12 雪山逃亡

 追跡部隊をやりすごしたボクはつめていた息を吐いた。しかしこれからあと何組、でくわすのか見当もつかない。

「もうしゃべっていいか?」 

 身をよせていたマサメが息でいう。

「いいよ。小声でな」

「サトル、顔が近い」

「はぁ?」

 こんなときになんとも緊迫感のない女だ。思わずボクは笑いそうになる。

「おかしいか? ならよかった」

「なんで?」

「サトルが余裕をなくしたら、私ら自滅だよ。この時代じゃさ、サトルは頭、私は体を使うしかないんだからな」

「うん。悪いな」

 ボクは心づかいもハンパない、マサメの頭をなでてやりたかった。それをしたらセクハラだとかいわれるんだろうけど。


 ボクたちは山の周囲をまわりこむようにして町へ、町へと少しずつくだっていった。あっという間につもりはじめた雪とぬめり気味の枯れ葉に足を取られてズルズルと滑落したボクの手をマサメがしっかりと握り、またまた助けられた(あまりの握力に指がつぶされるかと思ったけど)。

 吹雪だした雪片、ホワイトアウトに目がくらんだマサメがボクの姿を見うしない、大声でボクの名を叫んだときはには卒倒しそうになった。それからボクと彼女は手を取りあいながら歩いた。両手がつかえないとバランスがとりにくいのだが、またあんな大声をだされるよりはましである。

 イタチなのかハクビシンなのか、なんだかよくわからない野生動物、二匹が目の前を横切った。マサメは悲鳴をあげるのを懸命にこらえつつボクの首に抱きついた。ドサッと積もった雪の中にあおむけに倒れこむボク。ごめんごめんと頭をかきながら立ちあがるマサメ。寒さに震えていた彼女のほおは氷のように冷たく、早くあたためてやりたいとボクは思った。そして現れた動物がイノシシやクマではなかったことをやおよろずの神に生まれてはじめて感謝した。

 そのあと何度か、捜索隊の一団と遭遇しかけたが、運よくしのぐことができた。死んだ相楽に祈ったおかげか、それともやおよろずの神々のおかげなのか。いずれにせよ突然の猛吹雪がボクらに味方してくれたとしか思えない。そしていつの間にか上空のヘリコプターが姿を消していた。降雪の中での飛行は危険だと判断したのだろう。山狩りも順延してくれているといいのだけれど……。

 すっかり日が暮れて、鉛色だった空が黒い闇におおわれた。気温はマイナスへ突入したに違いない。足先の感覚がまるでない。凍傷になりかけているのだろうか。

 マサメはと見ると、大きな目に雪が入るのがわずらわしいようでまぶたを薄く閉じ、今にも倒れそうに口をパクパクとさせて、なんとか肺に酸素を取りいれているような状態であった。マズいな……と思ったのだが、天はボクらを見はなさなかった。追跡部隊の姿をまったく見かけなくなったのだ。この雪のせいでやはり山狩りは明日以降へ延期になったに違いない。そう確信したボクは大声でマサメと自分自身を鼓舞した。

「マサメ、見ろ! 車だ! ヘッドライトが見える。それに遠くに町の灯りも見える! もう少しだ!」

「サトル、町か? 近いのか? 寒さのせいで見えた幻覚じゃないだろうな?」

 町と聞いたとたん息をふきかえしたマサメが身をのりだして、ボクの見ていた方向に目を向ける。

「たぶんあと五、六キロってところだ。マサメ、がんばろう!」

「おう! いくぞ、サトル」

 ほぼなにも見えない暗がりの中でマサメの瞳がギラリと光ったような気がした。彼女はボクの手を引いて十五センチほど積もった雪をけちらし、すでに斜面ではなく平地に近い道なき道に足を踏みしめ、ボクボクと音をたてて前進を開始した。現金な女だと考えながら、でもボクは元気なマサメの方が好きだな、なんて思ってしまい、なぜだか赤面した。

 そろそろ幹線道路へ近づいてきたらしい。街灯の灯りが(すごく少ないけど)間近に見えてきた。マサメに引きずられるようにして早歩きをさせられながら、ボクは町にでてからの行動シュミレーションを脳内で立てていた。サイフの中身は約三千円ていど。ふたり分の防寒着やインナーを購入することはまず無理。銀行のATMかコンビニで現金をおろして……。コンビニ、あるかな? あるよね、町なんだから、と考えたところでボクはがく然とした。

