65話 歌


 私はぼんやりと考え事をしながら、城の中を歩いていた。


(魔力の源が「歌」だったなんて、初めて知ったわ……!)


 歌といっても、歌手が歌うものから、詩人が記すうたまで幅広くある。

 子守歌のような、他愛ないものでも大丈夫なのか。

 言葉が伴わないといけないのか、メロディだけで良いのか。


 イスクラを質問攻めにしても、答えは得られず、彼女はただ「歌」なのだと言った。


(でもイスクラの前で歌ったことなんかないし、彼女は一体どこから魔力を得ているのかしら。火吹き種は事情が異なるとか? それとも私の知らないところで「歌」を聞いていたとか)


 こうやってドラゴンについて色々と考えていると、胸がわくわくしてくる。

 ほんとうに未知の生き物だ。

 知れば知るほど、分からないことが増えてくるのに、それが楽しいなんてどうかしている。


(正直なところ、こうやって色々考えるのって、いい気分転換なのよね)


 ブランカをおとりに使う作戦のことばかり考えて、勝手に気を滅入らせていた。


 おまけに北方辺境の冬というのは、ひどく暗いのだ。

 吹雪のせいで、太陽が出ることなど稀で、出たとしてもお昼の三時くらいには沈んでしまう。

 その分、蝋燭とシャンデリアの明かりがとても綺麗に見えるのだけれど、それでもお日様の光が恋しくなるものだ。


(ヴォルテール様だったら何かご存じかも。あとでお手すきの際に……って、あの方がお手すきなことなんてないのだけれど)


 そう考えた私は、何かドラゴンに関する資料がないかと思い、自由に見ても良いと言われていた図書室に足を向けた。

 図書室は城の最上階、奥まった部屋にある。


 重い扉を押し開けると、真っ暗な闇が私を出迎えた。

 本に日光は厳禁だから、換気用の窓しかないし、その窓にも分厚いカーテンがかかっているのだ。

 私はランプを持ってこようとして、ふと部屋の奥で小さな光が灯っているのに気づいた。

 細長い光はちょうどドアくらいの大きさがあって、別室から漏れている光だと分かる。


 そこからは、光だけではなく、低くて静かな声も漏れ聞こえていた。


「これは……歌?」


 歌について考えていたところに、ちょうど誰かの歌が飛び込んでくるなんて、なんて巡り合わせだろう。


(それにこの声は……)


 私は努めて大きく足音を出し、自分がここにいることを知らせつつ、その扉に歩み寄った。

 歌声はかすかな余韻を残してやみ、衣擦れの音が聞こえる。


「……誰だ」

「ミルカです。お邪魔をして申し訳ございません、ヴォルテール様」


 扉の前でそう声をかけると、ややあって扉が静かに開いた。

 くつろいだ格好のヴォルテール様がそこにはいた。疲れた顔をしているが、目は喜びに輝いている。


「聞いていたか?」

「はい。勝手に申し訳ございません」


 部屋の奥をちらりと覗いた私は、奥まったその部屋の意外な大きさに驚いた。

 けれど、無理もない。

 なぜならそこには、大きなカイルが静かに寝そべっていたからだ。

 彼が寝そべって翼をだらりと広げていても、まだ空間に余裕があるくらい、巨大な部屋だった。

 もちろん天井も高く、その分図書室よりもひんやりしていた。


「今のは……カイルに魔力を与えていたのですか?」

「ん? ああ、そうだ。人間の歌など、大した魔力にはならないようだがな」

「そうなのですね……。ではドラゴンたちはどうやって魔力を得て、魔法を使っているのでしょう?」


 尋ねると、ヴォルテール様とカイルは顔を見合わせた。

 それからふわりと優しい表情で微笑む。


「それは、人間にはあずかり知らぬことだ。カイルも全てを教えてはくれない」

「やっぱり、悪用されてしまうから?」

「と言うよりは、人間には理解できないからだろう」


 そう言うとヴォルテール様は、私を部屋に招き入れるように一歩引いた。


「せっかくだ。ミルカ嬢も歌うか」

「ええと……淑女としてあるまじきことなのですが……」


 自分が歌うとなると、途端に苦い思い出が込み上げてくる。


「私の歌はその、大変ひどいものでして……」


 社交界に出るレディというものは、文化的な素養を持っていることが求められる。

 ダンス、絵画、刺しゅう、庭いじり。ピアノにヴァイオリン、そして歌。

 これらのことがある程度できることが、立派なレディの証だった。


 しかし私ときたら、音楽についてはからきしだった。

 音痴というのだろうか。皆と同じように歌えないし、ピアノもヴァイオリンも下手くそだ。


(あんな酷い歌をヴォルテール様に聞かせて……幻滅されるのは、嫌)


 どう切り抜けようかと迷っていると、ヴォルテール様はふっと笑った。


「歌が嫌いな人間に無理やり歌わせるほど、悪徳な領主ではないつもりだ。――まあ、少し休憩していくといい。顔色があまりよくない」

「それはヴォルテール様もでしょう。また徹夜されたんですか」

「んん、どうだったかな」


 言葉を濁しながら、ヴォルテール様は部屋の中に案内してくれた。


 壁紙は白く、天井はそっけなく。

 壁際に暖炉があり、火が入っていたが、部屋全体を暖めるには至っていなかった。

 けれど、暖炉の前、カイルのすぐ近くには分厚いじゅうたんが重ねて敷かれていて、クッションが何個も置かれており、居心地が良さそうだった。


 カイルは顔を上げて私を見たが、すぐに興味が無さそうにそっぽを向いた。

 今日はあの小さくて人間の言葉を話すカイルではないらしい。


 私は靴を脱いでじゅうたんの上に腰を下ろした。

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