第十九話 槍脚
次の日、俺は騎士団のいる修練場に来ていた。今日は珍しく、剣を打ち付ける音が聞こえてこない。
「逃げずに来るとは。貴様の素直なところは、俺も評価しているぞ」
「逃げるのはそちらでしょう。何せ、俺に一度負けているのですから。もちろん、今日も勝つ気しかないですよ」
そう、今日はこの騎士団長アーグロスターから申し込まれた決闘に応え、クラトノスの護衛をそっちのけで修練場に来たのだ。
珊瑚への祈りは、もう済ませてきた。今回も、彼女から熱いエールをもらえたと勝手に思っている。彼女にかっこ悪い姿は見せられないから、今日も勝とうと思えるんだ。
闘技場よりも一回り狭いフィールド。観客席は上ではなく、下だ。
騎士団というのは、常に人の上に立つもの。見下ろされて戦うことはない。
ここにいるのは、ほとんどが騎士団の連中である。全員俺に恨みのあるやつらだ。軽くのしてやったからな。骨があるのは、この騎士団長だけであった。
そしてゆえに、俺を応援する者など一人もいはしないのだ。完全にアウェー。勝てる自信はあるが、もう帰りたい。
……本当ならば、今日はクロノとシアンのところに行く予定だった。しかし、この男を無視することはできない。間違いなく、この騎士団で最強の男だ。
「……やはり貴様のことは嫌いだ、前言は撤回する。確かに敗北したことは覆しようがないが、それで実力を量り切った気になっているのは愚かに過ぎる」
この程度の挑発では激昂してくれないか。こういう手合いは、理性を破壊する方が手っ取り早いんだが。
今日は珍しく、全裸ではない。普段闘技場で戦うときは素っ裸だから、それだけで気分が良いな。
正直防具としては不十分だが、ごく一般的な服を着ている。長袖長ズボンがあるというだけで、転んだ時の怪我を気にしなくて良いのは最高だ。
ただし、足だけは素の状態だ。これまで厳しい部位鍛錬をしてきたのだから、それを活かさずしてどうする。
靴というのは時として武器にもなるが、俺にとっては衝撃を吸収してしまう、邪魔なものでしかない。攻撃手段としては、鍛錬を繰り返した素足の方がよほどマシだ。
そして、腰には剣を一本下げていた。これも騎士団が使うような出来の良いものではないが、やはり武器として信頼感はある。しかし、使うつもりは今のところない。
対して向こうは、騎士団の正式な防具を身に着けている。
頑丈な金属の胸当てに、太ももや腕をガードする防具など、軽装と言えどかなり整った装備だ。
当然のごとく、剣も腰に下げている。俺の剣など一撃で叩ききれる業物だ。騎士団長が持つに相応しいと言えるだろう。
さらに、隠れてはいるが太ももの内側にはナイフも装備していた。懐に潜られた場合、あれで切り付けてくるのだろう。
「本当に、そんな装備でいいんですか? もっと魔法系統の装備とか、色々あると思うんですけど」
「身体強化魔法以外に使えないお前に対して、魔法の装備をしても仕方がないだろう。それに、この剣は杖の効果も兼ねている。魔法攻撃力に関しては心配するな。お前を一撃で消し炭にできることを保証しよう」
そんなこと保証されても困るんだが。それに消し炭ってことは、炎系の魔法を増幅する効果だろう。俺に炎に対する完全耐性があること、奴が知らないはずはないが……。
しかし、装備の差は歴然だ。そもそも俺は、剣を使った戦い方の心得なんてない。どうしてもリーチで不利な拳を用いるしかないんだ。
「貴様こそ、普段のメリケンサックはどうした。以前アレで、うちの騎士団をボコボコにしてくれただろう。見せてくれよ」
「騎士団長殿相手に、メリケンサックは必要ないですよ。あんなのはただのおもちゃですから」
確かに以前、騎士団五名を相手に立ち回ったことがある。その時は、クラトノスが試しにとメリケンサックを貸してくれたのだ。
……結果的に言うと、あんなものは邪魔でしかない。身体強化で生み出した拳に、金属の塊など必要ないのだ。重量が変化して拳の速度に支障が出たほどである。
鍛え上げた身体強化魔法と肉体というのは、時に金属の武器をも凌駕するほどの性能を発揮するのだ。
