幕間・ヴォルテール


 山のような書類をさばき、いくつかの商談をこなしたヴォルテールは、カイルを伴って街中に降りた。

 ヴォルテールにしろカイルにしろ、近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのだが、道を往く人々は特に気にしていない。

 カイルは小山のような大きさで恐ろしいが、ヴォルテールがいる限り、人を傷つけることはないからだ。ヴォルテールが命令しない限り、牙を剥くことさえしない。


「……」


 街中をざっと視察したヴォルテールは、やがて目的地に着く。

 ドラゴンの丘と呼ばれる、ここら一体のドラゴンが集う場所だ。

 何頭かのドラゴンは寝そべってくつろいでいたが、他のドラゴンたちは、お尻をぺたりと地面につけるいわゆる「おすわり」の姿勢で、爪の治療を受けていた。

 ヴォルテールは、丘の端に立っているケネスの姿を見つける。

 ミルカと共に行動しているはずのプラチナドラゴンの仔は、彼の横にちょこんと座っていた。


「ケネス。ミルカ嬢の様子はどうだ」

「ああ、ヴォルテール様! ミルカ嬢でしたら、あの通りです」


 ケネスが指さす方向を見ると、髪を一つにまとめ、額に汗を浮かべながら走り回るミルカの姿があった。

 ギムリと共にバケツと刷毛を持って、ドラゴンたちの間をひっきりなしに行き来している。

 険しい顔つきだが、それは集中していることの証左だろう。


「ギムリが欲しがってた瑪瑙石、ミルカ嬢がお土産に持ってきてくれたらしいんですよ。それで爪の炎症を治す薬を作って、今それを塗っていたところです」

「土産に瑪瑙石? さすがアールトネン家の御令嬢だな」

「はい。ドラゴンのこととなると別人みたいに生き生きして、指示も的確に飛ばすんですよ。凄いですね」

「それに、慣れているからといって油断もしない。飼育人になるために生まれて来たような人だな」


 ドラゴンは、ただ利害を同じくするだけの生き物であり、一部の魔法を使える個体を除けば、人間の情や理屈は通用しない。

 懐くとか、恩を感じるとか。物語にあるような美談はここにはない。

 ミルカはそれを熟知しており、治療の時以外は決してドラゴンの体に触れなかったし、不用意に彼らに背を向けることもなかった。

 ヴォルテールは目を細めて呟いた。


「用心深い狐を見ているようだ。金色の、美しい被毛の」

「……それ、どういう意味です?」

「大した意味はない。私に詩作の能力がないことは、お前も知っているだろう?」

「いやだって、今狩る気満々の目で見てましたよね?」

「無論だ。彼女ほど価値のある獲物はないさ。――だが何しろ用心深い。上手くやらねば手に入らんだろう」

「でも、それが燃えるんですよね?」

「愚問だな」


 ケネスは、くくく、と意味ありげに笑った。

 ヴォルテールはじっと座っているプラチナドラゴンの仔に目をやる。

 不思議な光を放つ銀色の目は、ずっとミルカを追っていた。切ない程健気な仕草だ。


「……お前は、彼女と共にいたいのだろうな」

「……」


 ブランカはヴォルテールをちらりと見、ぷいとそっぽを向いた。

 と、今まで黙っていたカイルが、のそりと首を下げ、ブランカの前でがちっと歯を鳴らした。

 ブランカはびくりと身を震わせたが、負けん気たっぷりに警戒音を出す。


「……」

「……!」


 カイルとブランカ。

 二頭のドラゴンは、人間には分からないかたちで、意思疎通をしたらしかった。

 カイルはヴォルテールの前で微かに唸った。ヴォルテールの顔が和らぐ。


「カイルは何て言ってるんです?」

「ブランカは、ミルカ嬢が自分の側にいないのはおかしいと思っているが、ミルカ嬢を王宮に連れて帰りたくないとも思っているらしい」

「へえ。そりゃまたどうしてでしょう」

「王宮にいるミルカ嬢は、いつもいじめられていたから、と言っている」

「……プラチナドラゴンの仔の前でも、ミルカ嬢を酷く扱ったってことですかね。胸糞悪い話だ」

「そしてブランカは、自分が王宮に戻らないとまずいということも承知しているそうだ」


 ブランカは大人ではないが、全くの子供でもないのだ。

 だから揺れている。ミルカと共にいたいという気持ちと、自分は王宮に居なければならないという事実の間で。


「昨晩はすまなかったな、ブランカ。必死にミルカ嬢を追って飛んできたのに、ここにお前がいては迷惑だと言われ、さぞ辛かっただろう」

「……」

「だが、私は自分の言葉を撤回するつもりはない。ミルカ嬢を守りたければ、お前は王宮に帰るべきなのだ」


 ブランカはうなだれる。しおれた背の膜や尻尾が、彼の悲しみを現していた。

 カイルが低く唸った。ヴォルテールが頷く。


「便りを届けよう」

「!」


 ブランカが顔を上げた。銀色の輝く目が真っすぐにヴォルテールを見つめる。


「ミルカ嬢の様子をカイルに伝えさせよう。お前から何か彼女に伝えたいことがあれば、その時に言うと良い」


 さらさらと、金の鎖が触れ合うような音がする。ブランカの翼の付け根の鱗が震えているのだ。

 ブランカはぱっと立ち上がると、ヴォルテールのお腹にどすどすと頭をぶつけた。

 親愛の仕草に、さしものヴォルテールの顔も緩む。


「……?」


 ブランカがぱっと顔を上げ、ヴォルテールの顔をじっと見つめた。

 目線を合わせる仕草は、敵対の合図を意味する。よほど関係が深くならないとしないはずなのに、ブランカはヴォルテールから目を離さない。

 ――まるで何かを見つけたかのように。

 ブランカの行動の意味を探ろうと、ヴォルテールが目を細めていると、ミルカの軽やかな声が響いた。


「ブランカ! ……ああ、ヴォルテール様もいらしていたんですね」


 一仕事を終えたのだろう、ミルカがにこにこと笑いながら降りてくる。

 ブランカは子犬のようにミルカの足元に駆け寄って、お腹に頭をぶつける仕草をした。ミルカは慣れた様子でそれを受け止めると、喉元の鱗を指でくすぐった。


「ほったらかしにしてごめんなさい、ブランカ。今終わったわ」

「見事な働きぶりだったぞ、ミルカ嬢」

「ありがとうございます。あの、ギムリさんから伺ったのですが、ここ以外にもドラゴンがいるそうですね?」


 目を輝かせながらミルカが尋ねるのに、ヴォルテールはくすっと笑って頷いた。


「ああ。兵舎にもドラゴンがいる。いずれ連れて行こう」

「やった……! ありがとうございます」


 ミルカがにっこりと笑う。すると大輪の花が咲いたように場の空気がほころんだ。

 先程まで険しい顔をしてドラゴンと向き合っていたからこそ、そのギャップが、ヴォルテールの心をくすぐる。

 ケネスは主のまんざらでもなさそうな顔を盗み見て、これはしっかりタリに報告せねば、と思いながら、二人の肩を抱いた。


「さっ、ミルカ嬢が無事初仕事を終えたことを祝って、夕飯にいきましょう! ヴォルテール様も付き合って頂きますからね!」

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