第二十二話 愛と欲望

 騎士団長アーグロスターとの決着がつくと、俺は主人であるクラトノスの自室に呼び出されていた。


 領主の息子とは思えない、とても簡素で狭い部屋である。小さな窓に、少し広いベッドがひとつ。執務用の机がひとつ。あとは本棚があるくらいで、趣味と言えるものは何もなかった。


 部屋の中には、いつもクラトノスからする花のような良い香りが漂っていた。何かの香水だろうか。とても落ち着くにおいだ。


 本来ならば今日は、アーグロスターとの決闘など無視してクロノとシアンに会いに行く予定だった。クラトノスにも、そのようにスケジュールを立ててもらっていたのだ。


 恐らくは、そのことについて話し合いをするのだろう。彼も領主の息子だ。暇ではない。スケジュールの狂いは、どこかで取り戻さなければ。


「いやぁ、見事な戦いぶりだったな、二ノ瀬君。私も少しドキドキしていたよ」


「……見ていたのか。自分の騎士団長が倒されるのは、複雑な心境だっただろう」


 まさか、あの場所にクラトノスがいたとは思わなかった。一段高いフィールドからも、彼の姿を確認することはできなかったのだ。


「いやいや。アーグロスターは君よりもさらに好戦的な男でな、私は少々、彼が苦手なんだ。ことあるごとに私の傍にいたがるし。正直スッキリしたよ」


 ふむ、確かにアーグロスターは好戦的な男だ。戦いや暴力を嫌うクラトノスとは、少し意見の合わない男ではあるだろうな。


 それに、彼は奴隷蔑視が過ぎる。今回だって、クラトノスが奴隷である俺を傍仕えにしていることにいちゃもんを付けてきた。


 当然ながら、クラトノスは奴隷蔑視をする人間は嫌いである。彼は真に、正義というものを貫いているのだ。


 男の俺から見ても、随分な色男だ。顔は整っているし、清潔感がある。金の髪は人々を魅了し、金の瞳は知性と力強さを感じさせた。素直に、格好のいい男だと言える。


「アーグロスターは、確かに騎士としては優秀な男だ。彼があれほど強いのも、その好戦的な性格ゆえに、実戦経験が積まれているからだ」


 騎士団長アーグロスターは、確かに生粋の騎士である。しかし時として、普通の騎士がやらないような戦い方もするのだ。


 彼は、異世界に来てたった一年の俺になど想像も付かないほどの戦場を潜り抜けてきた。それゆえに、彼の動きには騎士道と合理性の二つが混じり合っている。


 騎士として誇り高い戦い方をする一方、俺のようにみっともなく、それでいて合理性を突き詰めたような戦い方をするのだ。


 実際、奴は俺の片足走法を観察し、合理的だと判断した。訓練次第では、次は奴もアレを使ってくるかもしれない。


「しかし、やはり私はあの男が嫌いだな。傍に置いておくと、何とも落ち着かないのだ。私の自由を阻害してくる」


 クラトノスは、これでかなり自分の時間を大切にするタイプだ。趣味の話は聞いたことがないが、人と関わるよりも一人でいる方が好きらしい。


 専属護衛の騎士団というのは面倒くさいもので、就寝時間以外はほぼ常に隣にいるものらしい。クラトノスには、元々合っていないのだろう。


 その点、俺は違う。クラトノスが一緒にいてくれと言った時だけ、俺は彼の護衛をするのだ。屋敷内は騎士団が常にいるし、襲われることはまずありえない。


 外出するときはもちろん傍にいるが、極力彼が自由に行動できるよう、俺は気を遣っているのだ。アーグロスターには、それができないらしい。


 アレは、恐らくクラトノスのことを我が子か何かだと思っているのだろう。歳はそれほど大きく離れていないはずだが、どうにも過保護になっている。それでは、クラトノスに嫌われて当然であった。


「やはり、二ノ瀬君を買って正解だったよ。作戦を実行するのならばクロノ君を引き抜くべきかと思っていたけど、彼では、アーグロスターを専属の座から引きずり下ろすことは難しかっただろうね」


