17 夏のカレーライス
ほのかにカレールーを煮るにおいがする。母さん、また日本式カレーかよ? いくら父さんが好きだからって
母さんのカレーにはブロッコリーやアスパラガス、たまにワカメやヒジキも入っていたね。研究大好きの父さんにはもったいないよ。いたれりつくせりだよ。
でもそんな母さんのカレーに父さんはウスターソースをかけて食べるんだ。どうかと思うよ、塩分とりすぎ。だから父さんは早くに──ああマサメ、そこにいたのか? おまえも母さんのカレー、食いたいか? うまいぞ、豚肉たっぷりだ。
食えよマサメ、遠慮なんかしなくていいから。大盛にしとくな。ああ、父さんのまねするんじゃない、ソースはかけるな……マサメ? マサメか……。あ? マサメ?
「マサメ!」
子どものころの夢を見ていたらしいボクは、目を開くと同時に体をおこした。暑い……全身にびっしょりと寝汗をかいている。ボクは額や首もとの汗をこぶしでぬぐった。どうやら小高い丘のようだ。周囲には一面の原生林。そしてあまり遠くないところから川のせせらぎが聞こえる。樹々の葉のすき間からのぞく青い空にぽっかりとうかぶ綿雲。吹きぬけていく涼やかな風。小鳥のさえずりとセミの鳴き声……セミ? セミだと? 正月があけたばかりの真冬にセミ?
ぼんやりとしていたボクの脳みそが急速に回転しはじめた。そうだ! スラリンガンに薬をもられて……もしかして、あれから半年もすぎたってのか? マサメは? やつに連れさられたのか! 山村刑事、それに美晴は? ボクはなかばパニック状態におそわれながら、もつれる両足を懸命に動かし、そこかしこに転がっている朽ちた枝葉をけちらしながらけもの道をかけおりていく。
上空をのんびりと滑空する野鳥にボクは足をとめ目をむいた! あの赤い顔、ペリカンみたいに湾曲した黒いくちばしと鮮やかな白色。あれはまるで……トキ? まさか。日本には人工繁殖のものしかいない鳥だと生物学者の母さんから聞いたことがある。
「日本じゃないのか? どこなんだ、ここは」
スラリンガン、なにをした! マサメをどこへやった! ところでこの風にのって流れてくるカレーのにおいはなんだ? 夢のつづき? ボクはまだ夢の中にいるのか?
──あ? 雪の青森で盗んだメルセデス・ベンツが河川ぞいに停車しているのが見えた。夢じゃない。そしてボクからは死角となる岩場のあたりから立ちのぼる煙。
「おうサトル! 目がさめたか」
ボクは腰がくだけたように粘土質の大地に座りこんでしまった。煙のむこうで蜃気楼のようにかすむマサメが手をふっているのだ。あれは幻覚剤だったのか?
「なにやってるんだ、サトル」
大ジャンプで一足飛びにボクの眼前までやってきたマサメが、笑顔で手を差しのべてきた。
「マサメ! 無事だったか! よかった!」
立ちあがったボクは、思わずマサメを力いっぱい抱きしめた。──のだが、瞬時に約三メートルほどはね飛ばされた。
「恥ずかしいな! 昼日中から!」
なにごとかと顔をだす山村刑事、美晴、そしてスラリンガン。
「どういうことだ……スラリンガン、ここはどこなんだ!」
片手にいいかおりのカレーのついたお玉をもち、エプロン姿のスラリンガンがゆっくりと近づいてくる。ボクはけん制するように叫んだ。
「みんな気をつけろ! ボクらは薬を盛られたんだぞ!」
「うん。それはさすがに
山村刑事がいった。遺憾? それしかいえないのか? さすがは国家公務員だな!
