40話 便り



 いつものようにドラゴン舎を掃除していると、外からカイルがぬっと顔を突き出した。

 他のドラゴンよりも遥かに大きな彼は、首だけでも存在感がある。

 反射的に健康チェックをする。美しく生え揃った鱗と牙は輝いており、目の色にも濁りはない。


「元気そうね。どうしたの、カイル」


 カイルは黙って口にくわえていた玉のようなものを私の前に差し出し、それを牙の先で砕いた。

 ぱちんというシャボン玉がつぶれるような音と共に、目の前に全く異なる光景が広がる。

 今までドラゴン舎にいたはずなのに、まるでタペストリーを広げるように、王宮の光景が展開されていた。

 その場に立っているかのような臨場感は、人智のなせるわざではなさそうだ。


「どういうこと……? これってもしかして、魔法?」


 カイルは肯定のしるしに低く唸った。

 王宮にはまだ本格的な冬は訪れておらず、鮮やかな紅葉が王宮の庭を彩っている。

 よく見ると庭は所々荒れていた。

 たぶん、ドラゴンたちが樹木の上で眠ったり、芝生の上で喧嘩したりするせいだろう。


「ドラゴンたちに適切な寝床を提供できていないのかしら。引き継ぎ書を置いておいたつもりだけど、やっぱり文章だけじゃわからないこともあるわよね」


 と気を揉んでいると、庭の中に白い小さなドラゴンが現れた。

 胸がきゅっと締め付けられる。


「ブランカ……」


 プラチナドラゴンの仔は、私の記憶の中の大きさのままで、舞い落ちる落ち葉を追いかけている。

 大きくなってはいないが、痩せたり病気をしたりしている様子もなさそうだ。その事実に胸を撫で下ろす。


(あ……。私が贈ったルビーの首飾りも、着けてくれているのね。似合ってるわ)


 触れようと手を伸ばすけれど、霞のように手ごたえがない。

 想像だが、これは魔法で作った幻影の手紙のようなものなのだろう。


「元気そうね。良かった……! それにしてもこれは誰の魔法? あなた?」


 カイルが首を振る。


「じゃあもしかして……ブランカ?」


 肯定の唸りが聞こえ、私は感心してしまった。


「すごいわね。こんなこともできるなんて知らなかった。プラチナドラゴンの仔だから、魔法くらい使えるのかもしれないけど、私は見たことが無かったから……。成長したわね」


 カイルが教えてくれたの、と尋ねようとして、背後から思い切り体当たりされ、前につんのめってしまった。


「キュウッ!」


 イスクラだ。彼女は興奮した様子で、魔法の中のブランカの姿を見ている。


(そっか、イスクラにとってブランカは見たことのないドラゴンよね。敵だと思っているのかも)


 イスクラが火を吹きかねない勢いだったので、私は彼女の首の辺りを軽く叩きながらなだめた。


「大丈夫よ、このドラゴンはプラチナドラゴンの仔でね、私が王宮にいた頃にお世話してたドラゴンなのよ」

「『頭にくる』!」

「ええ? どうして」

「『ミルカ』『とられる』! 『魔法』『マーキング』『してる』」

「マーキング?」


 よく分からないけれど、イスクラは幻影のブランカに向かって、尻尾を振り上げたり威嚇の声を上げたりしている。

 すると幻影の中のブランカも、イスクラに向かってからかうように翼を動かして、挑発するのだった。

 初対面でここまで険悪になれるものなのか、と思っていると、ブランカの向こうに人影の幻が現れた。


 見覚えがありすぎるほどある人物だった。

 ハンス・ヴィイ・ヴォーハルト。

 この国の第二皇子であり、私の元・婚約者。


(うーん? 久しぶりに見ると、何だか間の抜けた顔をしてるわね。この人が王様だったらちょっと不安かも)


 別に醜男というわけではないはずなのに。

 むしろ、婚約者だった頃は、少しだけど、かっこよく見えた時もあったはずなのに。


(ヴォルテール様という比較対象ができたせいかしらね)


 そのヴォルテール様に、思いを告げられた時のことを思い出しかけた、その瞬間だった。


 ハンス皇子の後ろに、痩せた初老の男が現れた。ねばついた、企みがあるような眼差しでブランカを見つめている。

 油断ならない雰囲気があった。身なりからして金持ちのようだが、上着に勲章がないので、貴族ではなさそうだ。


「誰かしら……? 王宮で見かけたことのない人ね」


 その人はじっとりといやらしい目でブランカを見つめている。

 そして何か古い本を手にして、ぶつぶつと呟いているようだが、ブランカが尻尾を一振りすると、ハンス皇子もろとも煙のように掻き消えてしまった。

 だが彼らは再び庭の端に現れ、ブランカの方に近寄って来る。

 苛立ったようにため息をついてみせるブランカ。


「……この人たちが、ブランカに付きまとっているってことなのかしら?」

「『うん』『魔法』『使ってる』」

「魔法を、ブランカに? どうしてそんなことを……」

「『すごくない』『魔法』。『植物を』『大きく』『成長』」


 そう言ってイスクラは、


「『馬鹿』『弱い』『赤ちゃん』。『効果ない』」


 と、彼女なりの罵声を浴びせ始める。


「つまり、この男の人とハンス皇子がブランカに魔法をかけようとしているけど、弱すぎて彼には効果が出てないってこと?」

「『馬鹿』『ドラゴンは』『植物じゃない』」

「ああ、植物を成長させるための魔法をブランカにかけようとしたけど、全然意味がなかった、ってことね」

「『人間』『魔法が弱い』。『ドラゴン』『魔法が強い』!」


 イスクラは胸を張っている。


(多分、ドラゴンの方が魔法が強いって言いたいのね。それはそうでしょうけど、でも、どうして植物を成長させる魔法なんかを?)


 もしかしてハンス皇子は、まだあきらめていないんだろうか。

 王の聖なる気を吸って成長するというプラチナドラゴンの仔を育てれば、自分が王座につけると思っているのだろうか。


「……あまり勝ち目があるようには見えないけれど」


 何だかいたたまれない気持ちになる。

 見当違いの魔法を使ってまで、王になりたいのだろうか。それほどまでに王とは素敵なものなのだろうか。


(でも、もう私には関係のないことね)


 私は首を振ると、幻のブランカの鱗に触れた。

 何も感じない。当たり前だ、彼はここにはいないのだから。

 代わりに、私の指先にイスクラが顔を寄せる。またしても険悪な雰囲気になる二頭に、私は苦笑した。


「ねえイスクラ、同じ魔法を使うことはできる? お手紙にはお返事を書かなきゃ」

「『やだ』!」

「そう言わないで、お願いよ」

「『いや』!」


 そっぽを向いてしまうイスクラ。

 どうなだめすかそうかと考えていると、今までじっと様子を見ていたカイルが、喉を鳴らした。


「もしかして……。あなたが返事をしてくれるの? ありがとう!」


 どうか、あのプラチナドラゴンの仔に届けばいい。


(遠くでもあなたのことを思っているわ。ブランカ)

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