第4話・裏契約

「式鬼……? って、安倍晴明あべのせいめいが使ってる、あの紙みたいなやつですか」


「本来は陰陽師や霊能者が使役する鬼神のことを指す。式神使いで一番有名なのが安倍晴明で、晴明はその鬼神を紙に宿して使役したから、式神イコール紙のイメージがついたんだろう」


「えっと……あなたの式鬼になるって、どういう意味なんですか?」


「俺と契約を結ぶんだ。俺があんたの復讐に手を貸す代わりに、俺が死ぬまで、命令に従う、逆らわない。……つまり、俺の下僕になる」


「……下僕……」


「つまり、あんたは俺が死ぬまで成仏できないし逆らえない。何を言われても、だ」


「…………」


「もちろん、無理にとは言わない。あんたのような怨霊クラスの亡霊は、俺の助けがなくてもその六人を絶望のどん底に叩き落とすことができるはずだ。そして、肉体から解き放たれた今、あんたの『許す』特性も少しずつ薄れて行っている。時間が経てばあんたは怨霊として目覚めるだろう。……誰も制御できない怨念の塊として」


「わたしは……そんなに、なるんですか」


「なる。……分かる。怨霊あんたの強い霊圧で、ここに居ても震えがくるくらいだ」


「……そんなに?」


「俺があんたを認識しているからな」


 ノートパソコンを閉じ、影一は美優を見る。


「あんたを見た人は少ないだろう」


「……三年間で、……三・四人くらいです。土門さんや晴屋さんみたいに会話が成り立ったのは、他に居ません」


「俺のことは影一でいい。……霊感を持つ人間は多い」


 立ち上がり、インスタントコーヒーを淹れながら、影一は説明を続ける。


人間は多くはないが、声や物音が聞こえる、寒気、嫌な予感、目の前が真っ暗になるなど、感じることができる人間は結構いる。あんたが遭遇した三・四人は、極稀ごくまれな存在だ。魂と霊体が噛み合わず、結果弱体化している霊を確実にことができ、こともできて、その上で人間だ。この視る、聞く、感じるの三つ、どれが足りなくてもあんたを確認できなかった」


「逃げたのは……?」


「その姿を見て、逃げずにいられる人間はそうそういない」


「……ああ、そうか……」


 美優は先ほどガラスに映った自分の姿を見て、納得する。


「あんな姿の人間が「助けて」って声を掛けたら、普通、逃げるよね……」


「そう。逃げないのは俺や土門のような霊力を鍛えて霊の相手をする除霊師や陰陽師と言った霊能力者だけだ。そして、あんたの霊圧を確認すれば、普通の霊能力者は逃げるだろう」


「成仏……させられないから?」


「そうだ。今のあんたは、俺や土門クラスで何とかやれるくらいだ。だから分からんのは、何故土門があんたを問答無用で成仏させずにここを紹介したかだ……ただの親切じゃないな、裏を感じる」


 意味が分からず、小首を傾げる美優に、もう一度影一は長く息を吐いて美優を見た。


「時間があればあんたは確実に怨霊になる。あんたの復讐したい相手に確実に復讐できるほどの怨霊に。ただ、それがいつになるかは分からない」


「え……」


「あんたの復讐への怨念があんたの特性である『許す』を超えるのにどれくらい時間がかかるか分からない。復讐するだけの力と意思を手に入れた時には相手が死んでしまい、あんたは八つ当たりでその子孫を殺す怨霊らしい怨霊になっているかもしれない」


「…………」


「それは嫌だと言いたいんだな。本人に直接復讐したいと」


 美優は大きく頷いた。


「いつあんたの力が目覚めるかは分からない。ならば、俺と契約を結び、その封を解放して、あんたがどんな強大な怨霊になっても、俺が生きている間……いや、俺が死んでも俺の血統の霊能者に従う式鬼になるしかない」


「……それは」


「もちろん、勧めない。俺……晴屋の血統が続く限りはあんたは許可を得なければ成仏できない。しかも、それだけ強い霊体を手放す霊能力者はいないから、晴屋の血統が消えない限りあんたはここに縛られる。例え自分の怨みを晴らしても、だ」


 美優は俯いた。潰れた顔を、長い髪が隠す。


「確実に怨みを晴らせるが半永久的に俺の血族に縛られるか、自然に怨霊になれるのを待って……相手に先に自然死されるか。あるいはここで俺が成仏させてやるという道もある。『許し』てやることができれば、だが」


「……許せない」


 俯いたまま、美優は言った。


「だけど、待つこともできない」


「…………」


「わたしが苦しんでいる三年の間、あいつらは普通に幸せに生きてた。わたしからすべて奪っていたくせに……!」


 握りしめた拳からも血が垂れる。


「あいつらに復讐しないと意味がないの。あいつらに復讐できるなら、わたし、何でもする」


「本当に、それでいいのか。よく考えろ」


「式鬼としてあなたの命令に従えば私の怨みは晴らせるんでしょう? なら、やる。半永久的に怨みを持って生きるよりは、半永久的にあいつらへの怨みを晴らしたという思い出を持って生きていくのがいい」


「……そうか」


 影一は顔を上げた。前髪の間から、ゾッとするほど鋭い三白眼の目が美優を見る。


「晴屋の血筋に、半永久的に従うか」


「従うわ」


 影一は一枚の紙を取り出した。


「契約を交わす」


 影一は自分の右の人差し指を噛んだ。


 血がにじむ。


 血のにじんだ指でさらさらと字を書くと、薄かった血が通った後から、赤い文字が浮かび上がってくる。


何時いつ如何いかなることがあっても、俺とその血筋の高い霊力のある人間に従う。その代わりにあんたは自分の力を目覚めさせ、怨みを晴らす。この契約でいいなら、お前もその指で署名しろ。……きちんと中身を確認しておけ」


 美優はじっと契約書を見た。


 半永久的に自分を縛る力がある、と感じる。


 でも、構うもんか。


 絶対に、復讐してやる!


 美優は契約書に名前を書いた。


  ビシッ!


 全身を、何かが駆け巡る。


「何……が……」


「契約した……縛った。これであんたはもう逃げられない。俺の下僕として……働いてもらう」


「怨みが晴らせるなら」


 ぱた、と落ちる血も気にせず、美優は言った。


「どんな仕事でもやるわ」

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