悪役令嬢マジ聖女

亜逸

前編

「あらあら? なんでこんなところに、貧乏令嬢のキリエさんが紛れ込んでいるのかしら?」


 社交界パーティの会場で、マーシアス公爵家の令嬢リコットの声が高らかに響き渡る。


 不思議なほどよく通る声に加えて、美しい金髪に勝るとも劣らない美貌と、悪趣味なまでに煌びやかなドレスというわかりやすい目印があったおかげで、パーティ会場にいる紳士淑女の視線が一斉にリコットに集中する。


 一方のキリエは、リコットに貧乏令嬢と揶揄されたとおり、着ているドレスは地味を通り越して粗末と言っても過言ではない代物だった。

 もっともそれは当人も自覚しているらしく、キリエの頬には羞恥の赤が差し込んでいた。


 当然その赤にはリコットも気づいており、


「あらぁ? あなたにも恥ずかしいという感情があったのかしら? そんな薄汚い格好でパーティに来ているものだから、てっきり恥という概念そのものを知らないものだと思っていましたわ。お~ほっほっ!」


 散々馬鹿にした挙句、高らかと笑う。

 リコットのあんまりにもあんまりな言いように、キリエの目尻に涙が浮かび始める。


 マーシアス公爵家は、このアルバート王国随一の名家。

 ゆえに、この場においてリコットに意見できる者は一人もいない――はずだった。



「いい加減にしろッ!!」



 パーティに出席していた青年が、怒鳴り声を上げながらもリコットとキリエの間に割って入る。


「マイク!」


 どうやらキリエとは旧知だったらしく、驚きと嬉しさの入り混じった声を上げていた。


「マイク……マイク……あぁ、そういえば、ルース子爵家の次男がそんな名前だったわね。で、爵位の低い有象無象のマイクさんが、マーシアス公爵家の長女たるわたくしに『いい加減にしろ』とは、いったいどういう了見かしら?」


 嫌味全開なリコットを、マイクは決然とした眼差しで睨みつける。


「どういう了見も何もない。ここ数日の、あなたのキリエに対する仕打ちは見るに堪えない。だからいい加減にしろと言ったのだ」

「見るに堪えない? それは、ドレスと呼ぶにはあまりにも粗末なぼろ切れを着ている彼女の方が――」


「だから、そういう言い方をいい加減にしろと言っているッ!!」


 言葉を遮ってまで吐き出された怒号を前に、さしものリコットも口ごもる。


「あなたは確かに見た目だけは美しいのかもしれない! けれど内面は醜悪だ! この場にいる誰よりも醜い! キリエの内面の美しさも知らずに見るに堪えないなんて、この僕が言わせない!」


