第11話 1月

 「わぁっ!!」

 亜姫は手にしていた物を床に落とした。衝撃でペンケースの中身が散らばる。

 人がまばらな放課後と言えど、ここは昇降口。亜姫はぶちまけた物を慌てて拾う。

 

 「お前、またかよ」

 呆れた声が聞こえて、亜姫は顔を上げた。

 「先輩!!」

 満面の笑みが零れる。

 

 あの日以来、時々会う熊澤とよく話すようになった。

 一人っ子の亜姫にとって、熊澤は初めて出来た兄のような存在だ。彼の方も、何かと危なっかしい亜姫をなんだか放っておけない。

 

 「亜姫、昨日も落としたパンを拾ってもらってただろ?」

 「どうして知ってるの?」

 「屋上から見えてた」

 「うわっ、恥ずかしい!」

 「そう思うなら、落とさないようにしろよ」

 熊澤は笑いながら拾うのを手伝う。

 

 「先輩は?どうしてこんな時間にココにいるの?部活じゃないの?」

 「あぁ、今日は部長会議だけだったから」

 「先輩、部長なんだ?」

 「一応な。お前は?麗華と一緒じゃないのか?」

 「私は日直の仕事があって。麗華には近くのお店で待ってもらってるの。でも思ったより早く終わったから、急いだら追いつくかなと思って慌てちゃった」

 散らばる荷物を見ながら、亜姫はヘヘッと笑う。

 

 熊澤は再び呆れた顔を見せた。

 「お前、本当にそそっかしいよな。よく躓いてるしさ」

 「あ、それ麗華にもよく言われる。ボーっとしてるからだって怒られるの。そんな事ないのに!」

 「いや、麗華が正しい。俺が見てても、お前はボンヤリと歩いてる事が多い。いつも別のこと考えながら歩いてんだろ?俺の妹と同じ」

 熊澤がクツクツと笑う。

 「先輩、妹がいるんだ?今、いくつなの?」 

 「来月で7歳」

 「スゴい年の差!まだ幼いね、可愛い?」

 「メッチャクチャ可愛いよ。親が共働きでさ、小さい頃から俺が面倒見てきたんだ。そのせいか親より俺に懐いてんの。マリナは絶対、嫁に出したくねぇ」

 

 心底イヤそうな顔をする熊澤に、亜姫は笑う。

 

 「それ、お父さんが言うセリフだよ。マリナちゃんて言うんだ?」

 「そう、片仮名でマリナ。元気すぎてさ、落ち着きがなくて危ねぇから目が離せないんだよ。お前とソックリ」

 

 落ち着きがないなんて失礼な!と膨れる亜姫に、熊澤が言った。

 「そうだ、お前このあと時間ある?今からマリナの誕生日プレゼントを探しに行くんだけど、アイツちょっとマセてて。何がいいかわかんなくて困ってたんだよ。ヒマなら買い物に付き合ってくれねーかな?」

 

 言葉の端々に妹愛が溢れる熊澤の困った顔。亜姫はつい頬が緩んでしまう。

 

 「うん、いいよ。先に麗華と待ち合わせしてるとこに寄ってもいい?麗華、プレゼントを選ぶの上手いんだよ」

 「マジか、それはスゲェ助かる」

 「マリナちゃんのこと、大好きなんだね」

 「好きっつーか、超愛してる。何してても可愛くてたまらねぇんだよ。厳しく叱ることもあるんだけどさ、ついつい構っちまうんだよなぁ」

 「じゃあ、張り切って探さないとだね!なんだか楽しくなってきちゃった、早く行こう!」

 「おい、転ぶなよ」

 

 浮かれ気分の亜姫は、言われたそばから思い切り躓いた。

 勢いよく倒れていく亜姫を、熊澤が後ろから抱き抱えて止める。

 「っ、危ねーな!だからちゃんと前見ろって」

 

