第15話 3月(2)

 ある昼休み。

 和泉達三人が中庭を通りがかると、何かを必死に探している亜姫がいた。

 

 突然現れた亜姫に、和泉はその場で固まる。

 そんな和泉を戸塚に任せ、ヒロは近付いて声をかけた。

 「亜姫?何してんの?」

 

 振り向いた亜姫は、珍しく笑っていなかった。

 「キーホルダー、探してるの」

 

 麗華とお揃いで買ったキーホルダー。かわいいチャームと名前のイニシャルがついた小さなもの。

 普段からお守り代わりにしていて、亜姫が一番大事にしている物だと言う。

 

 「麗華と琴音は?」

 「今、二人で校舎を探してくれてる。落とすとしたら、この辺りだと思うんだけど…」

 

 沈んだ様子の亜姫を見て、ヒロと戸塚も辺りを探し出した。

 

 「悪いからいいよ、自分で探すから…」

 「皆で探した方が早いだろ?いいから、ほら探せって」

 探し物に気がいってる亜姫は、近くに和泉がいるとは気づいていなかった。

 

 その和泉はというと。

 話は聞こえていて、気にはなっていた。とは言え一緒に探すなんて出来るわけもなく。所在無さげにその場で佇み、戸惑いがちに辺りを見回す。

 すると、すぐそばにキラリと光る物。

 拾いあげて確認すると、近くにいたヒロを呼び寄せた。

 

 「…これじゃない?そこに落ちてた。お前から渡してやって」

 和泉が渡そうとしたらヒロは受け取らず、代わりに大きな声を上げた。

 「亜姫!見つかった!」

 

 「おい、何言ってんだやめろ」

 焦った和泉が静止を促すが、ヒロは無視する。

 

 「これだろ?」

 ヒロは和泉の手元を指差しながら手招きする。和泉が逃げ出さないように、反対側の腕をガッシリと掴んで。  

 

 

 小走りで亜姫が近づく。

 手元に視線を固定していて、そこに立つのが誰なのかは意識していないようだ。

 

 「あっ!コレ!」

 目を輝かせた亜姫の手に、キーホルダーが勢いよく落とされる。それを受け取め、亜姫は初めて顔を上げた。そして、拾ってくれた相手にお礼を言おうとしたのだが。

 

 彼は反対側の手をバッと振り上げ、そっぽを向いてそのまま行ってしまった。


 「あれ…?もしかして、イズミとやら…?」

 遠ざかるその後ろ姿を見て、亜姫はようやく気づいた。

 

 「あー……悪い。和泉、今は女を避けてるから。

 態度悪く見えたかもしれないけど…お前が嫌だってワケじゃないから…気にすんなよ?」

 ヒロが気遣うように声をかける。  

 「あ、うん。全然気にしてないから大丈夫!後でありがとうって伝えておいてくれる?」

 

 亜姫は本当に気にしてないようだ。見つかってよかった!と純粋に喜んでいる。

 

 そこへ戸塚が近づいてきて、突然問いかけた。

 「亜姫って、和泉の事をどう思ってるの?」

 「へ?」

 「あ、いや……。女は皆、和泉を見たら好きとか嫌いとか…何らかの感情を持つのかと思ってたからさ。亜姫の興味無さそうなその反応が…意外で」

 

 亜姫の意外な様子に、戸塚はつい気になっていたことを口走ってしまった。けれどあまりにもストレートに聞きすぎてしまい、動揺して口ごもる。

 

 亜姫は唐突な問いかけにポカンとしていた。 

 「……イズミとやらをこんな間近で見たの、初めて」

 「え?今まで会ったことないの?」

 戸塚は知らないフリをして訊ねる。

 

 「あー、うん、えっと…近くで見たことが一度だけ、ある…かな。でもそれは一瞬だったし、会うことも殆どなかった」 

 「あいつ、イケメンだろ?男から見ても、和泉ってかなりいい男なんだけど」

 「つまらなそうな顔してる人だな、って」

 「は?」

 「あと、目の前で見るとすごく大きいんだねぇ」

 「……それだけ?亜姫って…和泉に興味が無いんだ?」

 「興味……?あっ!あるある!いつもつまらなそうな顔してるから、どんな顔して笑うのかスゴく気になってる!」

 

 予想外の回答ばかりする亜姫に、二人は返す言葉が出て来ない。

 

 亜姫は、和泉を嫌っていたんじゃ…なかったっけ…?

