4 バカさわぎ

「誰がニューハーフだ!」

 ようやくボクのアパートにたどりついて、どうしてタクシー運転手が突然黙りこんだのかとたずねられたボクがありのままにこたえると、いきなり逆上したマサメがボクの襟首を右手でつかんで縛り首のように持ちあげた。

「ギブ、ギブ」

 ボクがマサメの手をパンパンとたたくと、彼女は吐息をついてボクを畳の上におろしてくれた。

 ひとり暮らしを始めたときに母親が持たせてくれた薬箱を開けると、ボクは消費期限を確かめ(少しすぎていたけど、大丈夫だよね?)、マサメの前腕を消毒し、傷薬を塗って包帯を巻いた。痛そうに顔をしかめるマサメはしかし、どことなく楽しそうな笑顔を見せた。

「ありがとうな、サトル」

「いや、ボクのせいだから」

「違うよ。殺人サンタクロースのせいだ」

「まあ、そうだな」

 それからボクは買いおきの袋めんを三つあけて即席ラーメンを急いで作り、彼女へふるまった。イブの夜のディナーとしてはわびしいものがあるが、マサメはうまい、うまいとおらびながらスープまで完飲した。タマゴでも入れてやりたかったのだが、日々、研究室での激務に疲れはて、めったにキッチンへ立つことのないボクは野菜やタマゴなどの生鮮食品を買う習慣がなくなっていた。美晴がこの部屋へ出入りしていたころの冷蔵庫の中は食材であふれていたものであるが……。

「おう……生き返った!」

 おなかのあたりをさすりながらマサメは、空になったドンブリに手をあわせた。そうか、祖父が日本人だといっていたな。粗暴ではあるが、どうやら育ちはいいらしい。

「あしたはもう少しましなものを食わせてあげるよ」

 そういってからボクは、はたと頭をかかえた。あした? あしたも研究室に顔をだすべきか? いや、あしたは熱をだして休もう。雑用係がいなくても問題はあるまい。それに収束してきたとはいえ、コロナウィルスの猛威は記憶に新しい。高熱がでたといえば、無条件で十日間は自宅待機となるのである。とにかくマサメをひとりきりにしておくのは危険すぎる。ちょっと待て。今日は土曜で明日は日曜日。じゃ、いいか。あんまりそこは考えなくても。このまま年末年始の休暇としゃれこもう。ところで彼女の服も調達しなければなるま……そうだ! ボクは立ちあがると半年以上、開けることのなかったタンスの一番下の引き出しに手をかけた。わずかではあるが、ここには美晴の下着やら洋服が収納されていたはずだ。

「おおっ!」

 マサメは大きなくりくり目をさらに大きく見開いた。タンスに収められているかわいらしいランジェリーとスカートやブラウスに乙女心がくすぐられたのかもしれない。

「まずシャワーを浴びてきなよ。どれでも好きなのを着ていいからさ」

 ボクはすまん美晴、と心でわびていた。

「サトル……お前、女装の趣味があるのか? 悪いとまではいわないが、ちょっと引く」

 とんでもない誤解である!

「シャワー、浴びたくないのか?」

 意地悪くいいながら、ボクは彼女の腕に巻いた包帯の上から食品用のラップフィルムを巻きつける。

「浴びたい!」

 両手を胸の前で組みあわせたマサメが叫ぶ。それはそうだろう、どんな環境の中にいたのかは知らないし、部屋に入ってから特に感じたことなのだが、彼女は少々におった。タクシーで気づかなかったのは、緊張感でいっぱいいっぱいだったせいに違いない。

「じゃ入ってこいよ。バスルームはでて右だから。ただ、傷口はあまりぬらすなよ」

「わかった!」

 マサメは嬉々としながら、下着とパジャマを選びはじめた。

「ただ、サトル……」

「わかってる。のぞいたりしないよ」

「うん!」


 やれやれである。ボクはマサメがシャワーを浴びている水音をBGMに、冷蔵庫から缶ビールをだして口をつけた。そして駅前広場での事件、とくにマサメの派手なパフォーマンスがどのていどのレベルで世間の注目を集めているのかを知るべく、テレビのリモコンを手にした。その度合いによっては、明日以降の動行も変えざるを得なくなるだろう。レベルについては「バカさわぎ」「ややうけ」「どっちらけ」とランクづけをしてみる。どうか「ややうけ」ていどでありますように……祈るような思いでスイッチを入れるなり、ものの一分でボクはテレビを消した。超がつくほどの「バカさわぎ」であった。テレビのアナウンサーはマサメの身体能力について口角泡を飛ばし、熱狂的な口調で原稿を繰り返し読みあげていた。もちろん、大ジャンプのあと華麗に空中回転してキックをはなつ正義のヒーローの動画つきである。テロップには、まるで『月光仮面』とあった。ああ、そうだ。確かそんな名前のヒーローだった。懐かしの番組でしか見たことがないけど。