 腰に回された優しい手。耳元で聞こえる愛情がこもった声。近い体温。

 亜姫は思わず、フフッと笑った。


 「笑ってんじゃねーよ。気をつけろって何回言われたらわかるんだ」

 熊澤に叱られているのに、亜姫は楽しそうに笑った。

 「マリナちゃんにもよくこうしてる?なんだか、慣れてるよね」

 「あぁ。マリナは転ぶだけじゃなくて、道にも飛び出すからな。気が気じゃねぇよ、いつも」

 「やっぱり!でも、先輩と一緒だから気が緩んでるのかもよ?私はそうだもん。何かあっても大丈夫な気がしちゃう」

 「なんだよ、じゃあマリナの落ち着きがねぇのは俺のせいって事?」

 

 亜姫にせがまれた熊澤は、妹の写真を見せながら麗華の元へ向かった。

 

 

 

 ◇

 「ねぇ。和泉って、すっごくマジメなんだって」

 携帯を見ていた亜姫の前で、琴音がポツリと言った。

 

 「マジメ?」

 

 イズミとやらを表現するには似つかわしくない言葉。亜姫は携帯から手を離して琴音を見た。

 

 「うん、そう。これまで面倒くさがったりサボったりしてた授業とかも、ちゃんと取り組むようになったらしい。やる気がなかっただけで実は何をさせても人より出来ちゃうんだよ、和泉って。

 ホントに、出来ない事なんて無いらしいよ。普通のスポーツはもちろん格闘技とかも得意らしくて、もし和泉が本気で喧嘩したら勝てるヤツいないかもって。これは地元筋からの確かな情報。どうやら、大人に混じって色々習ってるみたい。そこに参加したことがあるって人が、やっぱり人目を惹いてたって言ってた」 

 

 そんなに沢山の才能を持ってるのに、笑える顔だけが手に入らなかったのかな…。

 亜姫は、例のつまらなそうな顔を思い浮かべる。

 

 「やっぱり、女で変わったのかしら?」

 麗華が呟いた。

 「あぁ、あの噂…。結局、あれからどうなったんだろう?」

 「なんもわかんなかった」

 琴音が溜息をつく。

 「外に女がいるんじゃないかって尾行した子もいたらしいけど、全然そんな感じはなかったらしい。最近は男子が和泉とつるむようになって、ますます特定不能。そんな話は元から無かった、ってことになってる」

 「随分、校内も落ち着いたわよね。一時期は毎日うるさかったし」

 「イズミとやらを好きだった子達って、今はどうしてるんだろう?あの光景、懐かしいなぁ…」

 

 この先、あれほど圧巻な光景を見られる日は来るだろうか……。亜姫はあの日見たプルプルおっぱいの大群を思い出していた。

 

 「それがさ。イズミ人気、大爆発」

 「へ?」

 亜姫の頭を埋め尽くしていたおっぱいが、パチンと弾けた。

 

 琴音が言うには。

 女と一切関わらなくなった和泉。日常生活は品行方正に。委員会活動など、やるべき仕事はサボらず黙々とこなす。

 勉強も運動も万能。成績は総じて優秀、スポーツをやれば何をしててもやたらサマになる。

 普段の無気力な様子からは想像できないが、脱ぐと鍛えられた体が現れる。運動中に時々見える腹筋や二の腕が、和泉の色気を増す要素となっている。

 ただでさえ誰もが羨む美貌にそんなものが付随され、今やただのハイスペック男子。話す機会がほぼ無いということが、またその稀有さを引き立てている…と。

 

 「相変わらず喋らないけど必要最低限の関わりができるからって、同じ係になりたい子が続出してるらしいよ。今まで関わった子達も、本格的に狙い定めて再挑戦を狙ってる。今までみたいな正面突破は逆効果だから、密かに裏で動いてるんだって。