 貧乏学生のボクには以前、健康保険料を長期滞納したさい、ボクの了承も得ず勝手に、役所が銀行口座から滞納金を引き落としたという経験があった。国は調べようと思えば、どうでもいいようなこんなボクの口座番号だって、預金額ですら調べられるのだ。相楽に一個人が国家にたちうちできるはずがないといわれたとき、素直にうなずけたのはそんな経緯があったからだ。口はばったいが、マサメと行動をともにしているボクは今や重要人物、キャッシュカードを使用した時点で確実に居場所を特定される! 足をとめかけたボクを引っぱるマサメ。

「サトル早く! 腹がへったし寒いんだよ!」

 それは大いに同感なのだが、金がない。クレジットカードを使っても同じことだろう。どうするボク!? どうせこの国では(なにも悪いことをしてないのに)官憲に追われる逃亡者、ボクは覚悟を……。

「マサメ、ひとつ聞かせてくれ」

「なんだよ、こんなときに」

「ミノウタスでは、ひどいことになってる、未来のミノウタス公国では、自分が生き残るために他人を犠牲にしてもいいと教えられたか?」

「なんの話だ?」

 マサメも積雪の中に足をとめた。

「金がない。食べ物も服も、他人から奪いとるしかない」

 マサメを守りたい。けれどそのせいでマサメに嫌われるのが怖かった。ボクをいやしい男だと、さげすまれるのが怖かった。

「……そうか」

 マサメは、荒れくるう白い結晶がななめに走る天をあおいだ。

「マサメ、ごめん。ボクはそんなに有能じゃない。今のボクにできることなんて、あの鈴木三郎太、サンタマスクと同じ……犯罪だ」

「──百年後のミノウタスではさ、いつ誰がワームホールに飲みこまれるのか、熱波に焼かれるのか、重力に押しつぶされるのかがわからない地獄。地獄の状況だったから、他人を犠牲にしてでも生き残る方法を模索しろ、人類がひとりでも存続できる状況を、たったひと組でもいい、アダムとイブが生きながらえる選択をしろと教えられてきた」

「そうなのか……」

「だけど、全人類の存続なんて私ら庶民には話がデカすぎて実感はわかなかったし、事実、他人を押しのけてまで生きようとしたやつなんて私のまわりにはひとりもいなかったよ。両親も友だちも……だから私は、今、この時代で生きていられる」

「…………」

「もうすでに私の存在は、彼らの犠牲の上になりたっているんだ。お父さん、お母さん、仲よしだったマリアーネ、ジョシュレア、オスカラワム……みんな、みんな私を助けるためにいけにえになったようなものなんだ」

 彼女は深雪にひざをついて涙を落した。

「マサメ……それは違うんだろ? たまたまマサメは運がよかっただけだとボクは理解しているよ」

「…………」

「ただ悪いけど、ボクにも人類の滅亡なんて、とても想像つかない」

「いいんだよ、それで。この時代に生きるあんたにはあたり前の話だ。あとはただ、あんたと私の問題。それだけだ」

「ボクと、マサメの問題?」

「そうだ。サトルが私を心から信じてくれるのかどうか、ただ、それだけのことだ。無理だというのなら、それまでだ」

「…………」

 ボクはマサメを信じている、心の奥底から。どうして? わからないけど。

「なあサトル、私、思うんだよ。私がここへ跳ばされたこと、サトルと出会えたことは、ただの偶然じゃない。ちゃんと意味があるんだって。私には、百年後の地球におきる地獄を未然にふせがないといけない使命があるんだってさ!」

「わかった。なら、マサメは生きないとな」

「ああ。サトルもな」

「服と食料、金を強奪にいこう。あとであやまって、返せばいいよね?」

 母さん、ごめん。ボク、マジでおたずね者になります、信じる人のために。めちゃくちゃな研究バカだった父さんを、いつも信じていた母さんなら、わかってくれるよね?

「悪いな、サトル……」

「泣いてる場合か? いこうマサメ」

 ボクが手を差しのべると、マサメはボクの手を力強く握りかえした。

 ──そのときだった。ボクたちは目もくらむような閃光に、いっせいにつつまれた! ボクはマサメが出現したときのような次元の裂け目、ワームホールがふたたび現れたのかと思った。

「ご苦労さんです。待っていました」

 ぎこちないミノウタス語が聞こえた。まぶしさに目をしばたたかせながら手をかざして見ると、ヘッドライトをハイビームで点灯した数十台の車両、そして銃を手にした数百人の男女警察官らに、ボクらは包囲されていた。ミノウタスの言葉を拡声器で話したのは、どうやら黒人の男。チャラいジャンバーを着こんで一般人を装ってはいるが、間違いなく訓練をうけた米兵だろう。