 

 彼のイメージを少しでも払拭できたら…と、偶然出来たこのチャンスを生かすべく、和泉と接触させたのだ。この会話も同じ意図で進めた──つもりだったのだが。

 二人の頭の中は疑問だらけだ。

 

 そんなことに気づくはずもない亜姫は、楽しそうに話を続ける。

 「琴音ちゃんが言ってた。最近は少し笑うんだってね。良かったね、やっぱり笑える人生の方が楽しいもんね!

 さっきその顔を見られなかったのは、ちょっと残念だったかも…」

 そう言う亜姫から、和泉への不快や嫌悪は全く感じられなかった。

 

 唖然としたままの二人に、

 「表情筋の話もホントに失礼だったよね。改めてゴメンなさいって伝えておいてね!二人とも、一緒に探してくれてありがとう!」

 そう言い残して、亜姫は足取り軽く教室へと帰っていった。

 

 「え?…どういうこと?」

 「……嫌ってたんじゃなかったの?」

 二人で顔を見合わせる。

 

 「和泉……嫌われてないんじゃない?」

 

 

 

 ◇

 逃げ出した和泉は、屋上の片隅で脱力して小さくなっていた。

 ヒロ達がその前に仁王立ちして怒る。

 「何であんな態度取るんだよ、話せるチャンスだったのに」

 「あんなの、無理に決まってるだろ……」

 

 和泉は突然近づいてきた亜姫に耐えられず、ヒロの手を振り払ってあの場から逃げだした。

 

 「情けねぇな。モノ一個、渡すだけだろーが」

 「いきなり逃げ出すな。あれじゃ逆に印象悪い」

 「せめてちゃんと受け取れたか確認してから行けよ、投げ捨てるみたいな渡し方しやがって」

 

 次々飛んでくる詰りの言葉に言い返すことも出来ず、和泉はますます小さくなっていく。

 

 今まで、近くで見ることなどなかった。なのに、いきなり至近距離にいるなんて。そんなこと、考えもしなかった。

 

 その上、こんな事が起こるとは。

 

 あの子の…亜姫のだとわかるモノを、手に取るだけで震えた。

 いつか……と夢には見たものの、実際に亜姫と関わることなんて起こり得ないと思っていた。いや…そんな想像をする余裕が自分に無かっただけかもしれないが。

 なんにせよ、会う覚悟も心の準備もまるで出来ていなかった。

 

 なのに、目の前にぐんぐん迫る亜姫。

 手元だけを見て走る姿が初めて見た時と重なり、あの時と同じように亜姫しか見えなくなった。

 

 目の前に立ち、声を上げている。その動きを妙にゆっくりとした映像として見ていたが、その亜姫が顔を上げようとした瞬間、一気に現実へと引き戻された。

 

 気がついたら逃げだしていた。

 

 また、あの軽蔑の眼差しを向けられたら。

 亜姫の顔に嫌悪感が浮かんだら………。

 怖くて、目を合わせる勇気など出なかった。

 

 それと。

 現実の亜姫を目前にした途端。溢れ出した亜姫への気持ちが、自覚していたより遥かに大きくて…自分で自分の感情に怖じ気づいてしまった。

 

 「……好きすぎる。なんかメチャクチャいい匂いしたし…あんな間近で顔見るなんて出来ねぇよ……そんな事したら死ぬ」

 

 頭を抱えて情けないことを言う和泉に、二人は呆れる。

 

 「香水臭い女、散々食ってきただろ。今さら匂いがなんだっつーんだよ」

 「童貞か」

 そんなんじゃ亜姫を手に入れる日なんて一生来ねーぞ!と叱責されるも、和泉は先ほどの亜姫で頭がいっぱいでソレどころじゃない。

 

 

 「お前、可能性あると思う」

 不意に落ち着いた声が聞こえ、和泉は顔を上げた。

 「……え?」

 「亜姫、お前のこと嫌ってないと思う」

 

 それから、先ほどの話を聞かされた。

 

 亜姫の反応は、和泉にとっても衝撃的だった。だとしても、昔のアレを無かったことに出来るほど前向きにはなれない。

 

 亜姫からのお礼や、自分への興味。 

 どこか夢見心地だった亜姫という存在が、本当に現実のものとして目の前に現れた。

 そのことに理解が追いつかず、ますます怖じ気づいて逃げたくなる。

 

 ヒロと戸塚は良かったなと言うが、急に天地がひっくり返ったような気がした。これまで以上にどうしたらいいかわからなくなって、和泉はますます混乱することになった。

 

 

 

 ◇

 「和泉」

 熊澤が歩く和泉を呼び止めた。こっちに来いと手招きされ、和泉は大人しく熊澤の隣に腰を下ろす。

 

