第9話 11月
ある昼休み。
琴音が飛び込むように教室へ入ってきた。
「大変大変!!和泉が女嫌いになった!」
「ほぇ?」
好物のパンを嬉しそうに頬張っていた亜姫が顔を上げる。と、琴音がそれを取り上げながら叫んだ。
「あの和泉が!シてないんだって!一ヶ月前から!」
興奮した琴音がムシャムシャとパンを口にする。それを取り返しながら、亜姫は疑問を口にした。
「それがどうしたの?」
「別にいいんじゃない?」
麗華も気が無さそうに返事をする。
「よくない!今、大変なことになってるよ!」
ある日突然、和泉が誘いにのらなくなった。断るのは昔からだが、今までと違い、どれだけ強引に誘っても頑なに拒否する。それどころか、女が近づくことに強い嫌悪感を示し始めた。
断られた女が何人もいる。彼女達は納得できないとひたすら付き纏うが、和泉は揺るがなかった。
女を選ぶようになったのではないかと、我こそはという女が突撃。
特定の子ができたと噂が噂を呼び、問いただしに行く子が多発。
逆に、誰か一人に絞るつもりならと候補に上がるべく近づく子。
今まで相手してもらった女が何かしでかしたのではと、至る所で犯人探し。
「学校中そんな子達で大荒れ!既に関わった子達も約束を放棄して、和泉の周りもすっごいことになってる!」
「へぇー。イズミとやらって、ホントに人気があるんだ?すごいね、まるで芸能人みたい」
「だいぶ楽しんだみたいだし?もういいやって思ったんじゃないの?」
「もー、二人とも!ちゃんと聞いて!!」
興奮する琴音をよそに、パンに夢中な亜姫と和泉に興味がない麗華は他人事だ。
「亜姫?今なら、和泉の周りにたかるプルプルおっぱい群を見られるんだけど?」
「えっ!それはちょっと拝みたい!」
「でしょ?後で連れていってあげるから、ちゃんと話を聞きなさい」
うんうん、聞こうではないか。
亜姫は簡単に釣られた。
「…で?本人は例のごとく、喋らないわけ?」
興味が無さそうな麗華も、どうやら付き合うことにしたようだ。
「飽きた、って言っているみたい」
「じゃあ、やっぱりヤり過ぎたんじゃない?何事も程々にって言うしね」
「でも、そんなに騒ぐことかなぁ?今まで聞いてた感じだと意外だとは思わないよね?だって、元々乗り気じゃなかったんでしょう?なんでそんなに大騒ぎするんだろう?」
「さすが亜姫!いいとこに目をつけてる!」
琴音はこの先を言いたかったらしい。目に見えて張り切りだした。
「以前、行為後にやたら溜息をつくって話があったでしょ?あれ、実は好きな女がいるんじゃないかって話題になってて。その真相を知りたいってのが、騒ぎの一番の大元」
「本人が飽きたって言っているのに!?」
亜姫は驚きに目を見張る。
「頑なに断るだけじゃなくて、ちょっと手が触れたりする程度でもあからさまに嫌がるんだって。今まで、どんなに纏わり付かれても振り払ったりなんてしなかったのに。それが噂に輪をかけてる」
「……?どうしてそれが騒ぎの元になるの?」
「誰か一人だけが特別なんて許されないし、和泉が誰かを選ぶのも許せない。だって和泉は皆のモノなんだから。って言うのが皆の建前。でも本音は、特別なのは誰かを知りたいんでしょ。
自分かもしれないという期待。自分以外なら認めないと、何かしらの攻撃材料を探したい。誰かを選ぶ和泉を許せないと思ってる子もいるかも。…そんなところじゃない?」
「えぇっ?だって、皆…イズミとやらのセッ…しか興味なかったんじゃないの……?だから、約束守るからってしつこくオネダリしてたんでしょう?」
「今までは、それが和泉に近づく一番いい手段だと思われてたんでしょ。関係を持てるのは特別な事だと思われていて、だからシた子達は自慢げに暴露してきた。
要は、どの子も最初から和泉を自分のものにしたかったって事よ。あんな節操無しの最低野郎にそんな事考えるなんて、私には理解できないけど」
麗華が呆れた顔で吐き捨てる。
亜姫は、何もかも理解できなかった。
「ねぇ…どうして誰もイズミとやらの話を聞かないの?」
「え?」
「だって、イズミとやらの自由でしょう?何をしようが、誰を好きだろうが。
オネダリにも質問にもちゃんと応えてきたのに。どうしてイズミとやらの話を誰も聞いてあげないのかなぁ?」
「有名人なんてそんなもんじゃない?芸能のゴシップと一緒だよ」
琴音はそう言って笑ったが、亜姫は彼のつまらなそうな顔を思い浮かべて表情を曇らせた。
彼のしてることは褒められたものではない。けれど…話を聞いている限り、彼の行動で誰かが傷ついたりはしていない。どちらかというと、ワガママな女の子の希望を叶えていたという印象だ。
自ら進んで行うワケでもなく、むしろ本人の意志に反した事を無理やり押し付けられ、それが長い間続いていたように見える。
そんな彼がこうして強い意志を示したのなら、逆に尊重されてもいいのではないだろうか?なぜ、彼が責められているように見えるのだろう。悪いことをしているわけではないのに。
