第二十五話 闘技場

「に、二ノ瀬。頼みがある」


 俺たちが今後の作戦について考えていると、一人の男が話しかけてきた。


 ああ、こいつも酷い状態だ。身体の至る所に生傷がある。指の骨は一部折れていた。反撃していないのにあんなところが折れることはないだろうから、余興として折られたんだな。


「頼む! 次の試合、俺の代わりに出てくれないか。相手は隣の国の衛兵らしいんだ。もう、これ以上戦えない。頼む! 一戦だけ出てくれ!」


 男の懇願する姿は、必死そのものであった。

 当然だろう。こんなボロボロの身体で戦い続ければ、いつかは死が訪れる。それは、もしかしたら今日かもしれない。


 しかし、果たして替え玉出場なんてできるものなのか。俺は今までそんなこと経験がないんだが。


「私が許そう。というか、今日の試合はプログラムを変更させてくるよ。私はここの関係者に顔が利くんだ。内容はそうだな、二ノ瀬和澄による勝ち抜き戦。これでどうだ?」


「めちゃくちゃなこと言わないでくれよ。今来てる衛兵だの騎士だのの相手を俺一人でやるってことか? 冗談」


「私の専属護衛ならば、そのくらいできて当然だろう? 他国の騎士に負けているようじゃ、都市国家トーノではやっていけん。私を守ってくれるんじゃなかったのか、二ノ瀬君」


 そういう言い方をされては、断るわけにはいかん。それに、彼女には少々申し訳ないと思っている部分もある。


 いや、客観的に見て俺は何も悪くないのだ。彼女の要求を突っぱねたことは。

 だが、それが俺の中で引っ掛かり続けている。彼女を傷つけてしまったんではないかと。


 自分としては、とても誠実な対応をしたと思っている。しかし、外面上正しいことと、相手を傷つけないことはまったくの別問題だ。


「わかった、それで行こう。皆聞いていたな! 今日の試合はすべて俺が引き受ける! 今は傷を癒すのに専念してくれ!」


 俺がそう宣言すると、周囲から力ない歓声が上がる。皆、疲労とダメージが限界まで来ているのだろう。喜ぶ声すら上げられない様子だ。


「正気か二ノ瀬。今日この後何試合残ってると思ってる」


「安心しろクロノ。俺はクラトノスの騎士団相手に戦い続けられる。一対一なら問題はないさ。それに、俺の実力はほとんどバレてしまっている。ここで大立ち回りをすることで、不利になることはない」


 確かに、一日で数十試合するのは苦だ。しかし、実際領主の邸宅を襲撃する際などは、もっとハイペースで、もっと大人数を相手しなければならない。それを考えれば、一対一の試合を複数回行うなど容易いことである。


 それに、自分で言うのもなんだが、俺は闘技場の注目選手だ。その俺が連戦しようというのだから、闘技場奴隷VS闘技場奴隷の試合はキャンセルになるだろう。そんな温い試合、ギャラリーが満足しない。


「クラトノス、調整だのなんだのはそちらに任せる。俺は一足先に、闘技場に向かうとしよう」


「任せろ、私のナイト。今日の君は、何も考えず暴れるだけでいい」


 難しいことはすべてクラトノスに任せ、俺は闘技場への通路を歩く。本来ならば管理者のゴランドルが一緒でなければいけないのだが、クラトノス所有扱いの俺は、この施設をある程度自由に行動できるのだ。


