52話 目を輝かせている少年
ケネスさんが案内してくれたのは、広間の端、楽団の側にある大きなガラス張りの空間だった。
その中には複数のマゼーパ――アンドルゾーヴォの街を駆けまわっていた、小型のドラゴン――が、きょろきょろと興味深そうに人間を見つめていた。
よく見ると、ガラス張りの空間は地面で外と繋がっているらしく、違う個体が次々にガラス張りの空間にやってきては、そこに置いてある食べ物を掴んで、ぼりぼりとむさぼっていた。
食べ物はどんどん継ぎ足されているので、マゼーパたちはひっきりなしに出入りしており、見ていて飽きない。
「北方辺境ではよく見る光景ですけど、外から来る人間はなかなかお目にかかれないでしょう。連中、冬は屋内に引きこもってますし」
「面白いです、ケネスさん! マゼーパが自由に出入りできるというのが良いですね」
「そうそう、ガラスのケージを置くことも考えたんですが、それだと連中が飽きるし、見る側も動物園みたいで面白くないかと思って。……っと、餌が足りないな。俺ちょっと追加してきます」
ケネスさんはそう言うと広間を出て行った。
と、分厚い毛皮のジャケットを着た十歳くらいの男の子が、しゃがみこんで食い入るようにマゼーパを見つめていることに気づく。恐らくダミアンさんたち狩人の一派だろう。
彼らの真珠色をした牙が、ニンジンをいとも簡単にかみ砕く様を、ずっと眺めている。
と、男の子がぱっと顔を上げた。彼が目を丸くして見つめているのは――イスクラだ。
「……すごい。綺麗なドラゴンですね」
声変わりを迎えていない声が、礼儀正しく言う。
私はにっこり笑って、
「ええ、私もそう思うわ。白い体に薄桃色の模様が入っていて、花のように見えるわよね」
「ドラゴンは手なずけられないと聞きました。でもあなたの側にずっといます」
「この子は――訳あって、一緒にいてくれるの」
「あなたのドラゴンですか?」
私が答える前にイスクラが答えた。
「『そう』。『私はミルカの』『ドラゴン』!」
「……ええ。彼女は私のドラゴンよ」
すると男の子は目を輝かせた。
「ダミアンさんはドラゴンを飼ったり、犬のように慣らすことはできないって言うんです。僕もそうだと思います。だけど……中にはすごく人間を助けてくれたり、人間が好きな個体もいるんです」
「ええ、分かるわ」
「そういうドラゴンと一緒に、狩りができたらなあって思うんです。それでお返しに、僕たちがドラゴンの役に立つような、そういうことをしたいんです」
静かに頷くと、男の子はほっとしたように表情を緩ませる。
きっと、ずっと考えていたことだったんだろう。
「そういうことをするためには、どうしたらいいですか」
「そうね。まずあなたも分かっている通り、ドラゴンは犬や馬のように慣らすことはできないわ。気難しいし、こちらが予想もつかないことで暴れるし、もしかしたら魔法を使ってくるかもしれない、危険な生き物よ」
男の子は深く頷く。
「まずはそれを頭にずっと置いておくことが大切よ。軽率なことをすれば、自分が怪我を負ったり死んだりするだけではなく、あなたを傷つけたドラゴンまで殺されてしまうから」
「分かっています。前に、僕の友達がドラゴンのせいで怪我をしたときに……お姉さんが言ったことと同じことが起こりました」
「なら、あなたは同じ過ちを犯さないわね」
励ますように言うと、男の子は顔を上げた。
「自分の身を守ることが、ドラゴンを守ることに繋がるの。だから私たちは絶対に怪我をしてはならない。彼らに背を向けたり、怒らせたりしてはだめ。そのために必要なことは、ドラゴンをよく観察することよ。今あなたがしていたようにね」
「ダミアンさんも同じことを言っていました」
ドラゴンマニアと同じ考えなんて、心強い。
私は話しながら、父のことを思い出していた。
(お父さんに見守られながら、初めてドラゴンに触った日……ふふ、あの時言われたのと同じことを今言ってる)
「偉くなりたいとか、目立ちたいとか、皆にちやほやされたいとか、そういう考えを持ったままドラゴンに近づいてはだめ。ドラゴンと向き合う時はただドラゴンだけを見るようにする。そうすれば、彼らを理解できる瞬間がきっとくる」
「理解できる瞬間が……くる」
「もちろん、理解できないことの方が多いし、一度理解できたからといって、そのドラゴンの全てを分かった気になってはいけない。ドラゴンにはまだ分かっていない習性がたくさんある。友好的だった個体が、急に狂暴になったりもする。――でも、それを用心深さと運で乗り越えることができたら、ドラゴンとの間に絆が生まれる」
報われないことの方が多い。面倒を見たドラゴンに襲われたり、こちらの宝石を奪われたりして「せっかく助けてやったのに」と徒労感を覚えることもあるかもしれない。
私も子供の時、怪我をしたドラゴンを寝る間も惜しんで治療したのに、そのドラゴンに噛みつかれそうになったことがあった。
(だからこそ、ドラゴンと結ぶ絆は尊いのよね)
私はブランカを思い出す。
彼とはイスクラのように意思疎通ができるわけではない。
あれほど好いてもらえるようになるには、紆余曲折があったものだ。
「……難しいことなんですね。ドラゴンと一緒に暮らすって」
「簡単じゃないわね。でもその分、とても楽しいことは確かよ!」
そう言うと男の子はにっこり笑った。
「僕、頑張ります」
彼は子供らしい集中力で、あっという間にマゼーパの観察に戻っていった。
と、後ろから感心したような声が聞こえて来た。
「ミルカさんはそんなことを考えているのか」
低い声はきっと、ダミアンさんだ。
「全部父の受け売りですが」
と言いながら振り返った私は、びっくりしてぽかんと口を開けてしまった。
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