亜姫は想像する。ますますあの顔で過ごす時間が増えているんじゃないかと。
同時にヒロと戸塚の顔を思い出し、彼らが隣で笑っていたら少しは楽しいのだろうか…とちょっとだけ思った。
◇
あれからしばらくして、亜姫は琴音に連れられて和泉を見た。正確に言うと、和泉の周りに集う集団プルプルおっぱいを見た。
その中にイズミとやらのつまらない顔もあるかと思ったけれど。下を向いてジッとしている姿がチラっと見えただけで、どんな顔をしているのか亜姫にはわからなかった。
「スゴかったねぇ、集団プルプルおっぱい!あんなに沢山のプルプル、もっと近くで見たかったなぁ…目の前で見たらどんな感じなんだろう…!」
亜姫は興奮冷めやらぬ様子で手をワキワキと動かし、「揉む動きをするんじゃない!」とまた麗華に叩かれる。それでも亜姫の頭の中は、沢山のプルプルでいっぱいだ。
「あのプルプルおっぱい…皆、どうやって作ってるのかなぁ……?」
ウットリとした顔で呟く亜姫に、麗華と琴音は冷たく言い放った。
「あの中にはパッドで作った偽物も沢山あると思うけど?」
「ワザと小さいサイズのシャツを着て、胸を強調する子もいるしねぇ」
すると、亜姫が目を輝かせて叫ぶ。
「ソレだ!シャツを小さくしたらプルプルおっぱいに見えるかも!?麗華!今すぐシャツを交換しよう!」
「亜姫と同じサイズで買ったじゃない。忘れちゃったの?」
「あ、そーだった」
そして自分のブカブカしたシャツと、マシュマロみたいなおっぱいで張りのある麗華のシャツを見比べて「なぜ…」と項垂れる。だが、まだ負けずに叫んだ。
「あ!!じゃあ買い直して…」
「ムダ。シャツを小さくしたところで、亜姫の胸があのプルプルになるわけじゃないんだから」
「それ、パッドと同じ小細工。自前のプルプルにこだわるんじゃなかったの?」
またもや冷たく一蹴された亜姫。
「プルプルおっぱい…私の元に来るのはいつのことやら……」
亜姫がガクーン…と首を折ったところで、後ろからブハッと噴き出す声がした。
振り向くと、そこにはヒロがいた。
「おっぱいおっぱい連呼する変な女がいると思ったら、お前かよ!」
「あっ、ヒロ。久しぶり!元気?…じゃ、なさそうだねぇ?」
ヒロは、見るからにゲッソリしていた。いつもの調子で笑っているけれど顔がやつれているし、全身から疲れ果てた空気を醸し出している。
「…大丈夫?」
「おぉ。って言いたいとこだけど、ちょーっと疲れてるかな。…見てわかっちゃう?」
「うん。顔、けっこうヒドイよ?」
そんなヒロに、琴音が遠慮がちに声をかけた。
「和泉のアレが影響してる?」
「あー、やっぱ知ってんだ?まぁ、こんだけ騒ぎになってりゃわかるか…」
困った様子でヒロは苦笑する。
「あー…っと、俺には何も聞くなよ?聞かれても何も答えられないから」
ヒロが先に断りを入れ、さすがの琴音もそこは素直に頷いた。
「いやぁ、なかなかキッツい毎日で疲れてたんだけどさぁ…亜姫のお陰でちょっと元気出た」
「ん?なんだろう……バカにされてる?」
「してねーよ、褒めてんの」
「んん?なんだか、微妙に嬉しくないのはどうしてだろう…?」
「ハハッ。今度から、アイツらの襲撃受けてる時はこの話を思い出すことにするわ」
「何の話?」
「集団プルプルおっぱいを近くで拝める喜び、だっけ?亜姫の代わりに噛みしめることにするよ」
「それも聞いてたの?って、…えー!ヒロ、いいなぁ、私も近くで拝みたい!」
亜姫のおかしな返答に、ヒロはまた声を上げて笑う。
「自前のおっぱい、プルプルになるように頑張れよ?」
そう言って遠ざかるヒロの後ろ姿は、やっぱり疲れて見えた。
ヒロですらあの様子なら、当のイズミとやらはもっと疲れているんだろうな…と、更につまらなそうになる彼の顔を想像して。ちょっと可哀想だな、と亜姫は思った。
校内を騒がせている和泉の噂は「彼女、もしくは好きな女がいる」という内容一本に絞られ、相手を特定する動きでしばらくの間殺気だった。しかし、多数の候補者が上がる中で特定には至らず。
そして「黒髪で笑顔の子」が候補に挙がることも一度もなかった。
和泉とその子に接点が無い。それが大きな要因ではある。しかし、和泉の好みは巨乳で色気のある女だと思われていた為、真逆のその子は対象外で誰も勘ぐりすらしなかったからだ。
だが、もし接点があったとしても、やはり誰も勘ぐりはしなかったであろう。その子の隣には、色気たっぷりな巨乳の美人がいたから。
だから…その子が和泉の思いに気づくことも、もちろんなかった。
その後はヒロ達の協力もあり、関係を持った子達は約束通り関わることは許されず。未だにチャレンジしたいと思う子達が近づくことはあるものの、しばらくした後に騒ぎは一応の収束を迎えた。
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