7 青森極北刑務所 柴門博士

「もう一度、確認させてくださいね。マンサメリケス・ナイトウさん。あなたのいたという未来世界では重力がこの時代の一・三倍から最大二・五倍と日々、変動している。つまり1.3Gから2.5Gの重力をもつ地球で生活しなければならなかったため、あなたの骨密度は異常に高くなり、筋肉も異常発達した。そういうことですよね?」

 日本において最高峰の生物学者である柴門信文さいもんのぶふみ博士(しかも彼は相楽同様にミノウタス語に堪能であった)が、手元の資料を確認しながらマサメにたずねた。

 心電図やら脳波計、様々なコードやチューブにつながれたマサメはギリリと歯がみしながらドン!と壁面にこぶしをたたきつけた。コンクリートの壁がいとも簡単に砕け、亀裂が走る。はじめこそ、彼女の剛腕に恐れおののいていた柴門博士とその研究グループも、今ではすっかりなれっこになっているようであった。

「だから、それは何度も話しただろ? いつまでこんなことをつづける気だ!」

 防護服ではなく、研究用の水色の入院着を着けたマサメが怒るのも無理はない。ボクらが「青森極北刑務所」に軟禁されてから、すでに一週間が経過していた。塀の外では元旦の祝いや行事がとどこおりなくおこなわれているに違いない。コロナ禍も少しは収束してきたからね。

 なのにボクらは塀の中、妙に豪華なおせち料理はだしてもらえたけど、これ、おかしくない? なぜボクらが刑務所へ連れてこられたのかは相楽が説明してくれた。マサメの身体能力の秘密を探るためには広い施設が必須である上、世界中の注目を集めるマサメの保護、警備をかんがみたら刑務所が一番であるという結論にいたったのだそうだ。事実、マサメは刑務所内の運動グラウンドにて素足で跳躍をさせられ、砲丸投げや、百メートル走、パンチ力の測定、はてはカラテのカワラ割りなんかのバカげた実験をさせられた。

 むろん結果はオリンピック選手の記録など、はるかに凌駕する恐るべきものばかりであった。ちなみに彼女の最高ジャンプ力は4・87メートル、百メートル走は6・58秒であった。初めこそ青森につもりはじめていた雪とその景色に感動したり、急ごしらえで内装業者を入れて刑務所内に建造された、豪華ホテルなみのスウィートルームやぜいをつくした料理にご満悦であったマサメだが、一週間も同じような質問をうけ、レントゲンやMRIにCTスキャンの機械に入れられ、血液や皮膚組織、尿や便を採取される生活に耐えられなくなりつつあった。そして彼女のイライラをいさめる役どころをつとめるためにボクは連れてこられたらしい。

 けれどボクは気づいていた。マサメとボクがこの場所に連行された理由は保護するためではない。警備が厳重の、つまりは逃亡をふせぐための刑務所なのだと。マサメのために正月早々、ほかの監獄へと移動させられた何千人という囚人の皆さまは本当にお気の毒である。

「いいかげん百年後の未来を救える天文学者と話しをさせてくれ!」

 マサメがどなり、脳波計のキャップを床にたたきつけた。柴門博士がボクに目くばせする。やれやれ……である。

「マサメ、天文学者なら先週きて、話を聞いてくれたろ? 案件を持ちかえってくれただろ?」

 ボクがいうとマサメは苦々しい表情でいった。

「そうだけど! そうだけど、日本の学者じゃダメなんだ! なんだっけ、あれ、あの望遠鏡」

「ハッブル宇宙望遠鏡か?」

「そうそう。それから、純金の!」

「オリガミ宇宙望遠鏡?」

「そうだよサトル! この時代で最高、最新の技術をあつかえる学者が必要なんだ」

「日本の技術だった捨てたものじゃないんだけどな」

「ダメだって! アメリカやロシア、中国なんかとは研究予算が桁違いだろが?」

「よく、知ってるな」

「二一二三年じゃ常識なんだよ! 百年前の日本が環境問題なんかにとらわれてないで先端の技術に予算をつぎこんでいたら、現状の地獄を回避できたかもしれないってさ」

「なるほど……だそうですよ。柴門博士」

「耳が痛いな」

 柴門博士は笑みをうかべ、そしてマサメが外した脳波計キャップをひろいながら、次の質問をマサメへとぶつけた。

「あなたの着用していた反重力ブーツ、そして耐重力防護スーツにヘルメット、バイザー、マスク。そのすべてが地球由来の鉱物や資源を利用しながらも現在の我々の知りうる科学では製造しえない素晴らしい技術であること、それは承知しています。そしてマンサメリケスさんは、それらが百年後の未来に製作されたガジェットであるという。どうもそれが信用できない」

