幕間・執務室にて2
「傷心のミルカ嬢をお慰めし、あわよくばロマンスでフォーリンラブでエンゲージしちゃって下さいよ!」
「タリ……。そうやって、妙齢の令嬢を見るたびに、私に結婚を勧めるのはどうかと思うぞ。犬猫じゃあるまいし、私にも選ぶ権利というものがある」
「何気に私にも令嬢にも失礼ですね? いや確かに今までは適当に言ってましたけど、今回は本気ですっ。ね、ケネス!」
いきなり水を向けられたケネスは狼狽えたが、ややあって静かに頷いた。
「俺たち使用人一同は、あなたのことを心配しているんです。もう二十六になるわけですし、そろそろ奥方の一人でも迎えて良い頃かと」
「ケネスまでそんなことを言うのか」
「あなたがこの執務室の椅子に座られてから十年が経ちますが、その間北方辺境での生活はどんどん良くなっていきました。皆あなたに感謝しているんです」
だけど、とケネスは少し顔を歪めた。
「ヴォルテール様は働きすぎです。もう何日もベッドで眠っていらっしゃらないでしょう。これはタリ情報ですが」
「タリ、お前の口の軽さはどうにかならないのか」
「話をすり替えないで下さいません? ベッドのシーツをぐちゃっとして寝た痕跡を作ろうとしたみたいですけど、メイドの目はごまかせませんから」
ヴォルテールは静かな溜息をつく。
ケネスの言葉は真実だった。ここ北方辺境での暮らしを少しでも豊かにするため、ヴォルテールは眠る間も惜しんで働いてきた。
これからもそうするつもりだ。まだまだ改善の余地は山ほどあるのだから。
けれどケネスやタリは、ヴォルテールがそうして仕事に殉じて死ぬのではないかと心配だったのだ。
「家庭ですよ、家庭。美しい奥方に可愛い子供と大きなドラゴン。ヴォルテール様に必要なのは、あなたが帰るべき場所です」
「同感です! ヴォルテール様、帰ってきて笑顔で出迎えてくれる人がいるって、そりゃあ良いものですよ」
「働きづめのヴォルテール様には、同じくらい真面目で働き者の奥さんが良いと思うんですよ。ヴォルテール様の仕事を理解してくれる人じゃないと!」
「ドラゴンに対する忌避感がないのも大事だ。カイルがヘソを曲げますから。それで美人ならなおのこと良いですね」
「となると……消去法ではミルカ嬢ということになりますね……?」
さも初めて気づいた、という顔をするタリに、ヴォルテールは思わず笑ってしまった。
「分かった、分かった。私も彼女のことは好ましく思っている、というか率直に言うとかなり好みだ。今まで会った令嬢の中では一番」
「ですよね!? このタリの目はごまかせませんよ!」
「だが、物事には順序というものがある。――ミルカ嬢が落ち着くまで、彼女の前であまり婚約や見合いの話はしない方が良いだろうな」
「なぜです? 毎日耳元で好きだ愛している結婚してくれと言えば、さしものミルカ嬢も陥落すると思いますけど」
「彼女のトラウマを刺激したくはない」
ヴォルテールの脳裏を、泣きそうな顔で言葉を紡ぐミルカの顔が過ぎる。
『もっと上手く振る舞って、婚約者を迎え入れることができていたら、家は途絶しなかったかもしれない』
そう後悔の念を吐露するミルカは痛々しく、ドラゴンと接する時の凛々しい顔立ちからは想像もできないほど、か弱い存在に見えた。
「流罪人には流罪人なりの事情がある。ミルカ嬢が落ち着くまで少し放っておいてやれ」
「……なるほど。そういうことですね」
タリは主の顔を観察していたが、ややあってにやりと笑みを浮かべた。
優れたメイドであるところのタリには分かったのだ。
――これはもう、だいぶ好きだな、と。
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