第13話 2月(2)
学校の隅にある小さな裏庭。和泉はそこにいた。
古びた石の長椅子が一つだけ置いてある。
生徒立入禁止と書かれたエリアの最奥にあり、人が立ち寄らない穴場の場所だ。和泉は一人になりたい時、そこを使っていた。
視界を遮断するように顔の上へ両腕を乗せる。和泉は長椅子の上で力なく寝そべっていた。
久々に授業サボったな。ここに来るのは随分久し振りだ。
ここ、こんなに寂しい場所だったっけ…?
今は五時間目。和泉は、全てから逃れるようにここへ来た。
あーダメだ、思ったよりダメージあるかも……。
一番キツかったのは昨日だ。熊澤って男とあの子の話。
頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
ついさっき、それが誤解だったとわかり…脱力するほどホッとしている自分に腹が立つ。
……資格ねぇって言ってるだろ。
ヒロ達にあんなこと言ったけど、全然割り切れてねーじゃん。諦め悪いな、俺……。
自分が隣にいない想像はしていた。それは割り切れていたハズだった。
でも、あの子の隣に誰かが立つ想像は一度もしたことがなかった。
そんな事は起きないと勝手に思っていたのか…。
それとも、まだどこかで望んでいたのか…。
そんな自分にウンザリする。
もしも、過去がやり直せたなら…。
「おい」
突然間近で聞こえた声に思考が途切れた。だが、人が来ると思っていなかったので頭がうまく切り替わらない。和泉はしばしボーッとする。
「おい、具合が悪いのか?手助け、必要?」
顔に乗せた腕をグイッと引かれ、一気に視界が明るくなった。
「いや、大丈夫……」
和泉は気怠そうに体を起こすと、声の主を見た。
目の前に立つ、屈強そうなガタイのいい男。見た目は厳ついが声が優しかった。
「ふーん?あんまり大丈夫そうには見えねーけどな?」
彼はそう言うと、和泉の隣へ迷いなく腰かけた。
「……え?ここに座んのかよ?」
和泉が驚くと、彼はこれまた何でも無いことのように言った。
「ここ、俺の隠れ家。誰にも会ったことなかったのに先客がいて驚いた。
休みたくて来たんだ。椅子はこれしかねーんだから俺にも座らせろ」
「……別にいーけど。俺も、ここで人に会ったのは初めて」
彼があまりにも普通に接してくるので、和泉もつい同じように話してしまう。初めて見る相手に変な感覚だったが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「アンタ、なんかスポーツやってんの?」
「なんで?」
「や、ガタイ良すぎだし…」
あぁ、と彼は笑った。
「柔道。小さい頃からずっとやってる」
「ああ…そんな感じする。スゲー強そう」
すると、彼はハハッと笑った。
「そうでもねーよ?どんだけ頑張っても、必ずもっと強いヤツがいてさ。けっこう負ける」
「負けたらどーすんの?」
「悔しがる」
和泉は思わず笑ってしまった。
見るからに強そうな男が軽い口調で言う言葉。とてもじゃないが言葉通りには受け取れない。
「なんで笑うんだよ」
彼は文句を言うでもなく、軽い口調で続ける。和泉はまた笑った。
「悔しがるとこが全然想像できない」
「なんでだよ。負けたら悔しい。当たり前のことだろ?勝ちたいと思って勝負に出てんだから」
「あー…だな。悪い、馬鹿にするつもりはなかったんだけど」
口調は淡々としているが、真っ直ぐな彼の目に真剣さを感じる。なので、和泉は素直に謝った。
「別に謝ることじゃねーけど。お前は?ないの?負けたくないとか悔しいって思うこと」
不意に聞かれて和泉は戸惑う。
「……俺は…あんまり…色んなこと考えずに生きてきたから。…よくわかんねぇ」
「じゃあ、今考えてみろよ」
「……え?」
和泉は、変わらず淡々と話す彼を見た。
真っ直ぐ向けられた視線が、軽い口調で放たれた言葉と共に和泉へ突き刺さる。
「わざわざ授業サボってここにいるって事は。考えたくない事か、逆に考えすぎてる事があるんじゃねーの?
俺は、そーいう時にここへ来るんだけど。お前は違うの?」
「アンタは?なんでここに来たの?」
和泉は返事をせず、逆に問い返した。
「俺?俺は…さっきの話じゃねぇけどさ。
叶えたい夢があんだよ。でも、勝てない相手がいる。
試合のことだけじゃねぇよ?もちろん相手についてもだけど、なんつーか…自分が乗り越えなきゃいけないもの?プレッシャーだったり、やりたくない事だったり…逆に、やりたいのにどうしても出来ない事だったり…そもそも何をしたらいいかわからなくなる時とか。
そーゆーのに心が折れそうになったり諦めたりしたくなると、ここへ来るんだ」
「来て、どーすんの?」
「整理する。自分の頭ん中。あと…気持ち?