「なんでだよ! いっただろ! 反重力ブーツはこの時代から二十年後、耐重力スーツとヘルメットは七十七年後に民間企業の『スラ・リンガン社』が開発、販売をはじめた製品だってさ!」

「そうなんですがマンサメリケスさん、このブーツやスーツ、それと連動するヘルメットの心臓部、一番重要なコンピューターチップと基盤が破壊されていますね? 現実に可動しない物を未来のガジェットだといわれてもね。そうは思いませんか、三ノ輪さん」

 柴門博士はボクに話しをふってきた。だけどボクは──。

「ボクは見ました。マサメ、マンサメリケス・ナイトウが、あのブーツをはいた状態で突然、現れたとき、重力に逆らうようにフワフワとうきあがる姿を」

「次元の裂け目、ワームホールから彼女が、ふわりと落ちてきたんでしたっけ?」

「そうです」

「妄想じゃないのかな?」

「はぁ?」

「ワームホールというのは? 空想理論としてなら知っていますが、それはどんなものでしたか?」

「……そうとしか説明できない現象でした」

「証明できますか?」

「無理です」

「でしょうね。そして彼女のブーツもスーツも内蔵メカが破壊されていて、我々はその現象を検証することができない。信じろというには無理があるとは思いませんか? やはりマンサメリケス・ナイトウさんは、この時代の技術が生みだした生物兵器、いや、これは失礼。究極のドーピングを受けた人工物だと考えざるを──」

「そんな狭い了見だから、日本の科学技術は衰退していくんだ!」

 ボクにしては珍しく、この日本最高の生物学者に噛みついた。

「サトル」

 マサメが意味不明な激高をしたボクを優しい目で見た。

「なんだよ?」

「いったん落ちつこうサトル」マサメは笑い、そして柴門博士にも微笑みかけた。けっこう無理のある不自然な笑顔に見えたけれど。

「私らの時代では、すでに重力の異常とワームホールの発生が世界各地で、この時代の日照りや豪雨、地震や台風なみの頻度で報告されていた」

「ワームホールが頻繁に出現していたと?」

 眉間にシワをよせる柴門博士。おそらくは、そうトンデモ科学キター!とでも思ったのだろう。ボクにしたってそうだ。マサメと出会うまでのボクなら、柴門博士に全面同意したに違いない。この話は天文学者にはしていたが、マサメが生物学者である柴門博士にするのは初めてであった。

「ワームホールがふたつのマイクロブラックホールとホワイトホールの仲立ちをはたして超高速で地球に迫ってきてるんだ」

「はぁ?」

 柴門博士のリアクションは、最初にマサメから説明をうけたボクと同じであった。

「だから、こう、なんでも飲みこむブラックホールと、なんでも吐きだすホワイトホールの間に瞬時に移動ができる巨大ワームホールがたまたま存在していて、なんていうのかな、交互に飲んだり吐いたりしながら地球へと一直線に進んでいるんだよ、今、この瞬間にも!」

「それが本当なら大変だ」

 舞台役者のようなオーバーアクションでやれやれと両手を広げてみせる柴門博士。

「信じてくれよ!」

「まあまあ、その手の話は私の専門外ですから話をもどしましょう。マンサメリケスさん、なぜスーツやブーツを破壊したのです?」

 まったく取りあわない柴門博士にチッと舌うちしながら、マサメがこたえる。

「私ら、政府からいわれていたんだ。ブラックホールのはなつジェットやプラズマ、時空嵐の影響で地球各地にランダムに現れる小型ワームホールに飲まれて未来へと飛ばされたならば、あきらめろ。しかし過去へと飛んだなら、その時代の未来にあたる私たちの時代の先端技術を過去の人間に見せてはならない。それは人類の歴史を大きくゆがめてしまう行為にほかならない、ってさ」

「だから、ブーツやスーツの機能を破壊したのだと?」

 柴門がいった。

「そう。サトルみたいな科学に興味のない一般人には見せられても、博士みたいな専門家に調べられたら、歴史が変わるでしょ? もしもワームホールから過去の時代にいったら、ここを壊せ、あれを押せって、私ら教えられていたんだ。それがルールだって」