「マサメ、まだ動くな」

 小声でいうとマサメは小さくうなずいた。何人いるのかは知らないが、これだけの銃を向けられたら、いかにイルミネーターでもひとたまりもない。瞬殺されるだろう。

「けっこう、けっこう。動かないは正解。動いてはダメよ。私はマクガファン大佐、今回の作戦の指揮をとってます。どうぞよろしく」

 いいながら大佐を名のる黒人がボクらに近づいてきた。

「クソが! またサトルを拷問して私を服従させる気か!」

 マサメが目をむいて叫んだ。

「いえ、そんなヤボなことはしません。あちらをごらんください」

 マクガファンが指さす方向へ目を向けると──。

「嘘だろ!」

 ボクは思わず日本語でどなっていた。おそらくは警官のコスプレをさせられている自衛官なのだろうが、彼が銃をつきつけていたのは手錠をはめられた、そしてボクらが拘束されたときにアパートにいたというだけの巨漢のであった。なんで? どういうこと?

「悟ぅ!」

 美晴が泣いていた。うしろ手に手錠をかけられた山村刑事はくやしそうに歯がみしていた。

「なんのつもりだ?」

 ボクがミノウタスの言葉でいうとマクガファン大佐はマサメに目を向けた。

「イルミネーター、私たち三ノ輪さんには手だししませんね。これ約束。でも、私たちにしたがわないと三ノ輪さんの知りあい、死にます」

「……サトル、あれは私らを売ったミハルって女と、拘束に手をかした刑事だな?」

 マサメがボクの耳もとでささやいた。

「ああ」

「見捨てても、心は痛まないか?」

「いや、痛むよ!」

 正直、山村刑事に関しては……でも、彼は職務に忠実であっただけのただの警察官なのだろう。

「死んでもいい? 生きててほしいか?」

 さらに歩みよるマクガファン。

「ミハルは死んでもいいかな?」

 とんでもないことをいいだすマサメ。

「はぁ!?」

「ジョークだよ。サトル、あんたが決めてくれ。私はあんたの選択にしたがう」

「…………」

 なんなの、この二者択一! なんでこんなのボクが選ばないといけないの? 重いよ、重すぎる! そしてマクガファン大佐がたたみかけてきた。

「どうしたいですか? イルミネーター。三ノ輪さんを抱いて、高く高くジャンプして逃げてもいいです。でも、逃げたら逃げただけ、誰かが死ぬ。これでいいですか、イルミネーター!」

「マサメ……」

「サトル、わかった」

「すまない……」

「いいよ。誰かを犠牲にして生き残るのってさ、やっぱり楽じゃないよな」

 ボクは泣きそうになりながらマクガファンに向きなおり、無抵抗をしめすように両手をあげた。

「投降する。だから美晴と山村刑事を傷つけるな!」

「イルミネーターは? どう?」

「…………」

 おもしろくもなさそうな表情で、マサメも両手をさしあげる。

「よろしい」

 マクガファン大佐は、部下たちに英語で確保しろと命令した。ボクとマサメはとたん、一般人の姿を装った私服米兵に取りかこまれ、うしろ手に二重、三重に手錠をかけられ、足にもかせを(足錠とでもいえばいいのか)取りつけられた。

 警察の装甲車へと連行されていくボクとマサメ。しかし足枷のせいで極端に歩幅がせまく、チョコチョコとしか進めない。あんあんと泣きじゃくっている美晴の前をすぎる。それは怖いだろう。日本で本物の銃を頭につきつけられるという経験をした女性は、ほかにあまりいないだろうから。ボクは、どうしてだか美晴にすまないと思った。こんなことに巻きこんで本当にすまないと。

「すまない……」

 山村刑事がボクとマサメに頭をさげた。みんなであやまりあいだ。しかもあやまる必要なんてどこにもないのに! ボクはだんだん腹がたってきた。だからマクガファンの前を通りすぎたとき、思わず英語でどなっていた。

「卑怯者! アメリカ人は最低だ!」

 色めきたつ周囲の米兵たちを片手で制し、大佐は笑顔をうかべてタバコに火をつけた。

「日本人よりも任務遂行に忠実、作戦達成意識が高い、という賛美の言葉だとうけとっておこう。ただ二度とアメリカをおとしめるような発言をするな。命の保障はできない」

 マクガファン大佐のミノウタス語はぎこちなく、どこかコミカルな印象であったが、英語でドスをきかされると、ボクはイエッサーかしこまりましたとしかこたえられなかった。すごくすごく、くやしいけれど、それよりなにより怖かった。

「申しわけない、三ノ輪さん」

 ささやくような日本語が聞こえた。声の主は美晴に銃をつきつけていた警察官のコスプレをした自衛隊員だった。この人、個人としてはおそらく、こんな卑劣な作戦には組みしたくなかったのだろう。

                         (つづく)

   

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