69話 仕込み
ハンスは目の前の状況を受け入れられなかった。
「とんだニセモノを掴まされたものだ」
吐き捨てるように言ったのは初老の男。
デザストル商会の商会長、サックスである。
彼の傍らには、魔法に精通したデザストル商会の女がいる。初老に差し掛かり、知識も経験も豊富な彼女は「ブランカはプラチナドラゴンの仔ではなかった」という結論を出した。
「地味な茶色の体色に、灰色の目。プラチナドラゴンとは似ても似つかないドラゴンです。これはヴィトゥス種の亜種だったのでしょう」
「し、しかし以前は違った! 真珠色の体に金色の目、どこからどう見てもプラチナドラゴンだった!」
「ドラゴンは成長すると姿を変える種が多い。幼い頃がそうだったとしても、今は全く様子が違う」
「体色はドラゴンの体調に左右されるという。他にも体の特徴があるだろう」
すがるようなハンスの言葉に女はため息をついた。
「長い首、鱗、角、翼、細い尾。これらは東洋北方系ドラゴンの特徴ですが、そもそもこの個体には角がない。首も尾もずんぐりとしている」
「太ったのかもしれないだろう」
「肥満で尾は短くならない」
生真面目に答えた女は、無慈悲に言い放った。
「これはプラチナドラゴンではない。王宮が買った時は、そういう触れ込みだったのかもしれませんが」
「っ、その発言、王族への侮辱罪に当たるぞ!」
「その罪を追求する場合、あなたはまず我らを王宮に招いたことの釈明をしなければならないでしょうね」
鼻で笑うようにサックスは言うと、女と共に王宮を辞した。
ハンスは苛立ちを隠さない様子で自室に戻る。
そこではアンナが、艶やかな笑みを浮かべて待っていた。
相変わらず流行の先端をゆくドレスをまとっており、真っ白な胸元を露わにしている。ハンスはそこに顔をうずめ、全てを放棄したい衝動に駆られた。
デザストル商会が持つ、ドラゴンを操る力があれば、プラチナドラゴンに言うことを聞かせられると思った。
だというのにプラチナドラゴンは言うことを聞かないどころか、なぜか姿が変わり、そもそもこれはプラチナドラゴンではなかった、という話まで出てきた。
何をしても上手くいかない。
苛立ちがハンスの思考を狭め、深呼吸を妨げる。
「プラチナドラゴンはニセモノだったんですって?」
「まだそうだと決まったわけではない」
「あら、そうなの。でもきっとニセモノよ。だってあなたが傍にいても、成長しなかったんだもの。あなたほど王にふさわしい人間はいないというのに」
アンナの言葉は、傷ついたハンスの自尊心を優しく撫でてくれる。
空っぽになった胸に、温かなミルクを注いでもらったような心地になった。
「でも、このままでは私が王に相応しいと証明する間もなく、兄が王座につくことになってしまう」
「……ばかね。私ったら、それで良いと思ってしまったわ」
「お、お前も、兄の方が王になるべきだと思うのか!」
泣きそうなハンスの言葉に、アンナは静かに首を振る。
「いいえ。でもね、あなたが王様になったら、あなたは私だけのものじゃなくなる。皆のものになってしまうでしょう。そんなの私、嫌だわ。あなたを独り占めしていたいの、ずっと」
とろけるような眼差しでそう言われて、心を動かされない男などいない。
ハンスは求められる喜びで胸がいっぱいになるのを感じた。
今まで夢に見るほど欲しかった王冠が、ほんの一瞬、ちっぽけなものに思えた。
けれど、今まで積み上げてきたものをなかったことにする勇気は、ハンスにはなかった。
「だ……だめだ。私の人生は王族のもの。そのために教育を受けてきたのだから、私情で動いてはならない」
「……そう。残念」
アンナはどこか醒めた表情で呟いた。
恋人のところへ行っても少しも癒されなかったハンスは、苛立ちをそのまま自室に持ち帰りたくなくて、ふらりと城の外に出た。
お忍び、というやつで、当然護衛は後ろからついてくる。
そこは会員制の倶楽部となっていて、酒も飲めるし女も呼べる。そういったことを誰にも知らされずにやりたい貴族や王族が利用する場所なので、安全性も高いし秘密も漏れにくい。
ハンスはそこで憂さ晴らしに酒を飲んだ。女も一人呼んだ。
初心な様子の女で、煙草の火をつけるのにも手間どっていたが、逆にそこがハンスの心を慰めてくれた。
ハンスは、身分を隠して、仕事の愚痴を女にこぼした。