「はい。確かに即効性の催眠薬を盛りました。三ノ輪さん、ここがどこかと聞きましたね? ここは我が国の拠点のひとつ。よって治外法権で守られています。みなさんの身の安全を確保するためにはここへお連れするしかなかった。しかし、我々としてはみなさんに場所を特定されるわけにはいかず、やむを得ずしたことです。お許しください、三ノ輪さん」
「あんたの国、ミノウタス公国の拠点?」
「わかりやすくいえば秘密基地ですかね?」
よけいにわからない。秘密のアジトに治外法権が適用されるはずがない。しかし、それよりも──。
「ここは日本なのか?」
「もちろん。このコロナ禍では海外への渡航は不可能とはいいませんが、難しいです」
「そりゃそうだ……じゃなんでこんなに暑い? なんでセミが鳴いてるんだ!」
「みなさんには説明しましたが、この場所はリゾート地もかねてまして。セミの声は録音した音声。それにここは建物の中なんです。暑さ寒さは思いのままです」
「建物の中?」
「はい。体感型アトラクションが一歩進んだものだと考えていただければいい」
「嘘だ……こんなリアルなものを造れるか! いいたかないけどミノウタス公国はそれほど裕福な国ではないはずだ!」
「ひどい偏見をおもちだ。どう思います、マンサメリケス」
「サトル、見そこなったよ。私の国をそんな風にいうなんて」
「ま、まてマサメ! バカにしてるわけじゃないんだ! けど今の技術じゃ大国だってこんな……」
「なんだよ?」
「いや……」
そういえばスラリンガンの保持する最新の兵器。さまざまなガジェット。確かに普通ではない。やはり現在の技術では不可能なことでも未来の世界では可能になっているのかもしれない。
もう間違いない、スラリンガンは未来人。だがマサメの話では百年後に人類は滅亡する。ということは、彼は何年先から現代へやってきたのか? そう遠くない未来にはタイムマシンが開発されるのか? ボクにはどうしても信じられない。百年以内にタイムトラベル理論が確立し、それも未来ならともかく過去への干渉が可能になるなんて! そんなことおこりえない! しかも、だったらマサメたちだってタイムマシンで過去へ逃亡できたはずだ! あり得ない。マサメはワームホールからぬけ出てきたのだ……。
「さんざん寒い思いをされてきたのだから、暖かい方がいいと思って夏仕様の設定にしたのですが。三ノ輪さんは気に入りませんか?」
「いや、ああ、トキが……」
「はい?」
「絶滅危惧種のトキが飛んでいたのは?」
「ですから、ここはいわば3Ⅾシアターの中なのです。なんでもありなんです」
「いちおう、わかった」
マサメをこれ以上、怒らせたくないのでそういうことにしておこう。ミノウタスの科学力、バンザイだ!
「よかった」
「わかったけど、なんでボクだけ林の中に寝ころがっていたんだ」
それまで黙っていた美晴が口をはさんだ。
「悟、私のせいで政府につかまって、拷問までされたんだって? ごめんね! 大変だったでしょ?」
今にも泣きそうな顔で迫る美晴。
「別に美晴のせいじゃ……」
「あんまりよく眠っていたから、どれだけ疲れていたんだろうって、私とマサメさんで話しておきるまで寝かせてあげようってことになったの。悪気はなかったのよ!」
「……わかった。わかったよ、すまない美晴。ごめんよ」
なぜか、あやまることになったボク。
「そういうわけでみなさん、三ノ輪さんが目をさますまでは食事をとらないとおっしゃいましてね。空腹をがまんしていたんですよ。少しは寝ぼすけを反省してください」
「すいません……」
スラリンガンに怒られてしまった。眠らせたのはおまえだろうが! そういいたかったが、総スカンを食らいそうなので、ここはグッとこらえた。
川辺での食事会。豪華とはいえないけれど、ゴロゴロとした具と肉の入ったカレーライスを腹いっぱい食らうボクたち。スラリンガンの用意した炊飯器はバッテリー式で、電池を交換することで保温もできるというすぐれモノであった。マサメはすでに五杯もたいらげていた。どれだけ食うんだ? その細い体のどこに入っていくのだろう?
「女のくせに遠慮がないとか、食いすぎだとか思うか?」
ちょっと恥ずかしそうに、マサメがボクを上目づかいに見る。
「いや。食えるときに食わないと、生き残れないんだろ? 亡くなった人の分まで食っておけよ、マサメ」
「……そうか、サトル。そういやそうだな! おかわり、おかわり!」
「はいはい」
ヒイヒイいいながら皿に飯を盛るスラリンガン。
「俺も、俺も!」
山村刑事も四皿目を所望している。給仕役のスラリンガンは、自身のカレーライスに手をつけるいとまもあたえられない。
「たくさん食べる人ってステキ……」
美晴はウットリしたような目でマサメと、巨漢の山村刑事の食べっぷりに見とれている。
「すいませんねぇ、あんまり食べられなくて」
ボクがいうと美晴が笑った。
「さっき聞いたけど、刑事さん、柔道でオリンピックにでたこともあったんだって」
「へえ……」
「で、マサメさんて、イルミネーターじゃない」
「ああ」
「あのふたりが私ら普通の庶民とは違うのは当然よ。悟があのふたりと同じくらい食べていたら逆にドン引くわ」
「まあ、エンゲル係数はんぱないことになるしな」
「本当、家計がひっ迫するわ……」
笑いながら美晴が河川敷の石っころへ目を落とした。もちろん彼女の考えていることはわかっている。それは家族の安否である。政府に名指しされたお父さん、お母さん、そして弟のことを思っているに違いない。あの山村刑事の食べっぷりも、どこか捨て鉢になっているせいなのかもしれない。
(つづく)
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