37話 王宮の小さなドラゴン


 王宮に暮らす小さなプラチナドラゴンの仔は、面白くなかった。

 もちろん世話をする人間が、恐ろしく気が利かないということも一因だ。

 ミルカと、彼女が率いていた飼育人がいなくなった今、ドラゴンの世話をまともにできる人間は皆無だった。


 それでもブランカは辛抱強く世話を受け入れていた。

 それもこれもミルカのためだ。

 自分が表立ってミルカを慕うと、ミルカに不都合なことが起こるということを、彼は北方辺境で学んでいた。


 そう、ブランカを悩ませているのは、その北方辺境だ。

 カイルという巨大なドラゴンは魔法が使えるらしく、その力でブランカにミルカの近況を知らせてくれた。

 その近況の中に、なんと、ミルカを慕う火吹き種のドラゴンがいるという情報があった。


 ブランカはそれが面白くない!


 だってミルカはブランカのものだ。他のドラゴンになんて取られたくない。

 カイルは、ミルカはそのドラゴンにイスクラとかいう名前をつけてやったそうだと告げていたけれど、ブランカだってミルカから名前をもらった。

 それにミルカが身に着けていた宝石をプレゼントされている。

 ブランカの首にかかるそのルビーはとても綺麗で、彼は事あるごとにそれを眺めては思い出に浸っている。

 つまり、火吹き種なんか取るに足らないはずなのだ。自分の方がずっとずっとミルカを愛している。

 

 ――でもやっぱり、ミルカを乗せて飛んでいるのはその火吹き種で、寒い土地でミルカを暖めているのもまた、その火吹き種なのだ。王宮にいる自分ではなく。

 

 ブランカの、ドラゴンらしい嫉妬は、すぐに怒りに取って代わった。


 それでなくても、最近は周りに厄介な魔法の気配が渦巻いていて不愉快なのだ。

 皇子とかいう青年がひっきりなしにブランカの周りをうろちょろしているだけならまだしも、嫌な魔法の気配を秘めた男までもがブランカの元を訪れる。

 老獪ろうかいな狐のように目を細めたその男は、ブランカに何か魔法を使おうとしているらしかった。


 ブランカは笑ってしまう。

 人間の魔法など、千年の昔から児戯じぎのようなものだった。彼らはドラゴンを意のままに操ろうと、かわいらしい魔法を繰り出すのだが、レベルが違いすぎて、ちっとも意味をなさない。

 魔法がきかないことが分かると、皇子は苛立ち、男は焦りを含んだ嘲笑を浮かべる。

 茶番はほどほどにしてもらいたいものだと、ブランカはいつも思っている。


「……」


 ブランカは、人間がいうところの「王の聖なる気」というものが分かる。

 聖なる気というものを、人間に分かりやすく言い換えるならば「正しい心」だろうか。

 プラチナドラゴンは魔法を使う。

 それは火吹き種のように、下品に焔を吐き散らかすような類のものではなく、もっと内面的で、静かで、美しいものだ。


 ――ブランカの目には、人の心や精神が、形を伴って見える。

 そうして、それを餌とは異なる形で摂取し、成長する。


 ミルカの父の心はいつも四角く、正しい心ではあるけれど、少し頑固な気質があった。

 ミルカの心は、父親のそれを一回り小さくしたような形で、愛情深いながらも、自分に厳しいという苦みがあるところが、ブランカの気に入っているところだった。

 王宮にいる皇子の心はいずれもねじ曲がって、刺々しくて、舐めることさえできなかったから、彼が少しでも体を大きくすることができたのは、ひとえにアールトネン一家と、彼らと共に働く飼育人たちのおかげだった。


 そして、北方辺境の領主であり、カイルが主と慕う人間、ヴォルテールの心は、完璧な形をしていた。

 丸いのだ。口に含んでみたくなるほど滑らかで、落ち着いていて、いかにも滋養がありそうで。

 優しいだけの味ではなく、けれどその根底には、ブランカが最も美味に感じる愛という感情がある。


 ブランカはミルカ以外の人間に興味がない。彼らがどうなろうと知ったことではない。

 だが、自分を王を計るための存在として利用する人間は、賢いと思う。

 きっと人々を統べるには、ヴォルテールのような心が必要なのだ。

 ドラゴンだって同じだ。群れの中でアルファになるためには、自分のことばかり考えてはいけない。

 他のドラゴンのことを考え、利害が対立したらそれをうまく収め、子供を大事にし、明日に希望を見せてくれる存在が、アルファドラゴンなのだ。


「……グルゥ」


 だからきっと、人間の王になるべきはヴォルテールなのだと思う。

 そのヴォルテールの側にミルカがいることは、少しだけだがブランカを安心させた。

 少なくともここにいる時よりはずっと、ずっと良い。ミルカはいじめられてばかりで、自分はそれを上手く守ることができなかったから。

 あのイスクラなるドラゴンには、もちろん、我慢がならないけれど!


 ブランカは顔を上げ、紅葉に彩られた王宮の庭を眺める。

 もうじき北方辺境は雪に閉ざされるそうだが、カイルが魔法で送る便りは、気候の厳しさなどものともしない。

 今までは特に返信を送っていなかったが、気晴らしにこちらの様子でも知らせてやろうと、ブランカは魔法を展開し始める。カイルのおかげで、どんな風に魔法を使えば良いのかは分かっている。


 ――ミルカには思い出してもらわなければならない。

 彼女の最初のドラゴンは、イスクラとかいうぽっと出の火吹き種などではなく、この気高いブランカであることを。


 ブランカはカイルへの返事を作り上げる。

 彼の分身、ほんのひと時の幻を魔法で封じこめて、小さな光の玉に形作ると、秋晴れの空に解き放った。

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