後編
それからもリコットはしつこくラッセルに絡み、嫌味の五つや六つぶつけながらも彼の素行を正すことに努めた。
けれども、どれほど嫌味をぶつけても、どれほど蔑んでも、どれほどこき下ろしても、ラッセルの素行が良くなることはなかった。
一度、本気で父を通して国王様に諫めてもらおうかと考えたが、そんなことをしたら本当にラッセルが廃嫡されてしまう話が持ち上がりかねなかったので、どうにか踏み止まった。
落ちぶれたラッセルと向き合い続けるのはつらいけど、これ以上彼が落ちぶれていくところを見る方が、もっとつらい。
だからリコットは、めげることなく今日も今日とてラッセルに嫌味をぶつけた。
「あらあら。今日もお酒臭いですわね、ラッセル様。ここまでお酒臭いと、町の酔っ払いとの違いがわかりませんわね」
珍しく登城しているラッセルに向かって、侮辱と取られても仕方のない言葉をぶつける。
真っ当な王族ならば、プライドが傷つけられて激昂するところだが、
「そうだな……偶には町の酒場で一杯やるってのも悪くねぇな」
「あなた本当に王族としての自覚がおありですの!?」
「そりゃぁ勿論あるよ。こんくらいは」
人差し指で親指で、何かを摘まむような仕草を見せる。
どうやら、そのわずかに空いた指と指の隙間が、ラッセルが持ち合わせている王族としての自覚のようだ。
「それでは無いも同然じゃありませんかっ!!」
思わず怒鳴りつけてしまう。
二日酔いの頭に響いたのか、ラッセルは「でかい声はやめてくれぇ」と言いながらも、リコットの前から逃げ去っていった。
「まったく……」
思わず、ため息をついてしまう。
思わず、肩を落としてしまう。
悪役ムーブでプライドを刺激した人間は、リコットを見返してやろうとか、こんな小娘に言われっぱなしでいられるかとか、程度の差はあれどリコットへの怒りを原動力にして改善に向かってくれるというのに、ラッセルには少しの効果も見受けられなかった。
ここまでくると、悪役ムーブ以外の方法をとった方がいいのかもしれないが、
(今さらやり方を変えるのは、わたくしのせいで嫌な想いをした方々に失礼ですわ)
茨の道とわかっていても突き進むしかない――そう決意しながらも廊下を歩き出した、その時だった。
「ねぇ、あそこにいらっしゃるのは……」
「ええ。リコット様ですわね」
登城した父親の付き添いで来たのか、廊下にいた見知らぬ二人の令嬢がこちらのことをチラチラ見ながら、何やらヒソヒソと喋っているのだ。
どうせ「友人が泣かされた」とか「こないだ嫌味を言われた」とか、そんな話をしているのだろうと思いながらも、彼女たちの前を通り過ぎようとすると、
「頑張ってくださいね」
「応援してますから」
なぜか激励されてしまったことに、眉をひそめてしまう。
言葉の意味を問い質そうとするも、
「きゃ~」
「話しかけちゃいましたわ~」
とか言いながら逃げ去っていったため、話しかけることができなかった。
「……何なの?」
という疑問は、翌夜の社交パーティで解けることとなる。
社交パーティにラッセルが出席することを知ったリコットは、当然のように会場に入り、当然のようにラッセルに嫌味を浴びせる。
「あ~ら、珍しく社交界に顔を出したと思ったら、料理がお目当てだったなんて王子とは思えない卑しさですわね」
「そりゃ、珍しくアルバート王国一のシェフがパーティに料理出すって聞いたら、誰だって卑しくもなるだろ」
応じながらも、どこぞの山賊のように、ナイフで突き刺したステーキをワイルドに噛みちぎる。
王族どうこう以前に、テーブルマナーもへったくれもない食いっぷりだった。
さしものリコットも、思わず片手で頭を抱えてしまう。
