55話 暴かれた秘密
「『ミルカ』!」
「大丈夫、大丈夫よ、イスクラ、騒ぎにしないで、大人しくここで待っていて」
「『でも』」
声に悔しさをにじませたイスクラは、けれど、申し訳なくなるほど従順だった。
彼女はホールの入り口に立ち、じれったそうに私の後ろ姿を見送っていた。
だが振り返ってばかりもいられない。ダミアンさんの手は驚くほど強く、振り払うことも、抵抗することもできなかった。
「ダミアンさん……! 何をなさるおつもりですか!」
「あなたの身の内から滲んでいる呪いを調べる」
「私は呪いなどを受けた覚えはありません!」
「では、あなたの体から滲み出る紋章は何だ? 黒く禍々しい紋章は、俺の父を殺したドラゴンの牙に刻まれていたものと同じものだ!」
「紋章……魔法の痕跡ということですか?」
「そうだ、あなたも見ただろう。あの日、ヴォルテールのおかげで、魔法の痕跡を見つけられるようになった時に」
私の脳裏を、見知らぬ黒い紋章が過ぎる。
(そうだ、確かに黒い紋章が見えた。あのことについてダミアンさんに聞こうと思って、そのまま忘れてしまったのね……)
けれどまさか、あれが自分の体から滲み出ているとは思わなかった。
何を言って良いか分からない私を引きずったまま、ダミアンさんは廊下をずかずかと進むと、空き部屋に身を滑り込ませた。
そこは、夜会に疲れた紳士淑女が、ひと時の間身を休めるために、長椅子などが置かれている小部屋だった。
壁のランプは明かりが絞られており、薄暗い。
分厚いカーテンを閉めてしまえば、そこは隔離された空間――いかにも
ダミアンさんはそこに私を無理やり座らせた。
「どこだ? どこからその呪いは滲み出ている?」
「ですから、呪いなど受けたことはないと言っているではありませんか!」
「ならばこれを見てみろ」
ダミアンさんは興奮を隠しきれない様子で、懐からナイフのようなものを取り出した。
一瞬どきっとしたが、それが部屋の明かりを反射しないのですぐに分かった。
「それはドラゴンの……牙、ですか?」
「ああ。父を殺したドラゴンの牙だ。父の遺体に残っていた」
短剣ほどの大きさのそれは、黄ばんだ色をしており、根元の所に黒ずんだ皮ひもが結ばれてあった。
これがダミアンさんのお父さんを殺した。
(そしてダミアンさんは、これを大事に持っている――)
さぞや無念な死だったのだろうと考えた時、その牙の上に双頭の兎をかたどった紋章がぼうっと浮かんだ。
「これは……! 魔法の痕跡」
「ああ。見えるだろう、二つ頭の兎の紋章が。この紋章は、ミルカさん、あなたの体にも見える」
「そんな、どうして」
「それは今から確かめる」
ダミアンさんが距離を詰めてくる。ドラゴンの牙をソファの上に置いた彼の手が、私のドレスに伸びた。
その手が私の背中に伸ばされ、締め上げた紐を性急にほどき始める。
緩んだコルセットの感覚、肩と首筋に感じる冷たい空気に、私は総毛立った。
(背中の傷が、見られてしまう……!)
「やめて下さい!」
「本人に自覚がないのならば、きっと自分では見えないところ……あるいは、眠っている間に無防備に曝け出すところに呪いがあるはず……」
「やめて、ダミアンさん! 自分で確認しますから、背中は止めて、」
しかしダミアンさんの手は容赦なくドレスを緩め、背中を大きく広げてしまう。
ずり落ちたドレスを慌てて両腕で押さえた瞬間、ひんやりとした外気が背中を撫で、ダミアンさんの眼差しが背中に注がれる。
だめ、と叫びかけたその瞬間、ダミアンさんの体が後ろに吹っ飛んだ。
「ミルカ嬢に触れるな!」
叫んだのは、ヴォルテール様だった。
(ヴォルテール様、どうしてここに……!)
きっとダミアンさんを殴り飛ばしたのだろう、拳を構えたまま、私とダミアンさんの間に割って入る。
やめて、と叫びたかった。誰にも見られたくなかった。
けれどヴォルテール様はお優しいから――、きっと私を、見てしまう。
「大丈夫か、ミルカ嬢」
そう言ったヴォルテール様の視線が、私の背中に注がれているのが分かった。
深い絶望が私の足元から全身を飲み込んでゆく。
(背中を、見られてしまった。傷のある穢れたドラゴン娘と呼ばれて、婚約者を作ることができなかった理由を――知られて、しまった)
私のことを好きだと言ってくれているヴォルテール様も、この背中を見てしまえば、絶句するしかないだろう。
その事実が胸を抉る。
もう、ヴォルテール様が私を好きだと言うこともないのだと思うと、泣き笑いのような気持ちになった。
今更だけれど、あの言葉にどれだけ自分が救われていたか――どれだけ胸を高鳴らせていたか、分かってしまったのだ。
(北方辺境の領主と
みっともなく泣き出してしまう前に、ここを去らなければ。
私はそっとドレスを肩まで引き上げて、立ち上がろうとする。
と、その背中にふわりとマントがかけられた。
「――このままだと冷える」
この傷を見ても、ヴォルテール様は顔色一つ変えていない。
そのままマントで私をくるみ、ひょいと抱き上げてしまった。
「あ、あ、あの、ヴォルテール様……!?」
「私室へ。恐らくあなたの背中の傷には、魔法による適切な手当てが必要だ」
そうしてヴォルテール様は、床にへたりこんでいるダミアンさんを睨み付けた。
思わずすくみあがるほどの眼光の鋭さに、ダミアンさんも目を逸らすしかないようだ。
「ミルカ嬢への
「……」
ダミアンさんは答えなかった。ヴォルテール様は私を抱いたまま、靴音も高らかに小部屋を出た。
薄明りの灯る廊下を、ヴォルテール様は足早に歩いてゆく。
遠くの方で、ダンスのための音楽が奏でられ始めているのが聞こえた。
私はどうにか声を絞り出した。
「あ、あの、私なら大丈夫ですから、ヴォルテール様は夜会にお戻りください」
「……さぞや恐ろしかっただろうな、ミルカ嬢」
「え……?」
「怖かったと言って良いんだよ。あなたは一人ではない。私がいる。あなたの弱音も本音も全て受け止めてやる」
ヴォルテール様の優しい声が私の体に染み入り、身を強張らせていた絶望を追い払ってしまう。
ああ、と声が漏れたのは、ついに涙がこぼれてしまったせいだと思う。分からない。
「……はい。怖かった、です」
そう言うと、ヴォルテール様が強く私を抱きしめてくれた。
安堵なのか恐怖なのか、よく分からない感情の中で、私は子供みたいにぼろぼろ涙を流した。自分ではもう止められない。
遠くからイスクラの足音が聞こえてくる。
私の贈った首飾りの金鎖と鱗がこすれる、さらさらという音と共に。
一人じゃない。その言葉を信じられない気持ちで噛み締める。
(ヴォルテール様は、私の背中の傷を見ても、逃げなかった。傷のある穢れた女と呼ばなかった。……この人のことを、信じても、良いんだろうか)
祈るように顔を伏せると、ヴォルテール様のマントから、甘いコロンの香りがした。
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