16話 飼育人・ギムリ


 しわくちゃの顔は日に焼けており、私はふと、うちで働いてくれていたミカエルを思い出した。


「あ、あなたは……?」

「ここのドラゴンの面倒を見ている、ギムリという。あんたはプラチナドラゴンの仔と共に流罪されたお嬢さんだな」

「ミルカと申します。プラチナドラゴンの仔は後ほど王宮に帰す予定ですから、悪しからず」


 ギムリさんの使い古した作業着には、縫い目のところに小さなメレダイヤが埋め込まれており、日差しを受けてきらきら輝いていた。

 他のドラゴンたちは彼を警戒しておらず、むしろ翼の根元の鱗を震わせて上機嫌だ。


(ああ、メレダイヤを多く使うことで、宝石を節約しているのね! 宝石の量のわりに全身が輝いて見えるから、ドラゴンたちもこの人を受け入れているんだわ。こういう方法もあるなんて初めて知った……!)


 少しだけわくわくしている私を試すように、ギムリさんが言う。


「爪の炎症はドラゴンの生活習慣病に近い。完治は難しいのだ」

「ええ、仰る通りです。ですが北方辺境において、ドラゴンの爪が慢性的に炎症しているというのは、まずいことではないのでしょうか」

「どうしてそう思う」

「まず爪に炎症が起こっていると、離発着時に上手く飛び立てません。爪は翼を動かして飛ぶ力を蓄えるときに、体重を支える重要な個所ですから」

「他には」

「私はまだ見たことがありませんが、野生のドラゴンと遭遇した際に、喧嘩負けする可能性がありますね」


 ギムリさんは片眉を起用に上げて、


「ここにいるドラゴンたちは皆、風種か酸種だ。爪で戦うことはない」

「風種……。不思議な力で風を巻き起こして攻撃するものですね。酸種は、口か首のところから酸を吐き出して攻撃する種族」

「ああ。そして野生のドラゴンたちはほとんどが風種だ。遭遇したとしても遠距離の戦闘になる」

「私はクイヴァニールからここまでの道しか知りませんが、急峻な岩壁が聳え立つ場所が多くありました。岩壁を足場にする場合、炎症の起こった爪だと、反応が鈍くなるのではないでしょうか」


 ぎろり、とギムリさんが私を睨み付ける。

 一瞬たじろいだが、踏ん張ってギムリさんを見返した。


「私は新参者です。もし私の仮説が間違っていたら、訂正して頂けないでしょうか」

「……ふっ。いや、間違ってはいない。ただ爪の炎症を治療するにも、薬が――」

「あ、ここに『瑪瑙石』があります」


 私はバスケットから瑪瑙石――天馬の糞を取り出し、ギムリさんに見せた。

 ギムリさんはそれを見ると目を丸くし、


「あんたは、ここのドラゴンたちが爪の炎症を起こしていると知っていたのか?」

「いいえ。仰る通り、爪の炎症はドラゴンの生活習慣病に近いですから、瑪瑙石が無駄になることもないかと思いまして、行きがけに拾って参りました」

「拾って……」

「はい。その、お近づきのしるしになればと思いまして」


 手のひらに収まるほどの天馬の糞をギムリさんに差し出すと、ギムリさんの肩が震え始めた。


(――怒らせてしまったかしら……!?)


 ひやひやしていると、ギムリさんがいきなり豪快に笑い始めた。


「天馬の糞を土産に持ってきた流罪人は、ミルカ嬢、あんたが初めてだ!」

「そ、そうなのですか」

「正直、これほど気の利いた差し入れもない! 天馬は寒いところには生息せんからな、なかなか手に入らなくて困っていたのだ」

「ですよね! でも、この量では少し足りないかも……」

「いや、これだけあれば今いるドラゴンの治療は可能だ。蜂蜜で伸ばして、杉の葉を入れるレシピだ」

「そんな調合方法があるんですね。王宮では瑪瑙石に水、セージと魚の鱗を混ぜていましたが」

「ああ、そりゃ古いやり方だな」


 確かに、このレシピは父の持っていた古い書物に載っていたものだ。

 使う瑪瑙石は少ない方が、多くのドラゴンに薬を行き渡らせることができるから、ギムリさんのレシピの方が良いだろう。


(ああ、このレシピを、アーニャたちに教えてあげたい)


 きっと彼らも、こんなやり方があったのかと喜んでくれるだろう。


「お役に立てて良かったです」

「ああ。ヴォルテール様があんたをここにやった理由が分かったよ」

「仕事があると伺いました。人手不足だとも」

「そうだ。単純作業の人手は何とかやりくりできるのだが、ドラゴンに関する知見のある飼育人が少なくて困っていたのだ」


 餌をやったり、糞の掃除をする人手はあっても、彼らはドラゴンを恐れて近寄らないのだそうだ。

 気持ちは分かる。

 ドラゴンは犬猫のように機嫌が読みやすいわけではないし、その巨体でぶつかってこられたら、人間などひとたまりもない。


(でも、根気強く観察していれば、見えるものはある。新しく知ることのできる世界がある。それを味わえるのなら、また飼育人をやりたい……!)


「それなら是非、飼育人として働かせて下さい!」

「お嬢さんなら大歓迎だ。こき使うが許してくれよ。さて、早速だが薬を調合して、ついでにドラゴンたちのブラッシングにかかろう」

「了解です」


 私とギムリさんは同時に腕まくりをして、仕事にかかった。

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