18話 しばしのお別れ
もっと駄々をこねるかと思ったが、ブランカは存外素直に、王宮へ帰ることを受け入れてくれた。
どこか悲しそうな様子でありながらも、前向きな気持ちでいることが何となく分かって、少しだけほっとしている。
執務官と共に王宮に帰る前の、最後のひと時をブランカと過ごしていると、タリさんが部屋に入って来た。
「ブランカの餌、袋に詰めておきました! ケネスが途中まで付き添うって言ってるから、元気出してね、ブランカ」
タリさんに励まされても、ブランカは鱗を垂らして元気がなさそうだ。
やはり帰りたくはないのだろう。それでも私の言うことを聞いてくれるのが不思議だ。
「あなたが王宮に帰ることを受け入れてくれたのは立派だと思うけれど、最初は帰りたがらなかったでしょう。何かあったの?」
「ああ、それはヴォルテール様が言い聞かせたからでしょう。カイルを通じてね」
「カイルを?」
「ヴォルテール様とカイルは、特別な絆で結ばれていますから、お互いの言うことが分かるんですよ。ドラゴン同士は普通に意思疎通できますから、ヴォルテール様はカイルを介して、ブランカの言葉を理解できるんです」
「すごいですね……! 特別な絆って、どういうものなのでしょう」
敬語使わなくて良いですよ、と前置きして、タリさんが教えてくれた。
「カイルは希少なクロゾフォラ種なんですけど、このクロゾフォラ種ってのは魔法が使えると言われているんですよ」
「魔法……」
聞いたことがある。ドラゴンのみが使用することを許された、不思議な力のことだ。
例えば、風種のドラゴン。
彼らが風を起こす原理は未だ分かっておらず、魔法によって風を編み出しているのではないかとされている。
他にも、火吹き種という火を操るドラゴンも、自らが主と選んだ人間にのみ、魔法で話しかけてくる――という逸話が残っている。
火吹き種に関しては、熱帯の方にしか生息していない上に、貴重な種なので、伝承の域を出ないのだけれど。
「その魔法を使って、主と定めた人間と、特別な絆を結ぶんですって。すると意思疎通ができるようになるとか」
「人間にとってはありがたいことだけれど、ドラゴンはどうして人と絆を結ぶのかしらね。何か良いことがあるのかしら」
「あっ、やーっと敬語取って下さいましたね? ドラゴンの方のメリットについては……どうでしょうね。意外とドラゴンも、寂しがり屋なのかもしれませんよ?」
「寂しがり屋?」
「はい。寂しいから、人と絆を結びたいって思うんですよ」
なーんて、と言いながらタリさんは窓を見やった。
「おっ、クイヴァニール行きのドラゴンたちが到着しましたね。そろそろみたいです」
「行きましょう、ブランカ。……その前に、ちょっといいかしら」
私はきょとんとした顔のブランカの前にしゃがみこんだ。
*
「では、プラチナドラゴンの仔はこちらに引き渡して貰いますぞ」
執務官は、まるで私がブランカをさらったような口調で、居丈高に言った。
するとヴォルテール様がずいっと前に出て、
「正しくは『何らかの手違いで』プラチナドラゴンの仔がここまで来てしまったので『丁重にお世話をしたうえで』送らせて頂く、だな?」
「……っ、まあ、そうとも言うな」
「よろしい。貴殿が王宮で、事実に即したことのみを述べることを期待している」
つまり、間違っても「私がプラチナドラゴンの仔を誘拐した」などと言いふらすな、と釘を刺しているわけだ。
もしそんな嘘がまかり通ってしまえば、王宮に北方辺境へ攻め入る口実を与えることになるとヴォルテール様は言っていた。
(私のせいで、北方辺境の人に迷惑をかけることにならないと良いんだけど)
そう思いながら、私はブランカの前に立つ。心なしか、来た時より一回り大きくなったように見えた。
「今度こそさよならね、ブランカ」
「……」
そっと額を押し付けてくるブランカの喉を、ゆっくりとさすった。ビロードのような鱗の優しい感触に、涙が出そうになる。
(私が流罪人で、ブランカが王宮のドラゴンである以上――もう多分、会うことはない)
「追いかけて来てくれてありがとうね。嬉しかったわ」
そう言ってさっと身を離す。あまり長く触れていると、離れがたくなりそうだった。
執務官は、来た時と同じように、ドラゴンに乗って去って行った。ただし、今回はティカに乗るのは止めたらしい。
先導するケネスさんのドラゴンも含め、翼を持つものたちが一斉に舞い上がり、あっという間に飛び去ってゆく。
「さようなら!」
風圧に暴れる髪を抑えながら、強く手を振った。
ブランカは名残惜しそうに後ろを見ながら飛ぶので、どこかにぶつかりやしないかとひやひやした。
日の光を受けてきらきら輝く彼の鱗が、どんどん遠ざかってゆく。王宮へと帰ってゆく。
私はブランカの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
ブランカが飛び去ったあとの空は、何だか色がぼやけて見える。
ぼんやりと空を眺める私の脳裏を、先程のタリさんの言葉が過ぎった。
(寂しいから、人と絆を結びたいって思うんですよ、か……)
ブランカは寂しいから私を追いかけて来てくれたのだろうか。
私は……寂しいから、ドラゴンにのめり込むようになったのだろうか?
母さんが亡くなって。父さんも亡くなって。
誰もいなくなってしまったから、ドラゴンの面倒を見ることでしか、寂しさを埋め合わせられなかったのかもしれない。
今更のように、闇夜をたった一頭で飛ぶブランカの姿を想像する。
夜は冷たくて、寒くて、得体の知れない野生のドラゴンの気配もして、さぞ恐ろしかったことだろう。
(けれどそんなものよりもっと恐ろしいものがあったのね)
私に置いていかれることが、きっとブランカには何より恐ろしかった。
けれど私は、そんなブランカを追い返してしまった。酷いことを、した。
「……ああ」
思わず涙がこぼれたのを、急いで拭う。
ヴォルテール様は私の方を見ていない。泣いたことには気づかれないだろう。
彼はブランカの飛び立った空を見つめながら、尋ねた。
「ブランカに何か贈り物をしたのか?」
「お気づきになりましたか。はい、私のネックレスを、サイズを直して贈りました」
大きな紅玉の周りを、小さな薄紅色の染色ダイヤが囲んだネックレス。
鎖部分をドラゴン用に補強したから、簡単に千切れてしまうことはないだろう。
「長い道のりを必死になって飛んで、私を追ってきてくれたブランカに、せめて何か贈りたかったんです」
「彼も喜んでいるだろう。――そう今生の別れのような顔をするものではない。また会うことになるかも知れないぞ」
「それって……どういう意味ですか」
ヴォルテール様は答えない。
けれど、また会うことになるかも知れないという慰めの言葉は、少しだけ私の心を軽くしてくれた。
(夢物語だって、分かっているのだけれど)
「また……会えたらいいなと思います」
「会えるだろう。あなたとブランカがそう望むのであれば」
ふっと微笑んだヴォルテール様の言葉は優しく、私はこの人が領主として慕われるのも分かるような気がした。
希望を見せてくれる人に、人間はついていくものだから。
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