16 街頭チラシの怪
雪はやんだものの、積雪の青森市街、明るいネオンがつらなる繁華街に入ったボクらは、低空で空をいくおそらくボクらを捜索中のヘリコプターのローター音に耳をそばだてた。ボクらはそれまで乗っていた警察か自衛隊の乗用車を捨て、全身から銃弾を発射したせいでボロボロになった服を着替えたスラリンガンにいわれるがまま、月極駐車場におかれていた雪まみれの高級外車に乗りこんだ。スラリンガンは防犯ブザーなどものともせずにブレスレット状の時計を操作して、ドアを解錠してみせた。
「こんなのに乗ってどうするんだ? 動かせないだろ」
助手席の山村刑事がいった。運転席のスラリンガンが笑う。
「この時代のエンジン構造なんて子どもだましですよ」
スラリンガンは腰のあたりからまたもや妙なコードを引きだして、ステアリング周辺を少しいじるとあっという間にセルモーターを起動させた。
「この時代?」
ボクの問いに、スラリンガンはこたえることなく車をだした。しばらくは見つかることはないだろうが、高級外車は目立ちすぎないか? ヤクザさんの車だったらどうするんだ!
「一度、乗ってみたかったんですよ。この手の燃費の悪いクラシックカーに」
のほほんと笑うスラリンガン。クラシック? これは最新の(たぶん)メルセデス・ベンツだろが!
「マンサメリケス、なにを食べましょうね?」
「なんでもいい。お腹と背中がくっつくぞ!」
日本の童謡のようなことをいったマサメに美晴が抱きついた。
「マサメさん、かわいい!」
チッと舌打ちするマサメ。マサメの言葉を訳しながら笑みをかみ殺すボクはしかし、誰も気がついていないようだが、スラリンガンはもしかしたら……と、疑惑を深めた。
「うん? 少し速度を落としてくれ」
山村刑事がウィンドウごしに流れる風景を見ながらいった。
「なんですか?」
ボクも外部に目をこらすがガールズバーや居酒屋の看板、電信柱やゴミ箱くらいで、とくに目をひくものなど──。
「あれ!?」
「気づいたか? さっきから妙に真新しい貼り紙が目立つと思っていたんだ」
それは、ほかの貼り紙にまぎれるようにして電信柱に貼られていた。ポップなデザインでカラフルなチラシのようなものであるが、何の宣伝なのかは不明だ。そこに書かれていたのは人物の名前だけであったからだ。
三ノ輪里子
内藤陽介
本条和輝
本条美津香
本条政次
山村愛美
山村総一郎
「どういうこと?」
後部座席の美晴は窓がわのボクの上にのしかかるようにして、そこかしこに貼られているチラシを見つめる。
「刑事さん、あれは?」
ボクが聞くと山村刑事は即座にこたえた。
「妻と息子の名前だ。三ノ輪さんの方は?」
「母です。それから大学の教授」
「わたしのお父さんとお母さん、それから弟の名前! どうして?」
激しく動揺する美晴。本当はもう貼り紙の意味に気づいているのだろう。イルミネーター案件は国家機密であり、世間一般にもマスコミにも知られるわけにはいかない。よって街中では表立った追跡や捜索をするわけにはいかない。おとなしく投降しなければ、家族がどんな目にあうかわからないぞ、この貼り紙はボクらに対するそんな
「だけどどうして教授まで……」
はっきりいって母はともかく、教授に格別な思いはない。どうでもいいとまではいわないが。
「最近の通話やメール、コネクトの記録で対象をしぼったんだろう。一番直近に三ノ輪さんと顔をあわせた一般人の、俺や本条美晴さんを人質に選んだのと同じ手口だ」
山村刑事の言葉になるほどとうなずくボク。「コネクト」でボクにメッセージを送ったばっかりに教授まで……。
「さすがですね刑事さん。よくあんなのを見つけたな」
ひとりだけ無関係なのでスラリンガンはのんきなものである。
「車をとめて! 私、自首します」
一見おおらかな美晴のきまじめさが顔をだした。しかし自首はないだろう。
「自首って。美晴さんはどんな犯罪をおかしたんです?」
冗談めかして車の速度をあげるスラリンガンに、美晴がキレた。
「私の家族が危ないの! 部外者は黙っててよ!」
「部外者ねぇ……あながちそうともいいきれないんですが。食事をしながら考えませんか? みなさんの家族を守る方法を」
