37 ジャッキー・ボルレー

 さあここからが第二段階、本丸突入である。

 ボクは地球に接近しつつあるふたつのマイクロブラックホールを発見したドイツ人科学者をはじめとする優秀な人材を莫大な資金力にものをいわせて招へいし、人類の滅亡をくいとめるためのプロジェクトを発動した。

 事態に懐疑的な日本政府をはじめとする各国の首脳陣は、逃げまわるばかりで未来に投資しようという気持ちは薄いようであった。本当に地球へくるかこないか確定もしていない何十年も先の事象に国家予算はふり向けられないということらしい。まあ、想定内である。だからボクは『スラ・リンガン社』を設立したんだ。

 未来はゆらぐ、ボクの息子はいった。箱につめこまれたシュレディンガーの猫は観測してみなければ生きているのか、毒ガスにやられて死んでいるのかわからない。

 ボクは彼女の両親が、友だちが、仲間が生きていられる世界をマサメに観測させてやらねばならない。非力なボクは、マサメに守られてばかりいた。今度はボクがマサメを、マサメの生きる未来を守る番である。

 同時にボクは社内に防護スーツ開発チームとワームホール研究チームを発足させた。防護スーツはもちろん最大3Gに加速する重力に人々が押しつぶされることを想定し、備えるためである。ブラックホールの進撃をくいとめることができれば必要のないアイテムとなるのかもしれないが、転ばぬ先の杖ということわざもある。

 ワームホールについては、この時代の科学力では理論のみが提唱されるだけで、何ひとつわかっていないというのが実情だ。

 マサメのいた二一二二年でも実態は解明されることなく突然、ポコポコと泡のように現れるワームホールに飲みこまれたり、引き裂かれたりして死ぬ人間があとをたたなかったという。ところがその約三十年後、スラリンガンの時代ではワームホールをあやつり、時間と空間の移動を可能にしていた。と、いうことは今から調査研究を開始すれば、本格的にワームホールが出現しはじめる前に対抗策をこうじることも可能なのではないか? ボクはそう考えたのだ。だからといってサンプルもなしに、ゼロから研究をはじめるというのはあまりにも無謀だし現実的ではない。

 地球に現れる小規模ワームホールは何かが一度通りぬけると自壊してしまうらしい。大学の研究室にマサメが現れたときも、ボクら四人が渋谷ハチ公広場に吐きだされたときも、ワームホールはその場にとどまることなく雲散して消えてしまった。この時代で未使用ワームホールのサンプルを入手することは不可能なのだろうか? 


「ほんの思いつきですが、ひとつだけワームホールのサンプルを採取できるかもしれない方法があります」

 あきらめムードがただよう研究チームとのミーティングで、そう発言した女性がいた。名は、ジャッキー・ボルレー。ベルギー人の若き女性科学者である。

「聞かせてください、ジャッキーさん」

 ボクの問いにジャッキーは恐縮しながらも明瞭めいりょうにこたえた。

「ミノワ社長のお話しがすべて事実であると仮定した上での推論です。ですがこの会議室の中には、社長のお言葉を妄想であるととらえている者も数多く存在します」

「なるほど。キミもそうなのか?」

「いえ、私は社長を信じます」

「ありがとう。では、つづけてください」

「はい。スラリンガン氏、つまり社長の息子さんは自然発生的ワームホールによって過去へ跳ばされたマンサメリケス、ご自身の母親を救出するために二〇二三年の日本へ、ある意味飼いならされたワームホールを使用してタイムトラベルしてきた。これでよろしいですね?」

「その通りだ」

「スラリンガン氏は、こうも語ったそうですね? ワームホールに飲まれた多くの方々を救助するために、過去や未来へと出動するのがの任務であると」

「ああ」

ということは、スラリンガン氏のほかにも未来からレスキュー隊員がわらわらと出動し、時空間移動が可能の携帯ワームホールを世界各地に設置して活動している可能性が高いってことですよね? となれば未使用のワームホールがこの時代のどこかにに設営されている可能性だってゼロじゃない。もしかしたらスラリンガン氏が重篤患者であるお母さまをを未来へ搬送することに夢中になって、この日本のどこかにワームホールをおき忘れた可能性だって十分考えられるのでは……と、私は考えます」