「フン、何かしらの方法で拳を守らなければ、自慢のパンチもズタズタになってしまうぞ? 何せ、コイツとはリーチが違い過ぎる」
そう言って、騎士団長アーグロスターは剣を引き抜いた。その刀身は太陽の光を反射し金属特有の光を放つ。
……属性魔法を扱えない俺にはまったく分からないが、恐らくあの剣からは既に何らかの魔法が発生しているのだろう。研ぎ澄まされた五感が危険信号を発している。
「決闘のルールはわかっているな? 武具の使用は無制限。決着はどちらかが戦闘不能になるか、死亡するまで。または降参するまで。制限時間も無制限だ。金的や鳩尾と言った、人体の急所を突くことも禁じない」
殺してもいいし、相手の精神を破壊してもいい。奴隷相手の決闘というのは、大分フリーというか、大雑把なのだ。
逆に言えば、俺がこの場で騎士団長を殺し逃走しても、誰も糾弾することはできない。それが、奴隷と騎士との決闘というものなのだ。
「開始の合図だけ、俺がやるぞ。……では、始めッ!」
俺がまだ剣も抜いていないのに、アーグロスターは構わず仕掛けてきた。こういうことをしてくるから、騎士団など嫌いなんだ。連中に崇高な騎士道など存在しない。
「けど、勝ちにこだわる姿勢は好きだぜ!!」
走り込み上段から放たれた斬撃に対し、俺は右手を合わせる。
俺の頭を切断しようとしていた剣先。そこを側面から押したのだ。
叩くのではない。完全に手が密着してから、腰の回転を利用して剣先の軌道を捻じ曲げた。
右脚を前に、左脚を後ろに。右手で防御し左手で突くいつもの構えならば、ほんの少し軌道がズレたらもう当たらない。
普段ならばこのまま右拳で顔面を貫くところだが、あいにくと剣のリーチは長い。俺の拳が届く場所に、相手の急所が存在しなかった。
もちろん蹴りで無理やり撃ったり、前に出ている軸足を弾いたりはできるが、距離的に打撃が伝わりずらい。効率が悪いのだ。
こういう時は、深追いしないに限る。
俺は軌道を曲げた剣先に左拳で裏拳を放ち、その円周をさらに広げる。これで、元の位置に戻すのは時間がかかるだろう。
剣が身体の正面から消えたのなら、もう攻撃のチャンスだ。剣と腕のリーチ、つまり約2m離れていても撃てる蹴りが存在する。
開いていた左脚を右脚に寄せる。しかし、身体のラインが縦になっているために、これは相手目線からだと見えずらい。何せ、向こうは俺の拳を警戒しているのだから。
後は足を閉じた分開けば良いだけの話である。左脚のつま先を立てると、足の大きさ分さらにリーチを稼ぐことができる。
本当はかかとで貫くのが一番打撃力が高いのだが、今回は距離を意識してつま先を伸ばす。槍のように尖った右脚が、奴の無防備な腹を穿った。
「ホラな、さっき深追いしてヤンキーパンチ撃ってたら、肘鉄を喰らっていた。もう一段階踏んで正解でしたよ」
離脱してからアーグロスターを観察すると、右手が剣から離れていた。俺が蹴りを放つ可能性を考慮し、反撃できるようにしていたのだろう。
しかし、まさかこの距離から攻撃が飛んでくるとは思っていなかった。だから一瞬、反応が遅れたのだろう。剣の円周を広げたことも、右手が追いつかなかった要因のひとつである。
「知っていますか、騎士団長アーグロスター殿。闘技場をつま先立ちで一周歩けるようになると、足で人体を貫けるようになるんですよ。それも、身体強化の乗っていない素の状態で、です。さて、先程の一撃は如何ほどでしたでしょうか」
部位鍛錬を怠らなければ、人体は際限なく強靭になる。身体強化魔法があれば、鉄より硬い拳を作り出すことも可能だ。
「効いたよ、ジャック。貴様の脚は槍だと良く噂されているが、眉唾ではないらしい」
胸部装甲の少し下、へそ上あたりから血がだらりと垂れる。当然、打撃で皮膚が破れたのではない。俺のつま先が、奴の腹を穿ったのだ。文字通りである。
「やはり強いなジャック。以前よりもさらに勢いが増しているじゃないか」
「もちろんですよ。今はクラトノス様の護衛という、何にも代えがたい大切な命を受けているのですから」
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