前に荷物を置いて蹲る亜姫がいた。

 

 ここで会うとは思っていなかった。

 

 視界いっぱいに亜姫が映る。

 その目が確実に自分を写している。

 その現実に、動きも思考も急停止した。

 

 自分の心臓の音がやたらバクバク言う。それだけしか聞こえないと思った耳に、

 「びっくりした…」

 と可愛い声が飛び込んできて……それを合図に、全てが再稼働する。

 

 ポカンとしてこちらを見上げてくる亜姫を、とてもじゃないが直視できない。でも、今さら知らんぷりもできない。

 混乱する頭でワケのわからない言葉を吐いた。

 間が持たなくて、亜姫の目の前にある大きな荷物を持ち上げ、逃げるように歩き出す。

 

 亜姫が自分に向かって話しかけてくる。

 

 無理。何を言ったらいいかわからねぇ。

 

 聞こえないフリをして足を進めると、後ろから倉庫の場所を教えてくれた。自分の態度の悪さに後ろめたさが出るが、やはり大した反応は出来ず。

 背後に感じる亜姫の気配と視線に意識が集中したまま、足だけがどんどん先に進む。自分に付いてこようとする小走りの足音も聞こえていたが、速度を緩めるなんて出来なかった。

 

 どうしたらいいかわからないまま、倉庫に荷物を降ろす。

 

 半ば無意識に振り返った。

 そして真っ直ぐこちらに向く亜姫と目が合い、また思考が停止した。

 

 目の前には真顔の亜姫。

 嫌がられては、いないのだろうか…。

 

 そんなことを思った時、亜姫の口から飛び出した言葉。

 最初は意味がわからなかった。 

 お礼を言われたのだと理解したのは、亜姫の笑顔を見た後だった。

 

 亜姫が、笑った?……俺に向かって…………?

 

 信じられなかった。

 嫌われているハズだった。

 

 今見ているものが現実だとは思えず、ただ亜姫の笑顔に釘付けになる。

 

 その間も、亜姫からは次々と言葉が産み出されていく。そのどれもが自分を非難するものではなく……話しながら何度も笑いかけてくれる光景と自分の口が亜姫の名を紡いだことに気が付き、ようやくこれは現実だと理解した。

 

 亜姫が、目を合わせて自分の名を呼ぶ。

 たったそれだけのことに、感動で全身が震えた。

 

 会話になったかどうかすらあやしい、短いやりとり。出来たのはそれだけ。

 

 それから、亜姫に頼まれるまま必要な手伝いをして、成り行きで教室まで一緒に戻る事になった。

 その間も、会話など一切なかった。

 

 さっきよりは速度を緩めて、けれど亜姫の一歩前をひたすら無言で歩く。教室に戻ってからはそのまま離れ、目も合わせなかった。

 しかし、無言で歩いたその時間…気まずいハズのその空気が、なぜだかとても心地良く感じた。


 教室へ戻ると、その日の作業は終わりということですぐ解散となる。

 そこでヒロ達に捕まった和泉は、聞かれるままに事の次第を吐き出した。

 

 「俺とお前の係、交換したからな」

 

 和泉は愕然とした。何故だと詰め寄ったが、ヒロはもう変更は決定事項だと意地悪そうに笑う。

 「嫌われてなかったじゃん。俺達の言った通りだったろ?」

 「和泉にしちゃ上出来」

 「いや、これが続くとか…無理だって……」

 相変わらず弱気な和泉に二人が笑う。

 「お前なぁ、いつまでも無理無理言ってんじゃねーよ。腹くくれって言っただろ?」

 「大丈夫だよ、和泉がシカトしてても亜姫は勝手に好いように解釈して会話は続くから」

 「今日のアホっぷりもスゲぇよな。まさか、挨拶しないヤツだと思われてるって勘違いしてたなんてさ」

 亜姫らしいと二人は笑う。

 「で?実際話してみて、どうだった?」

 「………メチャクチャ、可愛かった。声も、すげぇ可愛い……あの話し方はなんなんだよ……可愛すぎるだろ……マジで、可愛い……」

 

 そんな感想聞いてんじゃねぇよ、他の単語知らねぇのか!というツッコミを和泉は聞き流す。 

 「笑ってた。……あの顔で俺を見て、笑ってくれた。あの声で、俺の名前を呼んだ。

 マジで信じらんねぇ……。これ、ホントに現実かよ……?夢じゃねぇ……?」

 和泉はソファーに寝転び、両手で目を覆う。瞼の裏に、先ほどの亜姫がハッキリと映し出された。

 

 「間違いなく現実だよ。夢、叶ったね」

 「次の目標、立てろ。これは夢じゃねーんだ。明日から、本当に亜姫と仕事すんだからな」

 

 逃げんな、顔見て話せ、ちゃんと返事しろ、と二人から散々説教を食らった和泉は、翌朝まで悩んだ末にようやく亜姫と向き合う覚悟を決めた。

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