「相手は政府よ! アメリカよ! ペンタゴンよ! FBIよ! 守る方法なんてあるわけない!」
「それはどうだろう?」
それまでマサメに同時通訳をしていたボクがつぶやいた。
「悟、どういう意味よ?」
「ボクたちは今、生きている。美晴、絶対に助からないって思ってたろ? でも生きている。考えるんだ。むだかもしれないけど考えよう。ボクだって母さんはなによりも大事なんだ!」
「…………」
美晴は涙と鼻水だらけの顔をボクの胸に押しつけて泣いた。なんとなく、なんとなくではあるけれど、マサメの視線が氷のように冷ややかな気がした。
「なんだよ? マサメ」
「別に」
ツンと顔をそむけるマサメ。わけがわからない。
「さて、私は買いだしにいってきます。山村さん」
夜間も営業中のスーパーの駐車場へバックで停車したスラリンガンは、山村刑事に持たせたままであったハンドガンの弾倉、予備のマガジンをわたした。
「わかった、このガキどもは必ず守る。ああ、マスクを忘れるな、逆に目立つからな」
積雪の中へでていこうとしたスラリンガンは、頭をかいた。
「そうでした。コロナ禍はやっかいですね」
胸のあたりをスラリンガンが押すと、シャツのえりのところからスモークの入ったプラスチックだか薄いメラミン樹脂製のマスクが飛びでてきて、ぴったりと彼の口元と鼻先をおおった。目をまるくしている山村刑事に美晴。マサメはまた新兵器かよ、といった顔をしているが、ボクは確信していた。スラリンガンは間違いなくマサメと同じ未来人であると。理由? そんなものはない。あるのは、ボクの勘だけだ。
「みなさんのマスクも買ってきますね。マンサメリケス、晩餐はカレーライスでいいですか?」
「いい! いい!」
未来の世界でもカレーライスは存在するのだろうか? 今にもよだれをたらしそうなマサメ。よほどエネルギーを消耗しているのであろう。しかしそれはボクも同じであった。考えてみれば昨晩からなにも口にしていないのだ。カレーライス。なんと甘美なひびき、スパイスの香りを思いうかべるだけで胃袋をギュンとつかまれたような気がする。
「いいわね、食欲のある人はさ」スラリンガンがスーパーへいったあと、皮肉をこめたように美晴が毒づく。「家族が人質に取られてるってのに!」
「本条美晴さん……」
周囲に目を配りつつ、右手に銃を持った山村刑事がいう。
「なんですか!」
「今、俺たちの家族が危機的状況にあること、それを知っているのはほかの誰でもない。俺たちだけなんだ」
「だからなんです?」
「俺たちが腹ペコでなにも考えられなくてどうする? 家族をみすみす見殺しにする気か?」
「そんな……」
「これもひとつの考え方だと俺は思う。どうせ一度は目をつけられてしまったんだ。解決策を見つけない限り、俺の女房も子どももいずれ政府に消される。誰にも知られずにさ。自然死とか事故死にカモフラージュされて。そうなんだろ? 三ノ輪さん」
「はい、そう思います」
内閣調査室の相楽ら、これまでの米軍のやりようを見れば一目瞭然である。
「だったら食って、脳に栄養あたえようぜ。俺はスラリンガンなんて人殺しは信用していない。だけど家族を守るためにならなんだってやってやる! 悪魔のような殺人犯に魂を売ったってかまわない。やつがカレーを作るっていうのならガツガツ食うよ! 結果、俺の家族が助かるんならな!」
話の脈絡としてはどこか破綻しているような内容であったが、山村刑事の熱いスピーチは美晴の心を動かしたようであった。なにせ目がマジになっている。ボクが留年しかけたとき、試験勉強にいきづまったとき、彼女の的確なアドバイスにボクは何度も救われた。美晴はあのときの目をしていた。頭の中は量子コンピューターなみにフル回転しているに違いない。こんな場合、美晴は必ず結果をだす。ボクは期待をこめて彼女の横顔を見つめた。
「だめだ、なにも思いつかない。私もお腹へった……脳に栄養をあたえなきゃ!」
まあ、そうだよね。ボクの成績不振なんてものとは比べものにならない大問題なんだから。
「その意気だ!」
美晴と、銃を左手に持ちかえた山村刑事はガッチリと握手した。なんだ、こりゃ?