「まったく……ここまでくると、できそこないという言葉すらも、あなたの駄目さ加減を表すには足りな――って、いない!?」
抱えていた頭を上げた時にはもう、ラッセルの姿は影も形もなかった。
これにはリコットも、唖然とするしかなかった。
「ラッセル様なら『これ以上小言を聞かされたら飯が不味くなる』と言って、出て行かれましたよ」
どこぞの令嬢が親切に教えてくれたので、「それはどうも」と投げやりに応じながらも声が聞こえた方を見やり……少しだけ、目を見開いてしまう。
なぜなら声の主が、先日リコットが散々こき下ろした令嬢――キリエだったからだ。
そして彼女の隣には、婚約者のマイクの姿があった。
二人をくっつけるためとはいえ、貧乏令嬢だの、粗末なドレスだのとこき下ろした過去を今さらなかったことにするのは虫が良すぎるので、リコットはいつもどおりの調子でキリエに応じる。
「あらあら? 誰かと思えば貧乏令嬢のキリエさんと、わたくしに噛みついた子爵家次男のマイクさんじゃありませんか。そちらからわざわざわたくしに話しかけてくるなんて、二人揃って
嫌味たっぷりな言葉に対し、キリエはゆっくりとかぶりを振る。
「リコットさん……いいんです。もうそんな、
思わず、リコットは「はい?」と間の抜けた声を漏らしてしまう。
「リコット嬢。先日はあなたの内面のことを醜悪だと罵ってしまったこと……本当に申し訳ない。あの時は、まさかあなたが
深々と頭を下げる、マイク。
いよいよワケがわからなくなったリコットは、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ちょ、ちょ~っと言ってる言葉の意味がわかりませんわよ!? あなたたちは、いったい何の話をしているのかしら!?」
動揺しながらも全力ですっとぼけるリコットに、キリエも、マイクも、成り行きを見守っていた周囲の貴族たちも「もうわかっていますから」という顔をしながら、暖かい視線を向けてくる。
そんな彼らを代表して、キリエが、いつの間にやらリコットの真意が知れ渡っていたことについて語り始める。
「お恥ずかしい話、初めのうちは私もマイクも、リコットさんのことを非道い人間だと思っていました。ですがある日、ラッセル様が私たちのもとを訪れてこう言ったんです。『よかったなぁ、あんたら。リコットに背中を押してもらえて』と」
ここでラッセルの名が出てきたことに、リコットは本格的に目を見開いてしまう。
「ラッセル様はこうも言いました。『ただまあ、リコットも不器用だよなぁ。あんたらをくっつけるためとはいえ、あんたらのことを大分ボロカスに言ってたらしいじゃねぇか? もうちょっと他にやりようはないのかねぇって、
まるで全てを見透かしたようなラッセルの言葉にリコットが眉をひそめる中、キリエに代わってマイクが話を続ける。
「正直その時は、ラッセル様の言葉の意味が全く理解できなかった。けれどラッセル様が『まぁ、そのうちリコットは俺に絡むようになるから、その時にでもあいつの言ってることにしっかりと耳を傾けてみるといい。悪口を言ってるように見えてその実、俺のことを思って耳の痛いことを言ってくれてるってことがわかるから』と仰られたので、言われたとおりに耳を傾けてみたら……」
「リコットさんが、必死にラッセル様の素行を正そうとしていることが、ヒシヒシと伝わってきました」
マイクの言葉を引き継ぎ、キリエが締めくくる。
リコットは呆けた顔をしながらも、今の二人の話を脳内で何度も何度も
ラッセル様は、わたくしがやっていることに気づいていましたの?
ならばどうして、いつまでも逃げ回るような真似を?