「なるほど……その、なんだ。数十年後に『スラ・リンガン社』とかいう企業が開発するまでは反重力ブーツも耐重圧スーツも我々には非公開というわけなんだ」

「未来じゃ時空がゆがむ。人類も存続の危機にみまわれるんだ。この上、歴史までおかしなことになったら、どんなにえらい学者だって対処は不可能だろ?」

「ま、いろいろとうなずけないお話ではないといえなくもないですね」

「だったら!」

 勢いこんだマサメを柴門博士は、鼻で笑った。

「だったら、未来からきたというマンサメリケス嬢が壊滅的ダメージをこうむる百年後の地球を救えと、過去のわれわれに所望するというのはどうなのだろう? 大きな歴史改変につながりはしないだろうか? ルール違反じゃないのかな?」

「そうだけど! そうだけど地球が滅ぶんだよ。このまま放置していたら、人類は確実に絶滅するんだよ!」

「残念ながら私は百年後に生きていないから」

「なんて人だ! あなたの子供や孫がひどい目にあうんだよ!」

「私は独身主義者でね」

「柴門博士!」

 我慢できなくなったボクが、またふたりの間にわって入った。

「博士はマサメについて政府へ報告する義務があるはずです。そんな個人的主義なんかで彼女の言葉をにぎりつぶすつもりですか!」

「彼女の話には矛盾点が多すぎる。とても現段階で報告できるレベルではないね。だいたい三ノ輪さんも感じたことだろう? 彼女の容姿、大きすぎる目、小さすぎる顔、張りだした後頭部。長すぎる首や手足。これが、たったの百年の間にとげられた人類の進化の形態だとは信じがたい」

 ボクは、うっと言葉をつまらせた。そうなのだ、今のマサメの姿は──。

「現在の技術で造りだされたサイボーグ、もしくは遺伝子組み換えによって生みだされた突然変異のバイオニクス生物と考えるのが自然だ。異星人だというバカ者もいるそうだが、彼女が身に着けていたスーツも靴も、付着していた砂や土、すべて地球上のものだった。ありえない」

「……マサメのスーツに付着していた砂や土、放射性炭素年代測定にはかけたんですか?」

「うん? まさかその砂が過去ではなく未来から運ばれたものだとわかるとでも思うのかい?」

「いちるの望みていどですけど」

「もちろん解析はやっている。しかし、彼女の話ではたかだか百年先の未来だろ? なにかでたところで誤差として片づけられるレベルだよ。なにしろ前例がないからね」

 ボクはなにもいえなかった。まさしくさもありなんである。が、マサメがほえた!

「私が現在の技術の粋を集めた生物兵器だってところへどうしてももっていきたいみたいだけどさ、そんな結論ありき的なことしか考えられないのか? なにが日本最高峰の生物学者だよ! へそが茶をわかすぜ!」

「なんだと?」

 柴門博士の目がスイと細く上目づかいになった。マジでキレているようだ。

「なぁ、へそが茶をわかすって、意味不明な日本語あるよな? あってるか? サトル」

 ボクに確かめるマサメ。

「ああ、あるよ。あってる」

「そっか。柴門博士、いったろ? 私らの時代には時空がゆがめられたワームホールがそこかしこに現れて、未来やら過去やらへ、いきなり飛ばされてしまう可能性があるってさ。確かにこの時代、安定した顔や頭の形からは想像もつかないくらい、私らはかわいく進化が進みすぎているとは思うよ」

 かわいく、という単語をはさむのを忘れないところが女性らしいというか、マサメらしい。そして彼女は言葉をついだ。

「でも、時間や空間をこえたワームホールが散在する地球で生きてきた私らが、百年以上の進化をとげていたっておかしくないだろ! この時代の科学でも時間と空間は別のものじゃない、同一の質量をもつ次元のものだと考えていいんだろ? 柴門博士!」

「まあ、そうだが」

 博士は、唇をゆがめてうなずいた。アインシュタインの理論は、百年の年月をへた現在でも色あせてはいない。

「そんな風に可能性を模索する考えはまったくないのか? 日本最高の学者さんはさ」

「……日本最高の生物学者は、つみ重ねたデータしか信用しないんだよ。そう、それに今のあなたの顔や姿は確かに美しい。きれいだと、わたしは思うよ」

「あらぁ!」

 マサメは右ほおに手をおいて、照れている。意外とアホの子なのか?

