36 ──二十年後
まだまだコロナ禍の影響が残っているとはいえ、大勢の人でにぎわう渋谷のハチ公前広場に突然、光をはらんだうず巻きがポッカリとうかびあがり、中から手首をつながれた人間が四人もでてきたんだから、それはそれは大変な騒ぎになったことだろう。
ことだろうというのは、ボクらは催仮死剤のせいで全員、意識をなくしていたからだ。ボクが目をさましたのは搬送された救急病院のベッドの上であった。
当然のことながら何百人という通行人が次元の裂け目からこぼれ落ちたボクらを目撃し、スマホで撮影した動画をSNSや動画サイトへとアップした。
これによりボクたちはしばし時代の
ボクらにとっては、むしろ望むところであった。時間も空間もこえることができるワームホールの存在を世界中の人々に知らめることができる。マサメの存在、未来への警鐘を世の中へアピールできる。そしてこうなったからには、いくら日本政府だろうがアメリカ国防総省だろうが、ボクらの家族に手だしはできないだろう。そう考えたから面倒な質問や、くだらないインタビューにも、みんな、こらえることができた。
とくにボクへのマスコミの追究や詰問はひどいものだった。マサメがボクを最愛の仲間だと表現したことが歪曲されて、恋人であったということに変換されたせいだ。まあ、間違ってはいないけど。
「イルミネーターと寝たんですか? で? 彼女、よかったですか?」
そんなバカげた質問をくりだす記者までいたよ。ボクは、こいつ死ねばいいのに、そう思いながら、余裕の笑みをうかべてこうこたえたんだ。
「もちろん、最高でした」
けれど、こんなバカ騒ぎがいつまでもつづくわけがない。一年もたたないうちにボクらは大衆にあきられて、マスメディアに取りあげられることもなくなった。
ところがなんと、ここで日本政府が動きを見せた。美晴、山村元刑事、ハジメン、そしてボクを
ボクたちは自衛隊や駐屯米軍に襲われたという事実をいっさい公表していない。二〇二四年当時の日本国首相はボクらに
ボクらは今後も口をつぐみ、貝になると誓約することで無罪放免となった。はなから無罪なんだからあたり前なんだけどね。総理官邸から釈放された山村元刑事は、こんなことをいっていた。
「もはやメディアでは過去の人でしかない俺たちだが、あいついで自殺したり、変死したりすれば真相を究明するべく動きはじめる者が現れ、イルミネーター事件が再燃するかもしれない。政府はそいつを警戒したのだろうな」
かくして、かたく殻を閉ざした貝になったボクらのもとには、平穏な日常生活が帰ってきた。はじめのうちこそ監視や尾行をされていたようであるが、やがて、その影も消えてなくなった。
しかしである。ユーパイパー、ハジメンこと内藤元だけは見当はずれともとれる反骨精神をしめし、イルミネーター事件に日本政府とアメリカ政府が関与していたことをほのめかすような動画をたびたびアップしはじめた。
結果、ボクの息子スラリンガンが予言した通り、日本にいられなくなったハジメンは、ミノウタス公国へと亡命した。その後の彼の消息について、ボクたちは知りようもなかった。
山村元刑事はというと、警察官を自主退職に追いこまれたあと、犯罪コメンテーターとしてテレビやネットで引っぱりだこになり、歯に
そして美晴は、ハジメンに捨てられた形で日本に取り残されたわけであるが……。
「捨てられたんじゃない、捨てたの!」
そう豪語してはばからなかった。とはいえ泥酔してボクの部屋へきたこともあった。もちろんなにもなかったよ。ただ、ひたすらにボクの元カノ、そして未来人であるボクの息子が認めた彼女が、雄々しく立ちあがる姿を想像し、ひと晩中寝顔をながめていただけだだった。トイレに間にあわなくて、リビングで吐かれたことには閉口したけどね。
でも、なんだかんだとすてきなパートナーとめぐりあえたようで、毎年くる年賀状には、年々成長しているかわいらしいお子さんの姿がプリントされていた。美晴がしあわせなようで、本当によかったよ。
ボク? ボクはというと、量子物理学について、あらためて勉強をはじめた。それこそ寝る間も惜しんでさ。きれいごとをつらぬいて生きることができる人になるべくね。
雑用係もつとめながら大学院生となったボクは、やがて助教授になり、「ガンマ線バーストと潮汐破壊現象、量子スピン液体の関係性と考察」という論文を発表、有名学術誌に掲載されたことで、運よく博士号を取得することができた。
そう、たまたま運がよかっただけなんだ。マサメがさってから六年後、ドイツの天文学者が地球に高速で接近するブラックホールの存在を証明したからだ。つまりボクなんかの論文でも、迫りくるブラックホール対策に、少しは役立つかもしれないと思われたからなんだと思う。
かのドイツ天文学者は、ボクたちの「ハジメンチャンネル」生配信を何度となく視聴したと語っていた。マサメの命がけの願いを、天は見捨てたりしなかったんだ!
──二十年後。嘘みたいだがボクは世界でも有数な大富豪として世間に認知される存在になっていた。マサメがヒントをあたえてくれた「リフター」を利用することで、五年ほど前に反重力ブーツの開発に成功していたからだ。
大学を辞したあと、ボクは小さな会社を立ちあげた。母に懇願して、ノーベル賞候補に何度もあがった父の
社名はもちろん『スラ・リンガン社』である。スラはミノウタスの言葉で数字の三、リンガンは円、サークル、または輪を意味する。ようは三ノ輪、ボクの名字だったのだ。
一輪車やスケートボードのような立ち位置で販売を開始したのだが、これが世界的な大ヒット商品となった。もちろん、ある意味、危険な玩具でもある。たとえばマサメやスラリンガンがしていたように、十メートルの高さから他者にキックをあびせたりしたなら、重傷患者が続出しかねない。
特許申請の際にはこれがネックとなったのであるが、どんなにすぐれたジャンプ力をもつ運動選手であったとしても、一メートル以上は跳べないリミッターをもうけることで、これをクリアした。また、このリミッターを自力で解除したりしようとすれば、たちまち基盤が破壊されるという機能をつけくわえ、説明書に明記した。
もちろん売れれば売れるほど、リミッターをはずしたい
反重力ブーツは独特の浮遊感と無重力体験が実現できるアイテムとして子どもから、介護を要する老人(なにせ筋力や骨密度低下で歩けない人でも、踏みだす小さな力さえあれば歩行が可能なんだから)まで、購買層が広がった。パラリンピックの種目に反重力リレーがくわわったことも大きな宣伝となった。
『小さなお子さんや、認知症で徘徊するような老人には決してはかせないでください』
そんな文言を取扱説明書にいれなければならないほど、この商品は全世界で売れまくったんだ。
(つづく)
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