 あまりにも必死すぎるマイクの叫びを聞いて、リコットは嗜虐的な笑みを浮かべる。


「あらあら? もしかしてあなた、キリエさんのことが好きなのかしら?」


 図星だったのか、マイクは口ごもる。

 一方、彼の背後にいたキリエは、感極まったように掌で口元を覆っていた。

 振り返らずとも、キリエの反応を背中で感じていたのか、


「……そうだよ。その通りだよ」


 口ごもったのは一瞬だけで、マイクはすぐさま肯定した。


「僕はキリエを愛しているッ!! そして、僕の愛する人を馬鹿にするあなたをッ!! 僕は絶対に許さないッ!!」


 途端、成り行きを見守っていた紳士淑女たちから、歓声が沸き起こる。

 最早名家だの爵位だのといった権威は何の役にも立たない状況になったことを察したリコットは、


「きぃ~~~~~~~~っ!! 何よ、みんなしてっ!! いいわよっ!! わたくしが出ていけばいいんでしょっ!!」


 捨て台詞を喚き散らしながらも、肩で風を切ってパーティ会場から出て行った。




 ◇ ◇ ◇




 パーティ会場を後にしたリコットは、馬車ですぐさまマーシアス公爵邸に戻り、自室に引き籠もる。


「まったく、こんな悪趣味なドレスをわたくしに着させて……本当に世話の焼ける方々ですわね」


 疲れたようにため息をつくと、悪趣味なまでに華美なドレスを脱ぎ捨て、部屋着に着替える。


「ほんと、いつまでこんなことを続ける気なのでしょうね。わたくし」


 自問じみた愚痴をこぼしながらも、リコットはベッドに倒れ込む。


 先程パーティ会場でキリエをいじめたのは、全ては彼女とマイクをくっつけるためだった。

 キリエとマイクは、周囲の人間にはバレバレの、両片思いの状態が長らく続いていた。

 いつまでもウダウダしていることを見かねたリコットが、自らが悪役になることで二人の間を取り持ってあげたのだ。


「とはいえ、マイクさんの目の前で、キリエさんをいじめて見せるようになってから四回目でようやくというのは、少々先が思いやられますけど」


 再び、疲れたようにため息をつくも、リコットの表情は「やりきった」という充足感に充ち満ちていた。


 キリエとマイクの件のように、リコットは自らが悪役になることで事態を良き方向に導くような真似を、幾度となく繰り返していた。

 うだつの上がらない貴族に活を入れたり、王国の制度に瑕疵かしがあった場合は、あえてそれを悪用することで為政者たちに気づかせたり……誰にも称賛されないどころか、後ろ指すらさされるリコットの活躍は枚挙に暇がなかった。


 とはいえリコットも、こんな自分だけが損をするような方法ではなく、真っ正面から問題の対処に当たっていた時期もあった。

 だが、真っ当なやり方では、どうやっても事態を良くすることができなかった。

 それどころか、事態が悪化してしまうことさえあった。


 散々試行錯誤を繰り返した末に行き着いたのが、悪役ムーブだった。

 自分が悪役になるだけで、自分以外の全てが面白いほどうまくいくようになったのだ。


「……我ながら、お馬鹿ですわね」


 ただただ自分だけが損をするやり方。

 はっきり言って、無理して続ける必要はないことはリコットもわかっている。


 しかし、目についてしまうのだ。

 放っておいたら大事に繋がるような問題が、困っている人や素直になれなくて損をしている人たちの顔が、目について離れないのだ。

 それが気になって気になって仕方なくて……ついお節介を焼いてしまうのだ。


「そういう星の下に生まれたと、諦めるしかありませんわね」


 開き直ったところで、ベッドから起き上がる。


「それに……いい加減、放置しっぱなしにしていた事態ことを片づけないと」


 放置していた事態とは、このアルバート王国の第一王子にして、社交界においては〝できそこない王子〟と揶揄されている、ラッセル・レイン・アルバートの件だ。


〝できそこない〟という言葉のとおり、ラッセルは三人いる王子の中でも飛び抜けて不出来な王子に


 ラッセルは、かつては三人の王子の中でも最も才知に長けていた。

 しかしどういうわけか、近年のラッセルはなぜか突然自堕落な生活を送るようになり、周囲の評価は今やすっかり一八〇度変わってしまっていた。


 ラッセルが自堕落な日々を送るようになったのは、時期としてはリコットが悪役ムーブを始めてから一、二ヶ月ほど経った頃。

 その時点でしっかり対処していれば――と言いたいところだが、今の今までラッセルのことを放置してことには、それなりの理由があった。


 リコットとラッセルは、将来結婚することを誓い合った間柄だった。


 とはいっても、それは二人が五歳かそこらの時の話。

 マーシアス公爵家は、アルバート王国随一の名家ゆえに王族とも交流があり、その際にリコットとラッセルが遊びの延長線で交わした、口約束ほどの価値もない誓いに過ぎなかった。