「本条美晴さん、彼氏がいるっていってたよな?」
「はい。ラブラブです」
「ふむ。しかしその彼の名は日本政府にも米軍にも知られていないってことだ! よかったじゃないか」
「本当だ! 彼を人質に取られていたら私、完全アウトでした! そっか、あいつ富士の樹海にでかけたから。しばらくは携帯のアンテナも立たないような場所でロケしているんです」
「富士の樹海? ロケ? 業界人か?」
「違うけど、そんなようなものです。今度、紹介しますね。刑事さん」
「そうだな。まだ流れはこっちにあるのかもしれないぞ。どっちに転ぶのかは……」
「神のみぞ知る、ですね!」
ふたりのやりとりを、ボクの通訳を通して聞いていたマサメが耳元でささやく。
「なぁ、サトル」
「うん?」
「あんたの元カノ、ミハルって頭いいのか? バカなのか? どっちだ?」
「どっちともいえないかな。ひどく個性的なのは確かだけど」
「だからサトルとつきあえたのかな?」
くくくと笑うマサメ。
「うるさい」
「けど、家族思いのいい女だな」
「うん。だけどマサメだって同じだろ? 未来で亡くなった両親や友だちを救いたいから現代の人類へ警鐘を鳴らしたいん──」
まてよ、そうか! 突然ボクはひらめいた。ある! マサメの願いも、美晴や山村刑事の思いもかなえられる方法がひとつだけ! ボクの母さん(教授もね)を守れるかもしれない方法がひとつだけ!
「どうした?」
「いや……」
だけど具体的になにができるのかがまったく思いつかない。まだ話せる段階ではない。
「サトル、元カノの彼氏の話がでて動揺したのか? 業界人なんだってさ」
「バカいうな。ふったのはボクの方だ」
少なくとも美晴の主観ではそうだ。そのはずだ。
「ふーん。意地っぱり」
「マサメ、今は未来の人類救済について考えようよ」
「重力嵐や熱波、寒波が交互にが吹きあれる未来でもさ、弱々しい電球の下で語られる恋バナは、いつだって楽しかったよ」
「そんなところは百年たっても変わらないんだな。女子ってやつは本当に」
「らしい。だからさ、百年後も二百年後も、のほほんとした恋バナに花を咲かせられる女子会、開きたいじゃん?」
「ドロドロの不倫関係なんかの話も聞きたいのか?」
「ドロドロだってなんだって生きていられれば、それだけでいいと思うぞ」
「説得力あるな」
「まあな……ってなんだよ?」
山村刑事と美晴が、ボクとマサメをガン見していた。
「いや、重大な相談をしているようなので我々も情報を共有しておきたいと」
「日本語でお願いします」
まじめくさったふたりの表情を見て、ボクとマサメは思わず吹いてしまった。
「お待たせしました。刑事さん、うしろのトランク開けてください」
両手にレジ袋を持ったスラリンガンが、頭から雪まみれでもどってきた。いったんやんだ雪がまた降りだしたみたいだ。
山村刑事は高級外車のどのスイッチを押せばいいのかわからないようで四苦八苦している。
「その下じゃないですか?」
ボクがいうと山村刑事はおお、といいながらトランクを開いた。
「よくわかるな」
「だてに海外生活が長かったんで」
「はいみんな、寒いでしょ? 温かい飲みものを買ってきましたよ」
運転席に乗りこんだスラリンガンが缶コーヒーやお茶、紅茶などを数本おいた。
「ありがたい」
さっそくお茶のペットボトルに口をつける山村刑事。
「気がきくな。意外と」
マサメがあまそうなココアを手にすると、美晴とボクはブラックコーヒーに手をのばす。ボクは缶ココアのステイオンタブの開き方がわからず、すったもんだしているマサメからココアを奪うと、プシュと音をたてて開いてやった。そしてスラリンガンに頭をさげた。
「ありがとう」
「いえいえ。それはそうとスーパーの掲示板にも何枚か貼られていましたよ」
スラリンガンははがしてきたらしい、ボクらの家族の名前が印刷されたチラシを見せる。
「なんでそんなものを?」
「いや……記念に」
「記念? なんの?」
いいながらボクは熱々のコーヒーに口をつける。缶でもなんでも、温かい飲みものは冷えきった体にしみわたる。
「なに。顔見知りになった人々を、一国家が脅迫するためだけに製作したチラシなんてそうそうお目にかかれるものじゃないし、明日──には回収されて──しまうで──」
あれ? あれ? なんだ? スラリンガンがなにか話している。聞こえてはいるけど、理解できない。目が、頭が……あれ? 目を閉じたマサメの頭と、美晴の頭がボクの肩と太ももにゴトンとおかれた。え? 山村刑事は助手席に体を投げだして大いびきをかいていた。
「いいなぁ三ノ輪さん、ハーレム状態だ」
「きさま、くそぅ……」
「いい夢を」
ボクは圧倒的な勢いで脳を占拠していく睡魔にはあらがえず、意識をうしなってしまった。
(つづく)
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