「そうだな。正直なところ、アーグロスター相手に普通の魔術師はかなり厳しい。クロノも天賦の才を持っているが、相性を考えれば、彼に勝つのは困難だろう」


 クロノは未だに、闘技場では本当の力を隠している。俺の出場回数が減った分、勝率を高めるため調整してはいるが、それでもまだ全力ではなかった。


 それは、クラトノスの作戦が失敗した場合の保険でもある。実力を誤認させておくことで、戦いにおいては有利になるのだ。


 しかし、たとえ彼が全力を出したとしても、アーグロスターには敵わないだろう。属性魔法を二種類扱えるクロノだが、四属性魔術師であるアーグロスターには勝てない。


「いやぁ本当に、君を引き抜いて正解だったよ。アカネ君には、感謝しないとね」


 クラトノスは椅子から立ち上がり、俺の顔をまじまじと見つめる。彼の髪からは、またあの香水のにおいが漂ってきた。


「……なあ、君はどうしてそんなに察しが悪いんだ? もう二週間一緒に生活しているというのに。自室に男性を入れたことなど、私は一度もないんだが。アーグロスターだって、この部屋に入ることは拒否していたんだ」


 彼は、いったい何を言っているのだろうか。これではまるで……。


 いや、俺は何を考えている!? 彼との仲が親密になった。ただそれだけのことだろう。きっと彼も、貴族生活で友達が少なかったから、距離感が分かっていないだけなんだ。


「……はぁ、私では奥方に敵わないか。ちょっと君、こちらに来たまえ」


 ボソッと何か呟いたあと、クラトノスは俺の手を引く。そしてそのまま、カーテンを締め切った窓際にある、少し広いベッドに座り込んだ。


「もしかして君は、このニ週間で気付かなかったのか? 一応、私としてはそれなりに積極的であったつもりなんだが」


「……さっきから、いったい何のことを言っているんだ」


 彼の言葉の意味が、まったくわからない。いや、彼が彼ではなかったら、この状況は理解できるのだが……。前提条件で何か間違っている。とてつもなく根本的な部分で、俺は何かを勘違いしているのか?


 クラトノスの顔を見ると、少々怒っている様子だった。彼が大声で一喝しているところは見たことがあるが、こんな静かに憤慨しているところは初めて見た。


「やはり、君の奥方は相当魅力的な人のようだね。私では足元にも及ばない」


「おいおい、珊瑚が魅力的な女性であることは認めるが、何か関係あるのか?」


 今日の彼は、何やら雰囲気がおかしいぞ。いつものまっすぐな目が、今日はどこを見ているのか分からない。俺の闘士としての勘が、何故か危険信号を鳴らしている。


 何か言おうとしたクラトノスだったが、妙案を思いついたとばかりに口を閉じた。


 言葉にするよりも見せる方が簡単だと、恐らくはそう考えたのだろう。


 なんと、彼はこの場でシャツを脱ぎ始めたのだ。その姿は、どうにも煽情的に映る。


「これを見れば、君でもわかるだろう。アカネ君の乳を凝視していた君だ。まさか、わからないとは言わせないぞ」


「な、何を!? アカネの乳を凝視など、そんなことはして……!?」


 驚愕した。そこにあるはずのないものが、彼にはあったのだ。いや、彼というか彼女というか。


 続けてクラトノスは、髪に手をやる。いったいどうやって収納していたのか、ウィッグを外すと、美しい金色の長髪が現れ出でた。


「なあ、二ノ瀬君。私と子をなすつもりはないか? もちろん、今はまだ奴隷との子どもを正式な子息と認めることはできないが、君は本当に優秀な男だ。その血を、途絶えさせえるわけにはいかない。きっと、この国に必要な子が生まれるはずだ」


 ……これは、クライスト相手にアカネと子をなす宣言をしたときの発言。クロノの優秀さを語ったものだったが、まさか俺に対するものであったとは。


 正直、めちゃめちゃ混乱している。まずクラトノスが女性であったということに、まだ納得がいっていない。それに、彼女が俺に想いを寄せているということも。


 しかし、納得はできなくても答えは出さなければならない。男として、不誠実なところを見せるわけにはいかないのだ。なあなあで済ませることは、断じて許されない。


「……以前にも言っただろう、俺にはもう意中の女性がいる。それを示す誓いの指輪は失くしてしまったが、想いは潰えていない。どんなに迫られようとも、俺は珊瑚以外の女性と関係を築くつもりはないぞ」


 はっきりと、自分の意志を示した。落ち着くのは、ひとまずこの状況を抜け出してからでも良いだろう。納得がいくまで悩めばいい。


「そう、か。本当なら奴隷に拒否権なんてないんだけどね、私は君を一人の男として見ている。だから、嫌だと言うのならば強制はしない。……ホント、君の奥方は幸せ者だよ」

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