70話 愛情深い生き物
ようやく、冬の寒さが和らぎ、春の兆しが見えるようになってきた。
毎朝降る雪が少しずつ減り、突き刺すような寒さがほんの僅か和らぎ、日光がさすようになってきたのだ。
貴重な日差しをイスクラと二人で堪能してから、日課の飛行へ繰り出す。
「こうしてみると、冬の寒さで体が縮こまっていたのが分かるわ。と言ってもまだ春は遠いのだけれどね」
「『春』『好き』『踊りの』『季節』」
「ドラゴンの繁殖期ということ?」
「『違う』『人間』『よく』『踊る』『イスクラ』『見るの』『好き』」
そう言うとイスクラは、尾と首を振って、リズムを取る真似をしてみせた。
「ドラゴンも踊ることがあるの? もしそうだとしたら、求愛のため?」
「『歌う方』『モテる』」
シンプルな答えだ。
イスクラによると、踊るドラゴンもいるらしいが、それは地上や樹上で生活するドラゴンに限られるらしい。
空を飛ぶドラゴンは歌で求愛するのだという。
「『歌は』『証』『約束』『だから』『ミルカ』『だとしても』『聞けない』」
「そうよね。大切な相手のためにとっておかないといけないわ」
「『大丈夫』『何度も』『歌える』」
イスクラは飛行中にも拘わらず、顔をこちらに向けて意味ありげに片目を吊り上げた。
(本当に人間の表情を真似るのが上手い子。全部のドラゴンがそうじゃないのよね。表情を真似るのが上手いのはイスクラとカイルくらいのものよ。魔法が使えることと何か関係しているのかしら……)
などと考えていると、こちらに注意を向けろとばかりに、硫黄臭い息を吹きかけられた。
「『ミルカ』『覚悟』『ない』『イスクラの』『ものになる』『覚悟』」
「……そうね。あなただけのものになる覚悟は、ないわ」
気分を害するだろうか。そう思いながら正直に言うと、イスクラはまたふーっと息を吐いた。
「『そんな顔』『しないで』『イスクラ』『以外』『好きな』『ミルカが』『イスクラは』『好き』」
「ありがとう。私もイスクラが大好きよ」
「『当然』」
自信たっぷりの返答に思わず笑ってしまうと、咎めるようにイスクラが一瞬翼の力を抜いた。がくんと落下したかと思うと、すぐにホバリングに戻る。
私を脅かして楽しんでいるのだ。
「もう、この子ったら!」
首元の鱗をわざと乱暴に掻いてやると、イスクラは嬉しそうに身をよじり、再び上空へと舞い上がった。
ヴォルテール様の屋敷に戻ると、見知らぬ客人が邸内に入ってゆくのが見えた。
服装からして、北方辺境によく出入りしている貴族や、商人ではなさそうだった。薄着過ぎる。
「……王宮の人、かしら?」
私は用心してイスクラと共に邸内に入る。
すると、応接室へ向かうヴォルテール様と鉢合わせた。
彼は私を見て、ふっと表情を緩める。
「ミルカ嬢。お茶にでも誘いたいところだが、生憎客人があってな」
「上空から見ました。いつも出入りしている類のお客様ではないようですね?」
「ああ。しかし賓客だ。おろそかにはできん」
「まあ、そうとは知らずお引止めしてしまい、失礼いたしました」
私は頭を下げ、廊下を急ぐヴォルテール様を見送る。
と、彼が振り返って、にこりと笑った。
「もうじき、あなたを喜ばせてやれるぞ」
それが一体どんな意味なのか、問い返す間もなくヴォルテール様は去って行った。
*
イスクラは火吹き種だ。即座に火を出すことができる、というのはかなり便利なもので――。
「すまないがミルカ嬢、イスクラにこの岩を熱するよう頼んでくれないか。ドラゴンたちが冷え込みのせいで動かん」
というギムリさんの言葉に応じて、岩を温める作業をしたり。
「凍結して馬車が動けなくって! 道を溶かしてくれませんか」
「門の蝶番が凍りついちゃって困っているんです」
「教会の炊き出しなんですけど、火が全然足りなくて……」
というような街の人々の依頼に応じて、火を出したり、ついでに色々お手伝いしたりした。
私の仕事はドラゴンの世話ではあるけれど、困っている人を助けてはいけない道理もないだろう。
それに、人間と接することは、イスクラの訓練にも役立つ。
自分勝手なことではあるが、イスクラが私と傍にいたいと望むのであれば、人間と一緒に行動することに慣れ、人間を怪我させないようにしつけならないのだ。
これはドラゴンをパートナーにしようとする人間の義務である。
(もっとも、イスクラは十分すぎるほどそれを分かってくれているから、こうして街の人々を助けるのは、イスクラの好感度を上げるためでもあるのよね)
イスクラに味方しようと思ってくれる人は、独りでも多い方が良い。
貴重な火吹き種であるイスクラを守るためだ。
吹雪の中イスクラに乗ってヴォルテール様の屋敷に帰る。
念入りに雪を払い、水気を拭いていると、どこかイスクラが上機嫌であることに気づいた。
「『ミルカと』『一緒』『楽しい』」
「本当? 私もイスクラと一緒で楽しいわ。でも、あなたを働かせすぎちゃったかもと思っていたの」
「『全然』『何でもない』」
「頼もしいわね」
「『人間』『助ける』『悪くない』『人間』『弱い』『すぐイスクラ』『頼る』」
あけすけな言い方に苦笑していると、でも、とイスクラが言った。
「『でも』『歌が上手い』」
「歌? 今日歌を歌ってる人なんていたかしら」
「『歌』『上手い』」
どうやらイスクラのいう「歌」は、私たち人間が考えている「歌」とは少し違うものらしかった。
細かく質問しようとしても、イスクラの回答は要領を得ない。
(ドラゴンと人間の「歌」の違い……。これは調べ甲斐があるわ!)