「ダメだ、こりゃ」

 ボクは腕組みしてビールでのどをうるおす。あの血まみれサンタマスクの犯人は、職をうしない友人もいない、しかもボク同様のボッチブ男だったようで、それでイブの夜の犯行を思いたったのだそうだ。同情の余地はまるでない。昨年のハロウィンの夜におこった電車内の通り魔事件の模倣犯であったようだ。その上、肩口をナタで切られた男性は意識不明の重体のようである。とんでもなく大変な事態であるというのに、マスメディアの興味の中心は長身で白マスクにサングラスの謎の怪人に集中していた。報道するべきはそっちじゃないだろう!と突っこみをいれるボク。まだマサメが女性だとは特定されてはいないことだけが唯一の救いであった。アナウンサーやキャスターの語り口からすると、月よりの使者『月光仮面』は男性のイメージであったからだ。とても女子力高めとは思えないけれど、あしたからはできるだけ、マサメに女っぽいかっこうをさせようとボクは思った。しかし美晴の洋服サイズでは、細身だから入るだろうけれど、ひざ下スカートもミニスカートになりかねない。それはそれで目立ちすぎるような気がする。なにしろ尋常ではないモデル体型であるマサメが街を歩けば、スカウトなんかもやってきかねないだろう。困ったものである。

「気持ちよかった! 助かったよ、サトル!」

 パジャマ姿のマサメがバスルームからもどってきた。

「早いな、カラスの行水か?」

「誰がカラスだ!」

「いや、違う、違う。いわゆる日本のことわざだよ」

「そうなのか。それは知らなかった。私らシャワータイムは三分までと決められていたからさ」

「なんで?」

 どうやら未来の世界はひどくあわただしいようだ。

「もっと、ゆっくりでもよかったのか?」

「ああ。なんならバスタブにお湯をためてつかればよかったのに」

「そりゃ贅沢ってもんだ。死んだ仲間たちに申しわけないよ」

「まるで戦時下だな」

「違うけどまあ、似たようなものだな。なにせ、いつなんどきワームホールに飲まれるかわからない地獄の世界だから」

「ワームホールに飲みこまれる?」

「ああ。突然、飲みこまれて私はこの時代へきたんだよ」

「そうなの? ワームホールがそこら中にあるってこと?」

 マサメが出てきた光のうず巻きはワームホールなのか! 実際に見ていなければとても信じられない話である。

「ああ。ポコポコと泡みたく現れ、人や動物を飲みこむと消滅する。どこへ飛ばされるのかは見当もつかない。私は本当に運がよかった。未来に飛ばされていたらと思うとゾッとするよ」

「どうして?」

「ブラックホールはもう月まで特異点をのばしていた。未来の地球はもう飲みこまれて存在していないだろうからさ」

「ブ、ブラックホール? そんなものまで出てくるの?」

「ああ。ホワイトホールも出てくるぞ」

「はぁ?」

 トンデモ科学のオンパレードである。信じると約束はしたけれど……。

「な、地獄だろ?」

 マサメは自虐的な笑みをうかべる。

「うーん。想像もつかないけど」

「地獄だけどさ、未来にはサンタクロースのマスクをかぶって人殺しをするやつなんていないよ」

「ありゃあ、この時代でも特殊なやからだよ」

 大多数の誰もが、日々の艱難辛苦かんなんしんくをこらえて懸命に生きているのだよ! 

「そうであると願いたいな。あんなのばっかりだったら、私らの時代まで地球人類は存続しない」

「地球人類か……」

 たいそうな話ではあるが、ブラックホールやホワイトホールまでが登場するとなるとあながち大げさなものいいでもないのかもしれない。

「なあサトル、それビールか?」

「ああ、まだ冷蔵庫に入ってるよ」

「それでいい、くれ。間接キスだ、嬉しいだろ?」

 小学生の発想である、と思うボクは大学の飲み会に汚されている醜いオトナなのだろうか?

「ああ、嬉しいな」

 そうこたえてボクが飲みかけの缶をわたすと、マサメはグイグイとのどを鳴らして飲みほした。

「うまい! うまいなぁ! 友だちや両親にもこいつを飲ませてやりたかったぁ!」

「……未来では地球に、人類になにがおこるんだ? どうしてマサメは天文学者に会いたいんだ?」

「そうだったな」

 マサメは畳に腰をおろして、長い足をバツ印に組みあわせた。

「──さて、どこから話そうか」

 マサメはブルーのパジャマの前あわせを両手でギュッと握りしめて未来世界について語りはじめた。しかしその物語は、彼女を信じると誓ったボクでさえも驚天動地なだけでなく、やはりトンデモすぎるお話で、とても世間さまに公表できる内容とは思えなかった。ポカンと口を開いてあぜんとしているボクの頭を、なんどもマサメはたたいた。ただでさえGPA(成績)が低いんだから勘弁してほしいよ。

 あまつさえ、ボクに対し彼女は「バカは死ななきゃ治らない」とか「バカにつける薬はない」とかひどい暴言まではきやがった。ただ、説明の最後の方で、未来におこる世界的大災害で両親や友人を亡くしたのだと涙する彼女を見ていたら、なんだかボクまで切なくなってきたのは本当だ。

 好かれたから、好きになったような気がしていた美晴に対してもそうであったが、ボクは女性の涙にはとても弱いのだ。

「わたしのこと、好きじゃないのね?」

 なんて美晴にいわれたら、つい、そんなことないよ。好きだよ。なんていってしまうような優柔不断が服を着て歩いているような男なんだよ、ボクはさ。だからマサメにこういわれたとき、ボクがどうこたえたのか想像つくよね?

「今の私にはサトルだけが頼りなんだ」

「も、もちろん。わかってる。大丈夫、きっと大丈夫、マサメ」

 なにが大丈夫だよ、ボクは最低だ。そしてこの夜、なにができるだろうかと眠らずに考えたんだ。けれどマサメのかかえる問題はボクひとりではとても解決できない。スケールが大きすぎる。雑用係がお似合いのボクには荷が重すぎる話である。

                      (つづく)

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