「…………」

 ボクは息をのみ、舌を巻いた。やはり若い人材の発想にはもうかなわない、そう思った。自分が中年であることを、あらためて思い知らされたような気がした。くやしいが、ボクにこの発想はなかった。

「ダメ、ですかね……ここ数日、寝ないで社長の過去の発言集なんかを読みこんで考えたんですけど」

 ジャッキー・ボルレーはブルネットの髪をかきむしりながら舌をだし、顔を赤らめた。

「いや──」

「可能性、可能性って連呼しちゃいましたけど、研究者に求められるのは蓋然性がいぜんせいに確実性。それに根拠。可能性だけじゃ予算はおりませんよね? 今の発言は科学者の推論というより、凡庸なミステリー小説における探偵なみの推理でした。申しわけございません。社長、忘れてください」

 ボクと、ミーティングルーム内の周囲の者にヘコヘコと頭をさげながら、小さくちぢこまるジャッキー・ボルレー。彼女と同じ世代の研究者たちは男女を問わず、よくいった、ドンマイ、などと笑いや緊張をかみ殺しつつ、ボクに発言した彼女の勇気を讃えているように見えた。

 なるほど。ボクは「スラ・リンガン社」の社長で、ほうれい線が目だちはじめた彼らの雇用主だ。若い彼らからすれば対等に意見をかわすことなど、思いもおよばない雲の上の存在なのだろう。そんなものに、いつの間にかボクはなっているのかもしれない。ボク個人はそんなに偉い人間ではないというのに。反重力ブーツで大もうけした「スラ・リンガン社」という世界的企業のを、たまたまかりただけの小者でしかないのに……なんだか逆に腹がたってきた! こいつら、そんなにボクに忖度そんたくしたいのか? 冗談じゃない! そんなものが科学者であるものか!

「ジャッキー・ボルレー!」

 ボクがどなると、彼女は直立不動の姿勢で起立した。

「はい!」

「あなたは、先の提案を取りさげるのですね」

「はい!」

「徹夜でボクの発言集を読みこみ、おそらくはユーパイプをはじめとする過去のアーカイブを見まくった上で、ワームホール採取の可能性を求めてくれたのでしょう。そんな提案をあっさりと取りさげるというのですね?」

「あ……あ、あ、はい」

 目をおよがせているジャッキー・ボルレー。

「では、あなたの提案はボクの手柄とします」

「は、はぁ?」

「ジャッキー・ボルレー、あなたはこの社を今すぐさりなさい」

「え?」

「ボクは、自身で求めた可能性に固執できない研究者など信用しない! 蓋然性? 根拠? くだらない! ありえない妄想と一パーセントの可能性を現実に変えていくのが科学者のつとめだとボクは思っている。きれいごとばかりいっていても研究費はおりない。それはそうだ。だからボクは反重力ブーツを、違法スレスレの方法で売りまくって研究費をかせいだんだ!」

「なんの……話をされているのでしょうか? 社長」

「たとえば反重力ブーツをはいた子どもが、いきおいあまって道路に飛びだして車にはねられて大けがをした。そうした事例がいくつかあった。つらかったよ。ご家族の方々の顔をまともに見ることができなかった。でも、金で解決したよ……ほかに方法がないからね。それでもボクは、十数年後におとずれるマイクロブラックホールとワームホール対策を確立しなければならなかったんだ。地球と全人類を守るためにね。地球と人類を救済するためなんてきれいごとだと思うだろ? だけどボクはきれいごとに固執したいんだ! 研究者がきれいごとをつらぬくっていうのは、そういうことなんだ。ジャッキー・ボルレー、あなたは、あなたのたてた仮説を簡単に放棄した。だったらボクがいただく。あの提案はそれほど最高だった!」

