53話 北方辺境領主の夜


「ごきげんよう、領主様。あなたもカイルもお元気なようで、何よりですわ」

「これはこれは、ベンヤミン公爵夫人。今宵も素敵なお召し物で、私もカイルも目がくらみそうです。ご滞在はいかがでしょう、楽しんで頂けていますか」

「ええ、とっても! 先程、新しくここにやって来た火吹き種のドラゴンを見せてもらったけれど、とても美しいのね」


ヴォルテールは片眉をぴくりと動かす。


(では既にミルカ嬢に会ったのか。確かこの公爵夫人には、年頃の息子がいたはず……)


 頭の中で素早く策略を巡らせながら、ヴォルテールはにこりと笑った。


「あのドラゴンは、側にいたご令嬢を大層気に入っているのですよ。私とカイルのように、分かちがたく結びついています」

「まあ、素敵。確かに雰囲気のあるお嬢さんだったものね。美しいのだけれど、ほんの僅かかげがあって……。彼女が笑ってくれると、嬉しくなっちゃう」

「ええ、本当に」

「でもドラゴンに好かれているんじゃ、私の息子の出る幕はなさそうね。私の息子は武闘派じゃないもの、ドラゴンと戦ったら負けてしまう」


 期待通りの答えにヴォルテールは笑みを深める。


(そうだ、ドラゴンに怖気おじけづくような男など、ミルカ嬢には必要ない。さっさと尻をまくって逃げろ)


 と、ベンヤミン公爵夫人は呆れたように笑って、扇子をさっと開いた。

 その扇子の影で、囁くように言う。


「そう嬉しそうな顔をなさるものではないわ。ばれてしまうわよ」

「……何が、でしょう?」

「あなたがあのお嬢さんにご執心であるということが、よ。一緒に入って来た時点で火を見るより明らかだったけれどね」

「そのために、彼女と共に入場したのですから、当然ですね」

「大体あなた、男性が彼女に話しかけるたびに物凄い形相で睨み付けるか、自分の従僕を向かわせているでしょう。あれ、露骨すぎるわよ」


 ばれている相手に取りつくろう必要もない。ヴォルテールは開き直った。


「『欲しい物があれば迷わず手を伸ばせ』。私がカイルから得た多くの教訓の中の一つです」

「まあ。ドラゴンのそういうところ、私は大好きよ」


 ベンヤミン公爵夫人は、ク・ヴィスタ共和国の貴族だ。金融業に従事しており、北方辺境の物流に関しても投資を行っている。

 貴族が金融業に携わることは珍しく、ク・ヴィスタ共和国の中でも異端の扱いを受けているらしいが、彼ら一族の投資先を選ぶ目は極めて優れている。

 その証左に、公爵夫人の首を彩るのは、南国の巨大なダイヤモンドだ。

 デザインも優れているが、何よりもその大きさが目を惹く。圧倒的な財力を見せつけるかのような装いに、カイルも目を奪われていた。


「ミルカさんといったかしら。立ち居振る舞いは立派な淑女のそれね。どうしてあんな良いご令嬢が北方辺境にいるのかしら。いえ、私はここを辺境だとは思っていないけれど、セミスフィア王国にとってはそうでしょう」

「好奇心は猫をも殺すといいます、公爵夫人」

「詮索するなって? でもね、あれほど美しい娘さんですもの。いずれ誰かに探られるわよ。何しろ夜会シーズンはまだまだ始まったばっかり。これからク・ヴィスタの貴族たちもどんどん到着するわ」

「……誰かが、ミルカ嬢のことを調べ上げると?」

「丸裸にしてしまうでしょうね。そしてそれはあなたの弱みにもなり得る」


 揺さぶるような言葉に、ヴォルテールは唇を引き結ぶ。

 ポーカーフェイスは北方辺境領主のたしなみだ。けれど公爵夫人は、取り繕ったはずの無表情に何らかの動揺を読み取ったらしい。

 面白そうに笑いながら、扇子を閉じる。


「そう怖い顔をなさらないで。簡単な話よ、北方辺境領主様? 男が女を守りたいとき、結婚という手は最も有効的に働く」

「……それは私も考えましたが。今のままだと、火吹き種が目当ての愛なき結婚だと彼女に思われそうで」

「なるほど、そう考える子なのね。苦労してきたのでしょう」

「あの細腕で、父親が亡くなったあとの家を懸命に支えて来たご令嬢ですから」

「あなたにはぴったりね。そしてあの子にも、あなたはぴったりだと思うわ」


 そう言ってベンヤミン公爵夫人は微笑んだ。


「あの子にはきっと、あなたみたいな辛抱強い相手が良いのよ」

「お褒めに預かり恐縮です、夫人」

「ふふふ。上手くやるのよ、あなたがあのお嬢さんとドラゴンを伴ってダンスホールに現れた姿……とってもお似合いだったもの。今度は結婚式であの姿を見せて頂戴」


 ベンヤミン公爵夫人は、楽しげな笑い声をあげて去ってゆく。

 ほっと一息つく。ヴォルテールは反射的にミルカの姿を探していた。

 何しろ彼女はとても目立っていた。元々北方辺境に妙齢の女性は少ないのだが、その少ない女性の中でもひときわ美しかったからだ。

 姿かたちだけではない。恐らくは彼女が生来持っている気品のゆえだろう。


(油断も隙もあったものではない。イスクラがいれば多少虫よけになるかと思ったが、北方辺境まで来るようなもの好きには効かなかったか)


 ヴォルテールは、時折ケネスを差し向けてまで、ミルカに話しかける男を排除しようとしていた。

 自由に選べ、などと余裕を見せていた彼の姿はどこにもない。ただの恋する男と化したヴォルテールは、ミルカが妙な男に声をかけられるたびに、嫉妬と独占欲を滲ませた視線を送っていた。

 もっともそのことに、ミルカ自身は気づいていないようだったが。


(ミルカ嬢はどこだ……? そろそろダンスが始まる。一番最初のダンスは何としてでも私と踊ってもらわねば――)


 その瞬間、ヴォルテールは信じがたい姿を目撃する。

 それは背の高い美丈夫――ダミアンが、ミルカの細腕をつかみ、無理やり会場から連れ出している姿だった。


 ヴォルテールは目の前に誰かが挨拶に来ていることも、ホストとしての礼儀も忘れ、その場から駆け出した。

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