 「お前、最近いい顔になった」

 柔らかい声で熊澤が言った。

 

 裏庭で会った時、自分はそんなに酷い顔をしていたのだろうか。

 

 「アンタのおかげで、だいぶスッキリした。感謝してる」

 「俺はなんもしてねーよ。話してる中で、自分で整理つけたんだろ?」

 

 そう言って笑う熊澤はやはりカッコイイ。見た目の男らしさもだが、内側から滲み出るカッコ良さがある。同じ男だが、つい横顔に見惚れていると。


 「女だろ」

 不意に、熊澤がこちらを向いた。

 「………え?」

 「和泉が手に入れたいもの。……女だろ?」

 「……なんで」

 「俺さぁ、前から和泉のことはよく見かけてたんだよ。

 お前、いつ見てもつまらなそうだった。なんつーか…なんも見てねぇヤツだなって思ってた。

 実際、お前は何も見えてなかったんじゃねぇの?何してても投げやりっつーか…しょうがなく呼吸だけしてる、って感じだった。

 そんなお前が、ある日突然女を避けるようになって生活一変させて、見る度に目に力が宿っていってさ。

 和泉、自分で気づいてるか?今までのお前は、目を合わせることすらロクにしてなかった。なのに今は、こうやってちゃんと相手を見てる。

 あの日偶然会っただけの俺に、あんな風にお前から問いかけてくるなんて…以前のお前だったら有り得ない。だって、お前は自分のことすら興味無いって感じだったんだから。

 そんなお前がそこまでしても欲しい物なんて、惚れた女以外考えられないだろ」

 

 スルッと心の中に入り込んでくる熊澤に、驚きを隠せない。和泉が唖然としていると、

 「で?手に入りそうか?」

 と、更に踏み込まれた。

 

 和泉は返事に詰まる。

 

 すると熊澤が笑った。

 「何やってんだよ。あれだけハッキリ答えが出てたのに、まだ動けねーの?」

 「そんな簡単な話じゃねーし……」

 「好きな女って誰だよ?この学校のヤツ?」

 

 前と同じく熊澤のペースに乗せられ、それがまた心地良いと思ってしまった。和泉は、つい色々と話してしまう。


 自分の過去のこと。

 好きな女とは亜姫のことで、嫌われてたこと。

 つい最近、それは違うんじゃないかと聞かされたこと。

 だとしても、動く勇気は出ないこと。

 自分の気持ちにも現実に起きてることにも、怖じ気づいていること。

 

 「でも、一番悩むのは…やっぱり自分に自信がない。俺の過去は、恋愛には致命的だし…」

 「まぁ、な」

 

 熊澤に肯定されてしまうと、過去の事実がまた一段と重くのしかかる。

 

 「でも、亜姫だからなぁ」

 「……どーゆー意味?」

 「亜姫は、くだらない事は気にしない」

 「くだらない事?」

 「亜姫にとって、過去は過去でしかない。アイツは前しか見ないから」

 「どーゆーこと?」

 「超ポジティブってこと」

 「ぜんっぜん、分かんねぇ」

 

 頭を掻きながら不貞腐れる和泉に、熊澤は声を上げて笑う。

 

 「亜姫はな、人のいいとこを見るんだよ。逆に言えば、良いとこしか見ない。

 悪いとこなんてその人のほんの一部分でしかないし、気持ち一つで変えられるもんだと信じて疑わない。

 基本、人には良いところしかないと思って生きてる。まぁ、おめでたいヤツってことだな」

 だから、そんな過去を持ったお前にもチャンスは充分ある。と熊澤は言った。

 

 「じゃあ、俺はこれからどうすればいい?」

 と思わず縋ってしまったが。

 

 「考えろって、この間言っただろ?俺が教えられんのはここまでだよ。

 どうしたら良いかわかんないなら、また裏庭に行け」

 そう言って、彼はまた笑った。


 まだ、亜姫と関わる度胸などない。

 急激に変わっていく日々に怖じ気づく、その気持ちからはやっぱり逃げ出したい。

 でも、もっと変わらなくては。

 変化を恐れるな。

 現実を、ありのまま受け止めよう。

 そう出来るように強くなろう。

 いつか、笑いかけてもらえるように。

 

 和泉はそう決めて、また過ごしていった。

 

 この時、和泉は自分の気持ちに向き合うことで精一杯だった。この先、この間のように……急に状況が変わる可能性があると言うことを完全に失念していた。

 

 近々、全てが大きく変わることになるなんて……想像すらしていなかった。

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