「……え?」

 目を大きく見開き、瞳を振るわせるジャッキー・ボルレー。

「あなたの提案はなかったことにして、ボクの発案とします。あなたはベルギーにもどって花嫁修業でも──」

「ダメ!」

「なにが?」

「あれは私が考えた! 私のワームホール採取方法なんだ!」

「でも引きさげた」

「撤回します! やらせてください、社長! 必ずワームホールの首根っこを引っつかんでみせます!」

 ボクはずるい人間なのだろう。ユーパイプ生配信に対し真摯しんしとはいいがたかったハジメンへ、責任感をもたせるためにひと芝居うった、あのスラリンガンの芸当を、とっさにジャッキー・ボルレーへと応用したのだ。息子のパクリというのが引っかかるけれど、生まれた時代でいえばボクの方が先だ、と思うことにした。 

「やれるのか? 一度は提案を引っこめた、あなたに」

 わざと意地悪くいってみるボク。

「やります! やってやります!」

「わかった。ジャッキー・ボルレー、むだ金は使わせないが、必要な研究費用なら、すべて認める。それでいいかな?」

 うなずいたジャッキー・ボルレーは、まるであのころのマサメを想起させるような、ギラギラとした挑戦的な目をボクに向けてきた。

「けれど社長のいうきれいごとが、地球と全人類の救済というのは嘘、名目ですよね?」

「なんでそう思うのかな?」

「社長の過去の発言から分析しました。社長が守りたいのはマンサメリケスただひとり。彼女のいる未来の地球。あとの人類なんてなんですよね?」

 気の強い女性だ。ボクにしてやられたことを瞬時にさとった彼女は、さっそく反撃に転じたらしい。しかしボクは、そういう女性が嫌いではない。

「その通りだ、あなたは正しい。不服かな?」

「いえ。の人類がラッキーなのだと、私は思います」

「ボクもそう思うよ。では、本日のミーティングはおわりにしよう」

 発案者ということでジャッキー・ボルレーをチームリーダーに任命し、ワームホール研究チームの第一回ミーティングは終了した。三々五々、解散する研究者や技術者たち。さて、午後からはブラックホール観測チームとのミーティングである──。

「社長」

 ボクの背中に声をかけてきたのは、やはりジャッキー・ボルレーであった。

「なんだろう?」

「社長は日本語でいうところの……病気ですか?」

「うん? ボクはいたって健康だけど」

 加齢とともに疲労が抜けなくなってきているのは事実であるが。

「ではなくて、いい大人が中学生みたいな発言や行動をとるという日本のネットスラングの」

「中二病?」

「それです!」

「……そうかな?」

「社長は二十年以上も前に、たった数週間一緒にいただけで、結局わかれたマンサメリケスをいまだに想っている。それは不自然です」

「いわれてみれば……でも、まあ、ボクはそれでいいと思ってるし」

 あの、たった数週間を忘れることなんてボクにはできない。あの濃密な時間を、マサメ以外の誰かと共有したいとは思わない。

「ダメです! おかしいです!」

「なんで?」

「未来のワームホール技術を使えばマンサメリケス、いやさマサメは社長に会いにこられるはずです。だけど一度もきていないんですよね?」

「そうだね」

「だったら未来に帰った時点で死んでしまったか、ほかの男とできてしまったかの二択だと思うのが普通です」

「できれば後者であってほしいな」

「バカなんですか、社長!」

 そう叫んでしまってから、あわてて口もとをおさえたジャッキー・ボルレーを、ボクはかわいい人だと思った。けれどあくまで事務的に、ボクはこういった。

「バカじゃなければ、国家予算の0.1パーセントも投じてもらえず、先ゆきの見えない金食い虫プロジェクトに着手したりはしなかったよ」

「……いったん、わかりました」

「では、ワームホール研究、いやまずは探索か。しっかりとお願いするよ、チームリーダー」

                            (つづく)

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