そんなの、決まっていますわ。
ご自分がわたくしの標的になるのを見越して、陰でわたくしの悪役ムーブの真意を皆に伝え、いざその時が来たら皆に教えたわたくしの真意が嘘でなかったことを証明するために、できるだけ多くの方々の耳目に触れるようにするために、逃げて逃げて逃げ回っているのですわ。
そして、ラッセル様ができそこない王子と呼ばれるほどにまで自堕落な日々を送るようになったのは、わたくしが悪役ムーブをし始めてから一、二ヶ月ほど経った頃。
ということは、ラッセル様はわたくしのために――
「わたくし……今日のところはもう失礼させていただきますわ!」
居ても立ってもいられなくなったリコットは、ラッセルを捜しに会場の外へ駆け出していく。
そんな彼女を、暖かな声援が送り出した。
◇ ◇ ◇
リコットは建物内を駆け回り……中庭にいるラッセルを発見する。
「見つけましたわよ、ラッセル様」
「やれやれ、見つかっちまったか」
へらりと笑うラッセルに、リコットはニコリとも笑うことなく応じる。
「ええ。見つけましたわよ。あなたの真意を」
途端、ラッセルの頬に貼り付いていたへらついた笑みが消え失せ、代わりに気品すら感じさせる優しげな微笑が頬に浮かぶ。
「私のやっていたことが、やっと君の耳に届いてくれたようだな」
言葉遣いも、粗野な物言いから、威厳すら感じる王族らしい物言いに変わっていた。
「やはり、今までの自堕落ぶりは演技でしたのね」
「ああ。そのとおりだ」
「あの乱痴気パーティも、ですか?」
「当然だ。悪評を広めるために多少は
「し、信用はしておりますわよ」
なんとなく頬が熱くなってきたのような気がして、ついそっぽを向いてしまう。が、このままでは話が進まないので、横目でラッセルを見やりながらも訊ねる。
「……わたくしの目に止まるよう仕向けるにしても、どうして危ない橋を渡るようなやり方を選んだのですの?」
「見ていられなかったからだよ。皆のために悪者を買って出て、自分だけが損をするやり方を続ける、不器用なお嬢様のことが」
「み、見ていられなかったというのはこちらの台詞ですわっ。廃嫡の話が出るほどにまで自堕落ぶりを演じるのは、やりすぎなんてものじゃありませんわよっ」
「なに、廃嫡の心配は微塵もしてなかったさ。君ならば、そうなる前に必ず動いてくれると信じていたからな。しかし……そうか。やはり私のやり方は、君にとっては見ていられないものだったか」
なぜか満足げな表情を浮かべるラッセルのことを怪訝に思いながらも、リコットは話を続ける。
「ええ。そのとおりですわ。あなたの真意を知る前も大概に心配させられましたけど、真意を知った後はもっと心配させられましたわ」
「そうか。そんなにも心配してくれたか。
ラッセルの言わんとしていることを理解したリコットは、思わず「んぐっ」と呻いてしまう。
「そ、それはつまり……わたくしの悪役ムーブが、それだけラッセル様のことを心配させた……ということですの?」
その問いに対し、ラッセルは「やれやれ」とかぶりを振った。
「言っただろう。『見ていられなかった』と。自分を犠牲にしてまで周りの人間に尽くす君の心根は立派だが、やり方としては褒められたものではない。さりとて口頭で注意した程度では、君が止まるとも思えない。だから、私と同じ想いをしてもらうことで、己の過ちに気づいてもらうことにしたのさ」
どうして、わたくしのためにそこまで?――とは思わなかった。
ここまで心の内を語ってくれたのだ。
わからないわけがなかった。
なかったから、どうしても、ますます頬が熱くなった。
「……ラッセル様」
「なんだ?」
「憶えてくれて……いらっしゃったのですね。子供の頃、わたくしと結婚の約束を交わしたことを……」
「それこそ、こちらの台詞というものだ。よしんば憶えていたとしても、子供のお遊びだと思われているのではないかと気が気ではなかったが……想いが同じだったことがわかって、正直安堵している」
それは、リコットを感極まらせるには充分すぎる言葉だった。
だからこそ、リコットは力強く「いいえ」と否定した。
「同じではありませんわ。だって、絶対に、わたくしの想いの方が強いに決まってますもの」
その言葉は、王族に向けるものとしては不敬なのかもしれないけれど。
そんなことを気にする理性を置き去りにしたリコットは、体の内から湧き上がる衝動に任せるがままに、ラッセルの唇に
こうして、リコットの悪役ムーブと、ラッセルの自堕落ムーブに関わる一連の騒動は無事落着した。
リコットは自己を犠牲にする行いから、いつの間にやら周囲からは聖女と呼ばれるようになり、ラッセルもこれまでの自堕落ぶりを帳消しにしてあまりある活躍を見せたことで、廃嫡どころか次期国王の座を盤石なものにした。
やがてリコットとラッセルは正式に夫婦となり、幼い頃に交わした結婚の約束が成就したこともあって、二人にまつわる話はアルバート王国内で語り草になった。
というか、語り草になりすぎた。
気づけば、王国内で一冊の本が流行していた。
題名は「悪役令嬢マジ聖女」。
なんでよりにもよってそんな題名にしたのかとツッコみたくなるその本を見つけた際は、リコットは羞恥のあまり悶絶し、ラッセルも苦笑いが隠せなかった――というエピソードまで、王国内で語り草になってしまったのであった。
悪役令嬢マジ聖女 亜逸 @assyukushoot
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