幕間・愛想も尽きた


 アンナはハンスの様子がおかしいことに、とうの昔に気づいていた。

 良くも悪くも読みやすい男だ。だから政治には向いていない。

 頭は悪くはないから、商人にでもなれば成功したかもしれない。彼が王座に固執する以上、意味のない推論だが。


「最初、婚約者っていう女を追い出せたときは、しめたものだと思ったんだけどね」


 買ってもらったドレスや宝石を引っ張り出して、しげしげと眺める。

 これは全てハンスに貢がせたものだ。搾り取れるだけ搾り取った。


「第二皇子として、のんびり暮らしていれば良かったのに。プラチナドラゴンなんていうものに執着するからこうなる」


 アンナは知っている。

 ハンスの財布が既に空であり、今後の収入の見込みはほぼないことを。

 アンナは知っている。

 ハンスの父親、すなわち現在の王が、ハンスを後継者に指名する気などさらさらないことを。

 アンナは知っている。

 王族たちが、する意味のない戦争を始めようとしていることを。

 アンナは知っている。

 ――それら全てが意味することに気づいているにも関わらず、決して現実を見ようとしないハンスのことを。


 頬杖をついてぼんやりとしていたアンナの部屋に、ハンスが入って来る。

 酔っているかのようにおぼつかない足取りでアンナの側に近づいてくると、彼女を強く抱きしめた。

 酒の匂いはしない。目が据わっている。


「どうしたの、ハンス。そんなお顔をして」

「寒いところは好きか」

「……あんまり。どうしてそんなことを聞くの?」


 ハンスはにたりと笑った。その拍子に口がねちゃりという音を立て、黄ばんだ歯が見えた。

 こんな顔をする男だっただろうか、とアンナは思う。


「北方辺境が手に入るぞ」

「うそ」

「嘘ではない、本当だ。あそこは税収も良いし、ドラゴンがいることを除けば悪くない場所だ。冬は社交シーズンだから、お前の好きなダンスも毎日できるぞ」

「……だってあそこは、ヴォルテール・バルトが治めているんでしょう」

「そのヴォルテール・バルトから奪うんだよ」


 ハンスはアンナを離すと、部屋の隅にある棚からウイスキーを取り出し、グラスに注いだ。


「向こうは王宮のドラゴンと引き換えに、北方辺境の領主の座を譲ると言っている」

「そんな価値があるものなのかしら。だって北方辺境には、既に野生のドラゴンがいるじゃない」

「向こうにとっては価値のあるドラゴンなのかもしれない。私たちが気づいていないだけで」


 だがどうでもいい、とハンスは吐き捨てた。


「引き渡す気などありはしないのだからな」

「でも、良い厄介払いになるのではないかしら? 王宮のドラゴンは誰も適切に飼える人がいないのだし……」

「北方辺境にはドラゴンのプロがいるだろう。連中に面倒を見させる。相手が欲しがるほど貴重なドラゴンであれば、高く売れることだろう!」

「……そんなに簡単に騙されてくれるようには思えないけれど」


 アンナが呟くと、ハンスは顔を歪めた。


「もっと喜べよ。北方辺境が手に入るのだぞ。私が領主となるのだ。今は蛮族の住まう流刑地ではあるが、ここを足掛かりにすれば、いずれ王宮の中枢にも食い込むことができる」

「そう、北方辺境は流刑地よ。あなたが自分の婚約者を追いやった場所。つまり、王族であるあなたが住むに値しない土地ということではないの?」


 ああ、とハンスは嘲笑を浮かべた。


「何だ、嫉妬しているのか? 可愛い女だな」

「……ええ。妬けちゃうわ。あなたの前の婚約者の方って、とってもお綺麗だったじゃない?」

「馬鹿を言え、お前の方が数倍美しい。――それに、ミルカのことなら心配いらない。流刑人は大体病死しているらしいから、彼女も同じ道をたどっているだろう」


 愛情のかけらもない言葉を、アンナは取り繕った笑みで受け止めた。


 その夜、アンナは宝石を全て持って、王宮を去った。


 翌朝そのことに気づいたハンスは、怒りも露わに行方を探させたが――その行方はついに分からなかったという。

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