 懐かしい場所だ。本当に最悪な雰囲気の漂う施設だが、俺の一年はここに詰まっている。


 本来ならば、こんなところで戦ってないで地球へ帰還する方法を探したかった。珊瑚に今すぐ会う方法を見つけ出したかった。


 だが、この一年がなければ俺は今この場に立てていない。クロノと初めて対峙したあの時、俺が生きることを諦めていたら、ほんのわずかな可能性すらも掴めなかったのだ。


 暗く狭い石造りの通路を抜ける。ここには、いくつもの出会いがあった。クロノやシアン、アカネ。騎士団長アーグロスターと出会ったのも、ここが初めてである。


「大嫌いな場所ではあるが、この世界じゃ、ここが俺の原点なんだ。今すぐ破壊したい。けど、この場所に助けられたこともまた事実ではあるんだ」


 通路を抜けると、この一年で見慣れてしまったフィールドが見える。


 ギャラリーよりも一段低く、騎士団の修練上よりも少し広い。ボロボロなのに修繕されていない、素足の俺にはまったく不親切な石造りの床。


 一年間、他のどの闘技場奴隷よりも多く足を付けたフィールドだ。他のどの選手よりも多く勝ち星を取ったフィールドだ。


『な! 観客の皆さま、見てください! 奴隷側の入場口から現れたのは、サビットではありません! 闘技場奴隷の大英雄。この舞台の華! ジャックです! これはいったいどういうことだ~!?』


 いつもの司会が俺を見つけ、大声で叫ぶ。拡声器などを使っている様子はない。

 そして彼の言葉に呼応し、ギャラリーは大いに盛り上がる。


 やはり、皆一方的な試合などではなく、胸の内から熱くなるような白熱した闘争をこそ期待しているのだ。その点、サビットは向いていない。


 サビットというのは、先ほど俺が代わってきた奴隷だ。彼は身長こそ高いが戦闘能力は低く、闘技場ではいつも負け役として消費されている。


『ここでプログラムの変更をお知らせします。なんと、この都市国家トーノが大領主家のご子息、クラトノス様がジャックを一日貸し出してくれるということです!! 本日は予定から大きく変わり、最強の奴隷ジャックによる、勝ち抜き戦をいたします!! 騎士団、衛兵の皆さまはお覚悟ください! 我が闘技場が生み出した奴隷ジャックは、一筋縄では行きません!!』


 司会もだいぶ面白い告知をしてくれる。観客は大盛り上がりだ。控室にいる選手も、きっと闘志を募らせていることだろう。


「久しぶりだなぁジャック。聞いたぜ、クラトノス様の騎士団長を倒したんだって? 俺にはみせてくれなかったが、お前の槍脚、手刀は本当に強いらしいな」


 これまた、懐かしい奴が初戦の相手だな。


 というか、サビットはこいつと戦う予定だったのか。俺が代わって正解だった。こんな奴と戦っては、サビットは消し炭にされてしまう。


「……都市国家タナタリの衛士、イグノ。久しぶりだな、元気にしていたか?」


「お前、やっぱり俺のこと知ってたんじゃねぇか。あの時のはホントに挑発だけだったんだな。……良いのか、この後には俺より強いような奴も控えてるぞ。勝ち抜きなんてやって、お前が死んだら誰がクラトノス様を守る?」


 俺が死んだら? 騎士団長アーグロスターに専属の席が動くだけだろう。いや、クラトノスは奴が嫌いだと言っていたな。なら……。


「安心しろ、俺は死なない。というか、一戦も負けるつもりはないさ。初戦でコケたらかっこ悪いからな。軽くのしてやる。かかってこい」


 騎士団や衛兵などは、奴隷に容赦することはない。特に、ここトーノの闘技場では、一年前まで殺人など日常的に行われていた。当然、奴隷が死ぬことで不利益を被る人間などいない。


 俺が出て行ったことでそれが崩れるというのなら、何度でも戦いに来よう。俺がこの国にいる限り、闘技場奴隷は一人も死なせないと示すのだ。


「本当に、お前は強い奴だ。奴隷なんてやっていないで、国の騎士や衛兵になる道も選べたはず。なぜそうしなかった」


「選べなかったさ、そんな道は。この国に漂流したあの日、俺は人間としての権利をすべて失った」


「……トーノの内部が腐ってるってのは、ホントだったわけか。困ってることがあったら、国内の人間よりタナタリを頼れ。ここよりは、マシなはずだ」


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