何がしたいか、何をすべきか。何がイヤなのか…とか。
ひたすら考えて、結局俺はどーしたいのか。そこに行き着くまで考えるかな」
「答えが出ない時はどーすんの?」
「考えんのやめる」
「は?」
「ここで答えが出ない時は、迷ってる時だから。
何に迷ってるかだけ見つけて、しばらく気の向くまま動く。そしたら、だいたい答えが見つかる。俺の場合はね」
「へぇ……」
「お前は?なんで来たの?」
いつの間にか、和泉は彼に心を開いていた。考えろと言われるまま、素直に考えてしまっている。だがそんな自分に気づかず、和泉は思うまま言葉にした。
「逃げたかった…から、かな…」
「何から?」
「…………叶わないとわかってることを……望む自分から…?って、そんなの無理か、自分から逃げるなんて」
「いや、俺も逃げたくなる時あるよ」
「アンタも?そんな時があんの?」
「試合が始まる前、よく思う」
「へぇ……」
「俺がもっと強かったら勝てるのに、とか。相手がもっと弱いヤツならよかったのに、とか。
相手が強ければ強いほど、一度は現実逃避する」
「そのあと、どーすんの?」
「なんで逃げたくなるんだと思う?」
逆に質問が返ってきた。和泉は考えてみる。
「自分に、自信が無いから…?」
「そう、当たり。それなんだよな。
手に入れたいものは決まってる。
でも、手に入れる自信が無い。
だったら、自信がつくように努力すればいい。
それまでは、今の自分に出来ることを必死でやるしかない。
結局、そこに行き着くんだよ」
その繰り返しだよ、いつも。
そう言って彼は笑った。
「いつまでも自信がつかない場合は?もしくは…そんなこと考えられないぐらい、絶対叶わないとわかってることだったら?」
気づけば、そんな問いが和泉の口から勝手に出ていた。
思わず顔を上げると、興味深そうに眺める彼と目が合った。
「絶対ムリだと、わかったとして。
諦められんの、それ?」
「……………無理」
「なら。何をすれば叶うのか、ひたすら考えるしかねーよ。
だって、お前の気持ちはもう固まってる」
「え?」
和泉の目を見て、彼はハッキリと言った。
「答え、もう出てるじゃん。
お前はソレを手に入れたいんだよ。何を手に入れたいのか知らねーけど。
お前にとって、ソレが『他のヤツに負けたくない、取られたら悔しい』と思うもんだってことだ」
そして、彼は声を出して笑った。
「そもそも、逃げてどーにかなるような事だったらこんなとこまで来ないんだよ。俺もお前も」
ポカンとする和泉を見て、彼は面白い物を見つけたような顔をする。そのまましばし眺めていたが、和泉がいつまでも固まったままなのでとうとう笑い出した。
「はー、まったく。お前と話してたら、答え出ちゃったじゃねーか。考えながらノンビリするつもりだったのに。
ほら、お前も結論出たんだろ?帰るぞ。今なら次の授業に間に合うだろ」
そう言って立ち上がった彼につられて、和泉も歩き出した。
◇
変な人だった。けど、なぜか妙に話しやすくて…年上だよな…?
教室へ向かう和泉は、名も知らぬ彼を思い出してちょっと笑う。
さっきの会話が強烈に自分を揺り動かしていた。
でも不快じゃない。何とも言えない、気持ちいい揺れ。
──考えてみろよ。結局どーしたいのか──
──絶対無理だとわかったとして。
諦められんの、それ?
なら、何をすれば叶うか考えるしかねーよ──
──答え、出てるじゃん。
お前は、それを手に入れたいんだよ。お前にとってソレは、『他のヤツに負けたくない、取られたら悔しい』と思うもんだってことだ──
そうか。
諦めたくないんだ、俺は。
──手に入れたいものは決まってる。でも、手に入れる自信が無い。だったら、自信がつくように努力すればいい。
それまでは、今の自分に出来ることを必死でやるしかない。その繰り返しだよ、いつも──
──答えが出ないときはどーすんの?
考えんのやめる。ここで答えが出ないときは、迷ってるときだから。
何に迷ってるかだけ見つけて、しばらく気の向くまま動く。そしたら、だいたい答えが見つかる──
手に入れたい。他のヤツに取られたくない。
でも、今は自信も方法もない。
それでいい。どうしたらいいか分かるまでは。
いつか、現実に存在する「橘亜姫」に笑いかけてもらう。
それが、今ハッキリと言える叶えたい夢。
あの子が好きだ。あの子を諦めない。
今は、それだけわかっていればいい。
なんだ、簡単なことじゃん。
俺は「あの子」を好きなままでいいんだ。
「なんだ、そっか。……スゲーな、あの人」
初めて会ったにも関わらず、妙な存在感を残していった彼に感謝する。
和泉はスッキリした気分で教室へと戻り。その日のうちに、ヒロと戸塚に自分の気持ちを話した。
今すぐ何をするわけではない。
今出来る事は、いざという時に恥ずかしくない自分になること。
まずは、そこから。
◇
「おー、和泉!元気そうだな?」
突如後ろから響いた声に、和泉は振り向いた。
「ッ、アンタ!何で俺の名前…」
それは、昨日裏庭で会ったあの男だった。
困惑する和泉にその男はニヤリと笑いかける。
「お前、有名だから」
そう言うと、唖然とする和泉の肩をガシッと掴み少し端へ寄せた。その耳元で彼は囁く。
「お互い、うっかりヘタレな姿見せちゃったってことで。昨日の事は二人だけの秘密な」
和泉が無言で顔を見ると、彼は昨日と同じ顔で笑い、手をヒラヒラ振りながら去って行った。
横にいたヒロ達が呆然とその背を見送っている。
「和泉……知り合いだったのかよ?」
「え?あぁ、いや、ちょっと…」
彼と会ったことは話していなかった。昨日の話は、なんとなく自分の胸にしまっておきたかったから。
「お前らこそ、あの人のこと知ってんの?」
「おい、お前…知らないのにあんなに仲良くなってんの?」
「いや、別に仲いいってわけじゃ…」
「熊澤先輩だよ」
「………え?」
「あの人が、亜姫と噂になってた熊澤悠仁先輩」
………………ウソだろ?
和泉は呆然とする。
カッコイイよな。と言うヒロの言葉に、和泉は頷くしかなかった。
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