女は一所懸命頷いていた。
「ハンス様はお仕事にとても励まれていらっしゃるのですね……! でもリリアンは、ハンス様はハンス様のままで良いと思いますっ」
「リリアン……。ありがとう」
「誰もハンス様を褒めてくれないなんてひどいです。ハンス様はこんなに頑張っていらっしゃるのに……」
リリアンは涙目になってハンスを褒め称え、何も悪くないのにひどい、とハンスの心の傷ついた場所を優しく慰めてくれる。
そのおかげでハンスの口はよく回った。
とめどなくこぼれる愚痴を受け止めながら、リリアンはおずおずと呟いた。
「ハンス様はもしかしたら、海の中で戦っている鷲なのかもしれません」
「どういう意味だ?」
「戦っている舞台が、あまりにもハンス様に不利なのではないかしら、ということです。ハンス様が輝けるのは空の上、自由に翼を広げて、悠々と舞われるお姿を見てみたいです――」
その言葉はやけにハンスの耳に残った。
遅くまでリリアンと飲み、護衛に抱えられながら自室に戻った。
翌朝、軽い二日酔いで起きたハンスの元に、面会の依頼が入った。
「誰だ?」
「ケネスと名乗る人物です。北方辺境から来たとか」
「北方辺境……?」
久しぶりに聞く地名だった。
そう言えば、かつての婚約者・ミルカを追放したのも、北方辺境だった。
どこかで野垂れ死んでいるだろうか。自分とは違って計算高い女だったから、どこかで上手く生き延びているかもしれない。
そう思いながらとりあえず面会の依頼を受け入れると、柔和な表情の男が現れた。
「面会の依頼を受けて頂き光栄です、ハンス皇子! ケネスと申します」
握手をしながらハンスは、ケネスが非常に良い服を身に着けていることに気づいた。
服だけではない、さりげなく着けている指輪もカフスも、大きな宝石がついている。
羽振りが良い。ハンスはそう思った。
「今日お話に上がったのはですね、ハンス皇子――。北方辺境のひどさを訴えたかったからなのです」
「何がひどいのだ?」
「全部ですよ! 税金は多くとられるわ、周囲にドラゴンがうじゃうじゃいるわで、不満が続出しています。あの暴君のせいですね」
「暴君、というと……。北方辺境を治めているバルト氏のことか」
「そうそうその方……じゃない、そいつです」
ケネスはくどくどと文句を訴えた。税金が多すぎる、ヴォルテール・バルトが私腹を肥やし愛人を多く囲っている、農作物はろくなものがない、そのくせ農業規制がかかっていて面倒だ、などなど。
「すみません、長々と文句を垂れてしまって。こういった悩みを相談できるのは、ハンス皇子しかいないと思ったものですから」
「構わない。国民の声に広く耳を傾けるのは、王族の務めだ」
「ありがたいお言葉です。ハンス皇子が北方辺境を治めて下さったら、我々国民も安心できるんですけどねえ」
ケネスはしみじみと言い、去って行った。
今日には北方辺境に帰るが、また陳情に来ると言っていた。
ハンスは一人自室で考え込んでいた。
「北方辺境、か」
今まで意識したこともなかったその地が、やけに存在感をもってハンスの心に迫って来る。
寒い地域だ。ドラゴンがうじゃうじゃいて、国境を接した危険な場所でもある。
しかし――ケネスの身なりは悪くなかった。それに北方辺境は、今まで税金を滞納したことがない。ケネスの言う通り、領主が私腹を肥やしたうえで税金を満額払っているのだとしたら、領主の懐に入る金額はとんでもないだろう。
「……いや。大した土地ではないだろう。流刑地に使用しているくらいだ。そもそもここから遠すぎる」
そう呟いたハンスだったが、それでも部下に命じて、北方辺境の様子を調べさせることにした。
*
「どうだった?」
「種は仕込んだ。お前の雇った女はどうだった?」
「こっちも仕事は果たしたわよ。傷ついた自尊心を慰めるふりして、ここ以外の可能性を示唆してみせた」
「上手く食いつくかな」
「あとはヴォルテール様が、北方辺境に有利な情報をちくちく仕込むでしょ」
「あの方は獲物追い込むのが上手いもんなあ」
「獲物は追い込まれたことに気づかない。自分でその道を選んだ気になっている」
「怖い怖い」
「あのお方を敵に回すもんじゃないわね」
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