「だが、あなたは美しすぎる。だってそうだろう? 1・3G? 2・5G? そんな重力にさらされて進化した人間の手足や首が、そんなに細長くて重力に耐えられるはずがない! もっと、短く、太く、ガッチリとしていなければ整合性がとれない!」

「ブラックホールとホワイトホールが地球の重力や自転、公転速度に影響をあたえはじめたのは私が十七のころだった。スパゲッティ現象というのか? 私らは常にワームホールのうずに飲まれそうになっていたんだ。上下に引きのばされたんだよ! 私はもともと一七〇センチくらいしか身長がなかったんだ」

「そんなバカな。マンガじゃあるまいし……だったら後頭部の異常発達は? どう説明をつける?」

「私が子供のころの学者は二三〇〇年あたりの人間はみんなこうなっているって未来予想をしていた。小顔で目が大きくてかわいくて、でも知能が向上しなければ先端技術を使いこなせない。そんな全人類の欲望と希求の結果、こうなるって」

「なるほど。現代でもスマホ依存者の増加で人類の体型が前かがみに変化すると予測する科学者はいます。しかし予測は予測だ。それにスマホ文化だって永遠不変ではない、まったくあてにならない」

「目が大きくて、小顔でかわいいは永遠不滅だろうが!」

「確かに。しかし欲望と希求が全人類をより美しく、さらには知能まで向上させるなんて、おもしろいけれど根拠は薄弱だ」

「根拠なんて知るわけないだろ! 私は未来からきたってだけで柴門博士みたいな専門家じゃない! ただの美容師、量波ラジオやサイトから情報を得ていただけの普通の庶民なんだから!」

「……美容師?」

「そうだ」

「ただの美容師? その、他者の髪の毛を散髪する?」

「ああ。ほかにどんな意味がある?」

「その美容師がなぜ、この時代の日本にきたんだ?」

「だから知らないって! ワームホールがたまたま百年前の日本に通じていただけなんだから」

「そしてたまたま、マンサメリケス嬢は母国語を理解できる心やさしいボッチブ青年と出会った。できすぎなシナリオだとわたしは思うが」

「サトルと会えたのは幸運だった、私もそう思っているよ」

「…………」

 なんというか、赤面してしまうボク。

「──三ノ輪さんのこと、嫌いではないんですよね?」

「あたりまえだ」

「ならばいっそのこと、交合をしてみては?」

「はぁあ!」

 マサメとボクは同時に叫んでいた。

「いや、まだ早いか? なにしろこの地上にただ一匹、現存する唯一の個体だからな……マンサメリケスさん、そのワームホールを経由してあなたの同種、いや失礼、ほかの方がこの時代にきている可能性はないのでしょうか?」

「知らないよ! それより、今、私を一匹といったな! 私は動物じゃない!」

「一匹でなにが悪い? あなたとの議論はなかなかに楽しいけれど、妄想患者の相手を長くつづけることはわたしの本意ではないし、仕事でもない。わたしは生物学者、三ノ輪さんもふくめて、妄想たれ流し精神異常者の相手は心療内科の医師にまかせることと──」

「サトルまで巻きこむな! だいたいあんたは見たのかよ!」

「なにをだろう?」

「私たちが味わったあの地獄絵図をだ! 見てもいないくせに生意気ぬかすな!」

 つながれたチューブやコードをすべて引きちぎり、マサメは柴門博士をぶっ飛ばした。それも三メートルほど。胸のすくようなパンチではあったが、マサメは待機していた自衛官に取りおさえられ、長い首のやわらかいうなじの部分に背後から注射を打たれて昏倒した。マサメはこれ以上の抵抗と反撃を自己抑制したに違いない。いかに訓練をつんだ屈強な自衛官であろうと銃火器でももちださない限り、本気をだした彼女にかなうはずがないからだ。ボクはふらふらと倒れる長身の彼女を懸命に抱きしめ、自衛官たちをにらみつけた。今度は彼らが自重してくれたようだ。正直、助かった。本気をだした自衛隊員に、ボクみたいなへなちょこがかなうはずがないからだ。

 ──と思ったが、あまかったらしい。やつらはボクの首筋にも麻酔薬をうちやがった。ボクも立っていられなくなり、急速に風景が遠のいていった。

                      (つづく)

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