まずは他のドラゴンが歌えるかどうか確認して、それからカイルに話を聞いてみて――と思いながら、城の廊下を曲がった時だった。
心臓が止まりかけた。
そこにいたのは――ハンス皇子、その人だったから。
(ど、どうしてあの人がこんなところに……!?)
幸いにして、向こうは私に気づいていない様子だったので、慌てて隠れる。
ハンスはケネスさんと一緒に去って行った。
視察、とかいう言葉が聞こえたような気がする。
心臓がうるさいほど鼓動している。冷や汗がお腹の辺りを伝ってゆくのが分かった。
(私を北方辺境へ追放しただけでは飽き足りないということ……? 追加で何か処罰が下されるのかしら。ああ、今までこんなに楽しく暮らせていたのに、かつての婚約者の姿を見るだけで、これほど不安になるなんて)
うずくまって、心臓がばくばくいっているのを、必死に押さえようと息を吸う。
「『大丈夫』」
そんな私に寄り添って、温めてくれたのはイスクラだった。
私の仕草を覚えていたのだろう、背中をぎこちなく撫でてくれる。
「『大丈夫』『あれは』『違う』」
「違う?」
「『目的』『違う』」
「私をどうこうするのが目的ではない、ということ……? でもどうして、あなたにそれが分かるの」
「『匂う』『狩り』『あれは』――『獲物』」
イスクラは目を細めると、安心させるように私の目を覗き込んだ。
黄金色の目がきらきらと、自信たっぷりに輝いている。
「『大丈夫』『ここは』『ミルカの敵』『ひとりも』『いない』」
「イスクラ……。ありがとう」
「『本当』『信じて』」
「ええ、信じているわ、大丈夫。あなたが言うんだもの」
そう、私の可愛いドラゴンが、大丈夫というのだ。
ここには私の敵はひとりもいない、と言ってくれているのだ。
それを信じないなんてありえない。
私の胸に温かな火がともる。それは私に力を与え、前を向く勇気をくれる。
「ハンス皇子なんか怖くない」
「『そう』」
「怖いのは……。また、繰り返してしまうこと」
「『何を』『繰り返す』?」
「私は自分の家を潰してしまった。私の代で、アールトネン家は途絶えたの」
イスクラには私がアールトネン家を潰してしまったことを話してある。家まで全て売り飛ばしてしまったことも。
だから私が後悔していることも知っているのだけれど――。
「『ミルカ』『生きてる』『それが一番』」
「でも」
「『ミルカが』『壊したもの』『生き物』『違う』。『生き物じゃ』『ないなら』『何の問題も』『ない』」
それに、とイスクラは言った。
「『ミルカが』『何をしても』『イスクラは』『ミルカの味方』!『間違い』『繰り返しても』『構わない』『どこで』『何をしても』『イスクラは』『あなたのそばに』『いるよ』」
そうして彼女は、私を翼で包み込んでくれた。
それがどれだけ私を安心させたか――。言葉を尽くしても、きっとイスクラには伝わらない。
(私はドラゴンたちからたくさんのものをもらっている。私は返せるだろうか? これほどたくさんの素敵なものに値するものを、この生き物たちに?)
涙がこみあげてくるのを感じながら、私は強くイスクラを抱きしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます