6 美晴 山村 相楽
入ってきたのは巨漢の山村刑事よりもさらに長身であるが、細身で凶悪なオーラをはなつ黒のスーツ姿の男であった。彼はミノウタス語で驚いたようにこういった。
「彼、いや彼女か。イルミネーターはマサメというのか?」
「ミノウタス語がわかるんですか?」
ボクがいうと、彼は笑顔(と、いっても引きつったようなわざとらしい笑顔)でこたえた。
「若いころ、公国ではなく、まだミノウタス王国だったころ、SPとして日本人大使の護衛をつとめていたもので、ミノウタス語にはいささか精通しているのです」
「なるほど」
かつては専制君主の王国であった、かの国は内乱と革命で現在の公国へと変貌したのである。研究者として王国に招かれていたボクの父、母らのグループがミノウタスから逃れたのも、あの革命戦争があったせいだ。と、記憶している。子供だったのであまり定かではないのだが。
「ですので私の前では、ミノウタス語は内緒話にはなりません。ありのままをこたえてください」
「……あの、日本語で」
ミノウタス語で話す謎の男が山村刑事の希望を片手で制した。
「本条美晴さんの件についてお話しましょう。彼女には三ノ輪さんがすんなりこの部屋のドアを開けてくれるよう、ご協力を願いました。我々としても、ここで昨夜のような騒ぎをおこしたくなかったもので」
「美晴をやとったのか? 金で」
やはりワイロや金で動くんじゃないか、日本の警察も。
「いやいや。そうとらえるのは本条美晴さんに失礼です。金など……まあ、金も関係なくはないかな」
「なんなんだ?」
「それはあとで彼女に聞いてください。彼女が話したければ話してくれるでしょう。我々に協力した理由を。今は、そちらのマサメさんが重要でして」
「あなたも警察官なのか?」
やや、しどろもどろにボクがミノウタス語でいうと、男は手を左右にふった。
「私はワイロやコネに転ぶようなやからではありませんよ。内閣総理大臣直属の機密調査室の人間で
「内閣?」
「はい。あなた方がどう考えているのかは知りませんが、もはやイルミネーターは国家規模の案件となっているのです」
「どういうことですか? イルミネーターはただ、無差別殺人犯から市民を守ったってだけのヒーローでしょ」
自由の身になったボクはマサメの前に立ち、微力ながら彼女をかばうように両腕を開いた。
「とんでもない。確かにサンタクロースのマスクをかぶった
サンタマスクの名前は鈴木三郎太というのか。おそらくニュースでも報道されていたのだろうが、マサメの活躍に時間が多くさかれすぎていて見聞きする機会が少なかったのだろう。そんなことはどうでもいいが、ボクはこういわずにはいられなかった。
「マサメのおかげで、多くの人が助かったんじゃないか!」
「その通りです。しかし今、鈴木三郎太はマサメさんの反撃をうけて半死半生、生死の境をただよっている状況です」
「自業自得だ! 正当防衛だ!」
「そうでしょうか? あきらかに力の勝る者が弱者をいびり倒したようにも見えますが」
「そんなバカな!」
「大声はやめましょう。朝っぱらからご近所に迷惑ですよ、三ノ輪さん」
「…………」
小さく舌打ちするボク。
「それに鈴木三郎太とて日本国民。日本は法治国家です。私刑、個人的なリンチは断じて許されません」
「リンチだと?」
ボクが目をむくと、たまらずマサメが口をはさんできた。
「ミノウタスなら、もちろん許されはしないが、あんな野郎を半殺しにしたところで大した罪にはならないぞ」
「ああ、確かに。ミノウタスのお国柄は承知しています。しかし、ここは日本です。日本には日本のルールがあります」
「……それは、そうなんだろうな」
マサメはボクをサングラスごしに見た。くやしいが相楽のいうことはいちいち正論、ボクは彼女へうなずいてみせるしかなかった。
「しかし驚いた。女性だったんですか、イルミネーターは。これは、これは。それとも、あなた方を乗せたタクシー運転手の証言のようにマサメさんはニューハーフなのかな?」
「女だよ!」
マサメがほえた。もう黙ってろ!と思うボク。
「そうですか、マサメさん。これは失礼」
「私をマサメと呼ぶのは、友だちだけだ。残念だがあんたは友だちじゃない」
「そうですね、まだ友だちじゃない。では本名を教えていただけませんか?」
「マサメ、もうなにも話すな!」
ボクがいうと、マサメは小さくうなずいた。
「ふふふ。三ノ輪さん、見事に彼女を手なずけたようですね。これはおもしろい」
「マサメが国家規模の案件ってなんですか?」
「我々、日本政府もですが、ネットで拡散した彼女の動画は世界中に衝撃をあたえました。あの跳躍力、攻撃力。そして、あの耐久力。専門家の判定では鈴木三郎太のナタをあの角度でもろに受けとめたら、彼女の腕は切断されていなければ理屈に合わないのだそうです。よくできたⅭGなのかもしれない、誰もがそう考えました。むろんその検証も各国で緊急になされたそうです。しかし結論はなんの加工もされていない、素人カメラマンが撮影したただのライブ映像でした。彼女はまさしく本物、究極の戦士。人知を超えた人間兵器といえるでしょう。たとえばアメリカ、ロシア、中国、さまざまな国から今、我が国に共同研究のオファーが殺到しています」
「日本政府としてはウハウハってわけだ。日本は新たな研究課題には消極的だからな」
「はい。三ノ輪さんの所属する大学の研究室はもちろんのこと、金にならない科学研究にはびた一文、税金を使いたくないというのが、これまでの政府の裏の方針でしたから」
「裏? けっこう表だって大学の研究をつぶしていたような気がするけどな。なにかというと軍事研究につながるとかなんとか難くせつけて」
「おっしゃる通りですね」
「だから発想の転換がなされたようなすばらしい論文や理論が海外へ流出してしまうんだろうよ!」
「異論はありません。しかしミノウタス語を話すマサメさんが、この日本になぜか現れた。海外の資本が入り、研究を進めることができれば日本発の論文がノーベル科学賞をいとめることも夢ではなくなりますよ」
「…………」
「三ノ輪さんは、科学研究があまりお好きではないと、そちらの女性、本条美晴さんからお聞きしました。成績も決してよくはなかったと」
「それがなんですか?」
私服警察官の背後にかくれる美晴に目をむけるボク。
「お父さんは日本でも有数な物理学者だったそうですね? しかしノーベル賞は毎年、候補にあがりながらも、取りそこねた」
「だから、なんだってんだ!」
「美晴さんはね、もしかしたら三ノ輪さんは天才なのかもしれないといっていました」
「はぁ?」
今、現在かわされている会話はすべてミノウタス語であるので、美晴や山村刑事、ほかのふたりの刑事や私服警官はポカンとした表情をうかべていた。美晴がボクを天才だといった? もちろんボクもお口ポカンである。
「お父さんの命を奪った科学は好きではない。だから数式も単語もおぼえない。なので成績は最悪。しかし数式のしめす本質は、美晴さんの知りうる誰よりも理解しているように見えたのだと彼女は語っていました。三ノ輪悟は雑用係でおわるような人間ではないと彼女はいいました。あなたが、お父さんの意志をついで、いつかノーベル賞を取る人間になることもありえるとね」
「嘘ですよ……そんなことを美晴がいうはずがない。だってボクを捨てた女ですよ」
ミノウタス語だから、彼女には理解できるわけがないから、だからいえたセリフだ。
「おもしろいね。彼女はきみに捨てられたと思っているそうだよ」
「……まあ、それもひとつの可能性ではありますが」
ある意味では。
「話をもどしますか?」
「はぁ」
「きみは日本でもトップランナーの研究者になれる可能性を秘めている男なんだ」
「ないですよ」
相楽はボクの耳もとに口をよせた。
「いや、そうかな? あの化け物、マサメを研究できれば状況は変わる」
「化け物、だと?」
「きみのいうことならなんでもきくんだろ? 彼女には今すぐおとなしく我々の指定する施設へ入っていただく」
「…………」
「むろん、きみも一緒にきていただきたい。異存はないな」
「…………」
「おっと、六時半だ」
内閣機密調査室の男、相楽が腕時計を見た。そして、日本語でこう続けた。
「テレビをつけてくれませんか? 山村警部、美晴さんも、ほかの方々も、三ノ輪悟さんの部屋でテレビを見せていただこう」
なんだかおかしな具合になってきた。どうしてボクは朝一で乱入してきた警察官や元カノと一緒にテレビの前でかしこまっているのか? 相楽という男がリモコンでスイッチをつけるとテレビ画面の中にはとんでもないテロップがおどっていた。それは「イルミネーター、秩父山中にて死す?」というものであった。
「なんだって!」
ボクが叫ぶと、相楽はニコリともせずに日本語でいった。
「これで彼女がマスコミから追われることはなくなりました。我々の素早い対応に感謝していただきたいですな」
「だけど死んだって」
「逃亡先の秩父山中で木々の間を跳んでわたっていた際、あやまって転落死したということになってます」
「手まわしがよすぎませんか?」
新型コロナのまん延をまねいたように、いつもぐずぐずと重大な決断を先のばしにして後手後手にまわるというのが、この国の政治家の常であったはずだ。
「このシナリオは某国からの要請、ある意味、強制です。首相に直接電話がありました。真夜中のホットラインでね。まあ我が国は外圧には弱いですからな」
「……バレますよ。すぐに」
「だとしても、そのころにはもう話題にものぼらないでしょう。この国の大衆はあきやすいですから」
「ボクも死んだことになってるんですか?」
ボクにはもう市民権はないのか?
「いや、三ノ輪さんはもうネットで身バレしていますからね。警察に保護されたことにします。これから現実にそうなりますし」
「いやだといったら?」
「拒否ですか? ここで彼女を暴れさせて逃亡をはかるのですか? それはおすすめできませんな」
「あんたら、マサメにはかなわないぞ」
「そうでしょうね。争いになれば、丸腰の我々に勝ち目はないでしょう。しかし我々がケガでもおえば日本中の警察官が動員されて彼女と三ノ輪さんを追いますよ。今度は銃を携帯してね。マスコミの追求も激化するでしょうね。イルミネーターは生きていた。大騒ぎになります。逃げきれますか? 彼女は目立ちますからね」
相楽のいうことは、返す返すもっともである。マサメを連れて逃げまわるなんて不可能であろう。しかし──。
「相楽さん」
「なんでしょう?」
「マサメはきちんと人としてあつかわれるんでしょうね? つまり……」
彼女を化け物といった男を、ボクはにらみつけた。マサメはちゃんとした理由があって
「実験動物ということにはなりませんよ。今のところ希少な一体ですからね。死なれでもしたら日本のメンツはまるつぶれになります」
「メンツ……」
この相楽と話していると、いちいち不安になる。
「おい、サトル。なにを話してるんだ?」
日本語で会話していたため、今度はマサメがイラつきはじめた。当然、テレビを見てもテロップは読めないし、現地レポーターやアナウンサーがなにをいっているのかも理解できずにいた。まさか自分が死人にされているなんて思いもよらないだろう。
「マサメ、大丈夫だ。心配するな」
ミノウタス語で話すボク。まったくややこしい。
「なにがどう大丈夫なんだ?」
「この相楽さんたちが保護してくれる。相楽さん、そうですよね?」
ボクはさらに険しい表情で相楽をねめつけた。しかし相楽はどこ吹く風、あっけらかんとこたえた。
「もちろんです。はい」
「いき先はどこかの研究施設ですよね?」
「その通り」
「マサメ、向こうについたら本物の科学者なんかにおおぜい会えるぞ。海外の天文学者もよんでもらおう。地球の未来について検討してもらえるぞ」
「そうか! 本当にか? よかった。サガラさん、目つきは悪いけどいいやつなんだな」
喜ぶマサメとボクを交互に見る相楽。
「地球の未来とは?」
「彼女は、その、信じられないでしょうが──」
「なんだろう? もはやその存在自体が信じられないものともいえますがね」
「いや、これは科学者、天文学者や量子物理学者の前でお話しします。とにかく世界中の科学者をその施設に集めてください」
「それを約束したら、穏便にことを進めていただけるのかな?」
「はい」
ボクがこたえるとマサメがマスク越しに不服を申し立てた。
「その施設では即席ラーメンより、いいご飯が食えるのか? もう腹ペコなんだ」
あっはっは!と相楽は引きつったように笑い、マサメに約束した。
「もちろん。なんでも食べさせてあげますよ」
しかし、日本語でポソリとつぶやいた彼の言葉をボクは聞き逃さなかった。ボクは日本語でいった。彼同様、小声で。
「相楽さん」
「なんです?」
「エサじゃない、食事だ。二度とマサメを化け物あつかいするな。彼女は人間で、見ず知らずのたくさんの命を救った、心優しい女性だ」
「わかりました。失礼しました」
ごく形式的、儀礼的な相づちであるとしかボクには思えなかったが、マサメのかかえた問題を解決するためには、世界的規模の大災害から未来の地球を救済するためには、この内閣機密調査室の男にすがるほかないと、ボクは思ったんだ。
「お願いしますよ、相楽さん」
「はい」
日本語で「はい」と答えた相楽はミノウタス語に切りかえてマサメにいった。
「では、ご同行願います。マサメさん」
「おう。でも少し待ってくれ、サガラさん」
「どうしました?」
「研究施設の天文学者なんかに会うなら、私がこの時代にきたときのスーツに着がえた方がいいだろ?」
「この時代、とは?」
「細かいことは、今はいいから!」
なにかいおうとしたマサメをボクは制した。未来からきたとかいっても、どうせ簡単には信じてもらえるわけがない。専門の研究者と直接、話すしかないのだ。マスクの下で舌うちしたマサメは全員に背を向けた。そして、ボクに目を閉じろと命じる。
「はいはい」
なんでボクだけ? 不満に思いつつ目をつぶるボク。
「──サトル、いいぞ」
目を開くと畳にワンピースが落ちていて、マサメは初めて出会ったときのウェットスーツのような防護服を身に着けていた。ほかの人々、山村刑事や美晴、相楽らはマサメのメカ内蔵の防護スーツの意匠に目を奪われている。
「じゃあ、いこうか? サガラさん。うまいメシをたのむよ」
「了解した……が、そろそろ、そのサングラスとマスク、帽子を外してもらえまいか? あなたの顔が見たい」
「わかった」
「マサメ、あとにしろ!」
ボクは怒鳴ったが、ときすでに遅しであった。叫び声をあげたりする者はいなかったけれど、その場にいた人々は全員、マサメを異星人だと信じて疑わなかったに違いない。常に余裕をかましているような相楽ですら、眉間にたてジワをよせて彼女を凝視して目をはなせないようである。美晴などは、恐怖と好奇心がない交ぜなのか、警官のうしろにかくれて盗み見るようにしていた。
「なんだよ? みんなどうした?」
マサメがいうと、ボクはこうこたえた。
「みんなマサメが美人だから驚いたんだよ」
「おう、なんだそうか」
マサメが笑うと印象派の絵画か、マンガか3Ⅾアニメのヒロインのようであった。早い話が妙につきでた後頭部を見ないかぎり、正面からだけ見たら非現実的なほどに美しいのだ。
「……三ノ輪さん」
かすれた声の日本語で相楽がいった。
「はい」
「やはりニット帽とサングラス、マスクを着けるよう彼女にいってください。それから山村警部補」
「は、はぁ」
山村警部補(階級は警部ではなく警部補ね)は開けたままであった口、そのままで相楽にうなずいていた。
「寒いだろうが、あなたのコートを彼女に着せてあげてください。誰かに撮られてSNSにでもあげられたら大変なことになる」
「わかりました」
相楽はマサメが長身だから、大柄な山村警部補のコートを選択したのだろう。やはりどんな場合でも冷静な判断をくだせる男らしい。
「それから本条美晴さん」
「はい」
「ここで見たことは忘れるように」
「…………」
よほど動転していたのだろう。ボクの知るかぎりユーモアとウィットにとんだ美晴ですら、なにもこたえられないでいた。それはそうだ。彼女はおそらく人類初の宇宙人との遭遇をはたしたのだと考えているに違いない。
「本条美晴さん。いいですね?」
相楽がグイと彼女に顔を近づけ、射るような目でいうと、美晴はうんうんと大きくうなずいていた。なにか弱みでも握られているのだろうか? 彼女はいい方は悪いが、他人に感情を押しつける(たとえば愛情とか)くせに、他者から強制されるのは大嫌いな自由人であったはずであるのに。
「絶対、誰にもいいません」
美晴は相楽に、すがるような目つきで誓約した。おかしい、とボクは思ったが今はそれどころではない。これからボクとマサメは、世界中の科学者を相手にしなければならない。そして彼らを説得し、対策をこうじてもらわなければならないのである……大学の研究室で雑用係以上でも以下でもなかったボクが、なにがどうしてこうなったのか、さっぱりわからないのだけれど。
拘束されるわけでもなく、朝っぱらから大学の友人たちや年長の先輩たちと忘年会にでもでかけるようなノリで、ボクとマサメは連行され、表に駐車していた標準仕様を装ったワゴン車に乗せられた。自動スライドドアが閉じきる寸前、アパート前で解放されたらしい美晴がなにかいっているようであったが、ボクは聞こえないふりをして無視した。子供っぽい態度だったかもしれない。だけど仕方がないだろ? 先に仕かけたのは美晴の方なんだから。どんな弱みを相楽たちに握られているのかは知らないけど、美晴がボクとマサメを売ったのは明白なのだ。捨てられたのか捨てたのか、それは定かではないけれど。
そして、ボクらを乗せた四角形のワゴン車は、何度かの食事&トイレ休憩をはさみつつ、数時間の移動をへて、取りあえずの目的地である「青森極北刑務所」へとたどりついた。
(つづく)
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