 一番驚くのはさ、今まで軽蔑の目で見てた子達でさえ和泉に夢中なんだって」

 「中身はヤりまくって女を雑に扱ってきた最低男のままなのに。皆、都合のいいイメージばかり押しつけて勝手よね」

 麗華が冷たく言い放つ。

 

 「麗華、どうしたの?今日はなんだか厳しいね」

 「どんな理由があれど、女を食い物にする男は嫌いなの。女を軽んじたり見た目で勝手に決め込むヤツには碌なのがいないじゃない。そういうのに簡単に靡く女もそうだけど。そういうヤツらに勝手なイメージ押し付けられて、こっちはいい迷惑だっていうのに。和泉なんて百害あって一利なしよ」

 

 麗華は男性から不快を与えられることが多く、この手の話に出てくる人への嫌悪感がもともと強い。和泉の話にも厳しい見方をすることが多かった。だが普段の麗華なら、頭ごなしに人を悪しざまに言ったりはしない。ここまで辛辣に言うのは非常に珍しかった。

 

 「この騒ぎに乗じて、無関係の私も迷惑被ったのよ。噂の対象にあげられて鬱陶しいったらなかったわ」

 

 どうやら亜姫の知らぬところで相当イヤな思いをしていたらしい。これまた珍しく、麗華はひどく怒っていた。

 

 「何よ、亜姫だって和泉には同じことを思ってたでしょ?」

 

 麗華は、イズミとやらのセッ…を見てしまった日のことを言っているのだろう。

 

 そういえば、彼の顔を見たのはその時だった。

 あの日の彼を軽蔑して「最低」と言ってしまったにも関わらず、あの衝撃的な行為ではなく彼の表情しか覚えていなかったことに、亜姫は初めて気づいた。

 

 「そういえばそうだった…。でも、私、イズミとやらのつまらなそうな顔しか覚えてなかったかも」 

 「顔?」

 「うん。つまらなそうな、何の興味も無さそうな顔してるなと思ってて…。あんなことをしてるのに、目の前の女の人すら見えてないみたいな…確かにそれも含めて最低だって思ったんだけど…」

 

 それを聞いた琴音が不思議そうに言う。

 「顔の造りじゃなくて、表情ってこと?そんなもの、なくない?いつも同じ顔じゃん。無表情、だけど超イケメン」

 「うーん、見た目の話じゃなくて……そうだね、表情、なの、かなぁ?琴音ちゃんから色んな話を聞いていたでしょう?その時いつも、またつまらなそうな顔してるのかな、って思ってて…」

 「なにそれ?どーゆー意味?」

 

 意味がわからないと言う琴音に、亜姫は困ったように笑みを返す。

 

 「私もよくわかんない…。でも話を聞くと、今日もあの顔してるのかなって思っちゃうんだもん」 

 

 改めて言われてみると、何でそんなことを考えていたのか、亜姫も自分でわからなかった。

 

 「亜姫は昔からずっと、人生は楽しいもんだと思って生きてるからね。傍からみれば、アイツなんて楽しそうなことばっかりしてるように見えるじゃない。そんな状況下にいて全く笑わないなんて、想像したこともなかったから気になってるんじゃない?ホラ、前も表情筋の話をしてたでしょ」

 「あぁ、そうだったねぇ…あれから、少しは笑えるようになったのかなぁ?」 

 「基本は変わらないらしいよ。でも男とつるんでる時、時々口の端が上がるようになったんだって。その少し微笑んだ顔がまたカッコイイらしくて、それを見たいと覗き見する子達が増加中」

 

 相変わらず情報量が豊富な琴音には感心してしまう。しかしそれを聞いた亜姫の頭の中は、和泉のつまらなそうな顔で埋まっていた。 

 

 「笑えるようになってきたんだ?」

 

 ヒロ達がいるからだろうか。それとも笑う練習をしているのだろうか。

 どちらにせよ今までよりは笑えるようになってきたんだと思うと、亜姫はちょっと嬉しくなった。

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