 その後すぐに、王族が一貴族を贔屓するのはどうかという意見が貴族たちの間から上がり、国王がそれを汲んだことで、リコットとラッセルは疎遠になった。

 もう一五年近く前の話だった。


 おそらくラッセルは、誓いのことなんて全く憶えていないだろう。

 しかしリコットは、今もなお誓いを心の奥底に刻みつけていた。

 我ながら一途を通り越して馬鹿げているとさえ思っているが、お遊びの誓いから一五年経った今でも、ラッセルのことが好きという気持ちは微塵も揺らいでいなかった。


 それゆえに、踏み切れなかったのだ。

 ラッセルのためとはいえ、どう足掻いても相手に嫌われる悪役ムーブを彼に行なうことを。

 そうして放置し続けた結果、ラッセルのことを廃嫡すべきだという話が持ち上がるようになってしまった。


「事ここに至って、四の五の言ってはいられませんわね」


 両手で頬を張り、気合いを入れる。


 そして、覚悟を固める。


 ラッセルのために、ラッセルに嫌われる覚悟を。




 ◇ ◇ ◇




 ここ最近ラッセルが、貴族御用達の別荘地にて、素行の悪い貴族の若者を集めては毎夜の如く乱痴気パーティを催しているという情報を掴んだリコットは、たまたま自分も別荘地に訪れていた風を装いながらも乱痴気パーティに乱入した。


「あらあら? この別荘地には似つかわしくない馬鹿騒ぎが聞こえてきたから来てみれば、そこにいらっしゃるのは、できそこないで有名なラッセル王子じゃありませんか」


 乱痴気パーティの会場となるラッセルの別荘に入るや否や、リコットは渾身の嫌味を、無精髭を生やした黒髪の男にぶつける。


「あぁ? 誰かと思えば、マーシアス公爵家のリコットお嬢様じゃねぇか」


 かえってきたのは、およそ王族とは思えない粗野な物言いだった。

 もっとも、真の意味で王族とは思えないのはこの乱痴気騒ぎの有り様で、男女問わず半裸に近い格好をしており、「乱」の後に「痴気」の代わって「交」がついてもおかしくない様子が見て取れた。

 主催のラッセルに至っては、下着一枚という、半裸はおろか全裸に近い有り様になっていた。


 正直、目のやり場に困って仕方ないが、悪役ムーブをこなす上で感情を殺すことには慣れているため、内心の恥じらいはおくびにも出すことはなかった。


「で、リコットお嬢様がいったい何の用だ? 俺たちのパーリィに混ざりに来たのか?」


 言いながら、ラッセルは腰をヘコヘコと前後させる。

 その動作が意味することを理解してしまったリコットは、込み上げてくる羞恥と、彼に幻滅しそうになる弱い心をため息一つで押し殺しながらも、いつもどおり嫌味ったらしく返した。


「誰が、こんな低俗な集まりに参加するものですか。そもそもここまで低俗となると……お父様を通して国王様にこのことを伝えたら、とても面白いことになりそうですわねぇ」


 あくどい笑みを浮かべながら、ラッセルを、乱痴気騒ぎの参加者たちをめ回す。

 ラッセルはどこ吹く風だったが、他の者たちはそういうわけにはいかなかったらしく、


「そ、そうだ! 俺ちょっと用事を思い出した!」

「あっ! わ、私も私も!」

「わ、悪いな殿下! 今日は帰らせてもらうわ!」


 慌てて服を着た不良貴族たちが、蜘蛛の子を散らすように別荘から出て行った。


 これで少しはこたえただろう――そう思ったリコットは、一人残されたラッセルを見やるも、


「あ~あ。リコットお嬢様が余計なことを言うから、みんな逃げちまったじゃねぇか。こうなったらあいつらの代わりに、あんたが俺の相手をしてくれよ」


 下卑た笑みを浮かべながらも、またしても腰をヘコヘコと前後させる。

 そんな彼の姿が見るに堪えなかったリコットは、


「やるなら、お一人でどうぞ」


 冷たくあしらいながらも背を向け、ラッセルの前から立ち去った。


 別荘の外に出て、周囲に誰もいないことを確認すると、結婚を誓った相手のあまりにも落ちぶれた姿に、ちょっとだけ泣いた。

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