第5話・復讐の依頼

 自分を縛る何かの感触に耐えきって、美優は顔を上げた。


「これで、わたしは貴方の下僕、なんですね」


「そうだ。俺の命令に絶対服従だ」


 美優はうん、と頷く。


「その代わりに、怨みを晴らす手伝いをしてくれますか」


「もちろん。それが契約だからな」


 美優は口元を微笑ませた。


「怨みを晴らせるなら……何でもやります。復讐を誓った時点で、もうわたしは安らかに眠ることなんて諦めたもの」



     ◇     ◇     ◇



 それから数日後。


「今日は客が来る」


 影一は無表情で言った。


「何でも屋……じゃなくて、怨み晴らし屋の方ですね」


 わざわざ式鬼の美優に告げるというのは、そういうことだ。


 何でも屋の客は、主に近所の人が結構来ている。花壇の世話を頼まれたり、ペットの散歩を頼まれたり、そういう仕事を影一は無表情でこなしていた。一応美優も同行していたけど、誰にも見えない、何も触れない……霊能力者が霊力を込めたものにしか触れない美優は手伝いにもならず、ただ見ているだけだった。おばあさんが「エアコンが直ってないのに涼しいねえ」と言ったのは自分の霊気のせいだろうかと思ったくらいで。


 何のために式鬼になったんだろうと自分の存在理由を疑い出していた美優は、少し安堵あんどした。


「どんな怨みを?」


「それはこれから聞くんだが、多いのが男女関係……浮気とか不倫とか。……大体は人間関係。人間がいる限り、うちの仕事はなくならない」


 何でも屋だけでもやってけるんじゃないのかな、と美優は思ったけど黙っていた。代わりに口に出したのは別のこと。


「わたしが何か役に立てるんですか」


「十分に」


 影一は微かに口の端を持ち上げた。


 無表情で無感情でもあるんじゃないか、と美優が思っている美優の主は、美優と契約した時と同じ表情……にやり笑いを浮かべていた。


 ブー。


 いつもはピンポン、となるチャイムがブザーだ。


「お前はそこに居ろ」


「はい」


 美優は頷いて、影一がいつも来客の時に座るソファの後ろに立つ。


 影一は客を迎えに出て行って、すぐに戻ってきた。


 ついてきたのは男の子。小学校の四・五年生目くらいか。目が潤んでいる。


「名前は?」


一之瀬いちのせゆずる


「ここのことは、誰から?」


 常備してあるらしいオレンジジュースを勧めて、影一は訊いた。


「……引っ越してった友達。雄二ゆうじのお父さん、不倫? して、お母さんがここに頼んだって。そうしたらお父さん泣いて謝って、離婚できて、ここから離れられるからって。雄二がいざとなったらここに来れば、何とかしてくれるからって言って」


「雄二……高井戸たかいど夫妻の息子の名前かな」


「うん。高井戸雄二。今はあずま雄二」


「なるほど、それなら分かる」


 そして影一は腕を組む。


「誰に怨みを晴らしたい? どんな風にやりたい?」


「僕を殴って遊ぶヤツら……」


 譲はしばらく唇をかんで黙っていたが、やおら服を脱ぎ始めた。


 Tシャツも下着も脱いで、裸の上半身をさらす。


 影一はピクリと反応し、美優は見えないし吸えないのだと分かっていても息を飲み込んで口元を抑えた。


 上半身にはいくつもの青あざ。


 明らかに、見えない場所を狙って殴られている。


「あいつら、暇があると僕を殴って遊ぶんだ。そして言うんだ。お母さんにバラしたらお母さんの仕事を失くするって」


「……母子家庭?」


 譲はこくんと頷いた。


「雄二もお母さんだけになったけど、お母さんのお父さんとお母さんがいるから、引っ越してった。でも、僕のお母さんには親戚がいない。お母さん、三つもパート掛け持ちして、仕事してる。それを辞めさせられたら……」


「そのいじめっ子とやらはあんたのお母さんと接点はあるのか」


「あいつ……牧村まきむら愁斗しゅうとのお父さんが社長の、スーパーでお母さん、働いてる……」


「その弱みに付け込んでいるわけだな」


 譲の目に溜まっていた涙が、ぽたぽたと零れ落ちた。


「怨みを晴らしたい。でも、あいつらが社長に辞めろって言わないようにしなきゃいけない。ここに頼るしか思いつかなかった。お金は……今はないけど、大人になったら、絶対返すから。一生働いてでも返すから……!」


 しゃくりあげる譲に、影一は「服を着ろ」とだけ言った。


「お願い……復讐……」


 この子も、わたしと同じだ。


 美優は思った。


 誰にも相談できず、一人で泣いてるしかできない子。


 酷い目に遭っているのに、誰にも理解してもらえない子。


 そんな子をターゲットにして、サンドバッグにして遊ぶ同級生。


 許せない。


 ……許せない……!


「?!」


 譲が目を丸くした。


「何……これ……なんか、空気が……」


「ほう。気が付いたか。そこそこ力は持っているんだな」


「……ないよ。力なんて。あれば、とっくの昔にこの手で……!」


「あんたはこの復讐に乗り気なんだな」


 影一が美優の方を見た。


「……許せない。そういうことをするのは、子供でも……子供だからこそ、許せない」


「なんか、聞こえた?」


「いいだろう一之瀬譲。契約だ」


 影一は紙を取り出した。


「あんたは運がいい。俺の相方のデビュー練習期間だ、安くしてやる」


 影一が触れた先から、紙に線が引かれて行って文字となる。


「報酬はあんたの一ヶ月分の小遣い。復讐は精神的に。それでよければ、指でここにサインしろ」


 おずおずと見上げる譲に、影一はまた口の端を持ち上げた。


「……復讐、するんだろう?」


 譲は頷くと、出された紙に指で自分の名前を書いた。それが文字になる。


 目を丸くしてそれを見ている譲を見て、影一は美優を見る。


「あんたがやってみろ」


「え」


「復讐の前準備だ。どんなことをすればいいか、どんな風にしたいか、考えて、実行してやれ。俺と契約を交わしたことにより、ある程度の力は解放されている。小学生が小便漏らして泣いて許しを請うくらいに、ひどい目に……そう、復讐してやれ」

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