第9話・内部崩壊
休み時間。
譲は相変わらず影が薄いままトイレに行った。
しかし、時彦はそれを見逃さない。目端の良さが時彦の取り柄だ。
足音なく前に進んで、譲の机にのしかかるようにしながら後ろ手でカバンの中を探る。
カサッと、初めて感じる手触り。なんだろう。紙のような、皮膚のような。
とにかく、目当てのものはこれに間違いない。
しっかりと握って、引っ張り出そうとして。
時彦は硬直した。
(それはあなたのものじゃないわ)
囁くような声は、耳ではなく頭に届いた。
(恐ろしい目に遭いたくなければ、それをすぐ手放しなさい)
女の……声? 何? 同級生のものじゃない。知らない女。
――ほ、ほんとにいたんだ、血まみれの……どろどろの……女……!
昨日の太一の言葉を思い出す。
はん。血まみれのどろどろの女が出たって、明るいところに出たらそんなもん怖くもなんともないんだよ。
警告を無視して、カバンの中から引っ張り出す。
その時。
瞬きする間に、目の前の景色が切り替わった。
カーテンの隅にうずくまる女の子。
二階なのに、窓からこちらを見ている男。
廊下の向こうから、こっちをじっと見ている老人。
なに、なに、なんなんだ。
お化け?
(ねえ、みんな)
さっきの声……?
振り向くと、太一が言った通り、血でどろどろ、頭半分潰れている女が言った。
(この人、みんな、見えてるわよ)
ざわり、と教室の空気が変わった。
リボンの女の子が、足のない男が、老婆が、その他人間の姿を取っていないような化け物が、一斉に時彦めがけて詰め寄ってくる。
(見えるのか(見えている(聞こえているのか(聞こえている))))
化け物は次から次から押し寄せる。
時彦の手から紙が落ちて譲のカバンに戻る。これを触ったから見えたんだから、手放せば……。
(もう遅いわ)
頭潰れのお化けはにっこりと微笑んだ。
(その人たちと仲良くしてなさい。もうあなた、触っちゃいけないものに触っちゃったんだから)
(聞いてくれ(見てくれ(頼む)見えるんだろう)聞こえるんだろう)
「ひ……い……」
時彦はじりじりと後ずさりし。
「ひいいあああああああ!」
悲鳴を上げて走り出した。
教室のあちこちから、化け物が現れて時彦を追いかけてくる。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ)
あの紙だ。
あの紙を触ったから、見えたり聞こえたりするんだ。
教室を飛び出ようとして、ドン、と何かにぶつかる。
譲だ。
だけど、今は構っている暇はない。
逃げないと!
だだだだだ、と足音を立てて、時彦は階段を駆け下り、そのまま学校から飛び出していった。
譲は呆然とその後姿を見送り、教室に視線を戻す。
「……何?」
「……さあ」
教室中、呆然としていた。
「そういや、先名、お前のカバン探ってたぞ」
「え」
譲はカバンの中身を一つずつ引っ張り出した。
「……全部あるけど」
「じゃあ、なんだったんだ、あれ」
「……さあ」
同級生たちは顔を見合わせる。
愁斗と琢磨と徹だけが、分かっていた。
時彦は譲のカバンを探って、そして逃げ出したのだ。唐突に。
「どうしたー?」
先生がざわざわする教室に入ってきて聞く。
「先名くんが走って出て行きました」
「? 何があった」
「分かりません」
そりゃあ分からないだろう。
時彦が逃げ出した理由なんて、譲にしかわからない。
「先生探しに行くから、ちょっと自習してろー」
「はーい」
カバンの中身を収めて、机の横に引っ掛け、座席に座り。
教科書に顔を埋め、譲はにんまりと笑っていた。
自習と言われて、大人しく自習している小学生は滅多にいない。
生徒たちはあちらこちらで集まって、さっきの騒動について話していた。
「な、なあ、愁斗」
琢磨と徹が愁斗のいる一番後ろの席に向かう。
「譲だ、間違いねえ」
愁斗は乱暴に言った。
「譲がなんかしてるんだ」
「なんかって、な、なに」
「調べるのがお前らの仕事だろ」
琢磨と徹は青ざめた。
譲の周囲で怪奇現象が起きているのは間違いない。六人中三人が何か怖い思いをして、しかもうち二人は譲に関わっている。ここまで条件が揃えば、譲を疑うほかない。
だけど……。
「オ、オレ、やだ」
ひっくり返った声で琢磨が言った。
「きっと、これ、
「逃げんのか琢磨! 根性なし!」
「死ぬよりマシだ! 知ってるか、祟られると、死ぬんだよ!」
琢磨は叫ぶと、教科書に頭を埋めている譲の所に行った。
「ごめん! ごめん譲!」
いきなり土下座する琢磨に、譲は顔を上げて丸い目をする。
「え、どうしたの」
「ごめん! 俺が悪かった。二度としない、だから、祟らないで……!」
泣き声になっている。
「僕は、別に、祟っちゃ……」
「祟ってても祟ってなくてもいいから、許して……二度と、二度と愁斗の言うことも聞かないし、お前を殴ったりもしない! だから、だから……!」
「もう僕を殴らないって言うなら、僕も君を怨まないよ」
パッと顔を上げた琢磨に、でも、と譲は付け加えた。
「二度と、僕にひどいことをしないでね」
「し、しないしない! しないよ! もう一生しない!」
「琢磨ぁ!」
愁斗が立ち上がって怒鳴るが、琢磨は譲に向かって土下座したまま、ガタガタ震えていた。
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