第十八話 見る場所見る目

 あれからしばらく、アカネと他愛もない会話をした。


 もちろん作戦に関することもいくつか話をしたが、メインはやはり、彼女と会話すること。一番辛い思いをする役回りなのだから、せめてその精神の支えとなってやりたい。


 本当に、なんでもない話でいいんだ。普段どんなものを食べているのか、仕事のないときは何をしているのか、どんな部屋で過ごしているのか。


 堅物のイメージがあるらしい俺がやるとどうしても調査のようになってしまうが、そこはアカネがこちらの意図を察してくれた。変に構えず、愚痴でも吐くかのように語ってくれたのだ。


 結局、彼女に気を遣わせる形になってしまったが、向こうもリラックスできたようだ。今日初めて顔を合わせた時よりも、ずっと良い表情をしていた。


 ゆらりゆらり。それから俺たちは、夕方くらいまでクライストの邸宅を歩き、馬車に乗ってクラトノスの屋敷まで帰っていく。


 ここいらの道は石畳で舗装されており、馬車が通るのに打ってつけだ。平原を行くのとは違い、馬車が上下左右に揺れてしまうことも少ない。


「まさか、クライストが自ら家を案内してくれるとは思わなかったな。疑り深いあの男が、戦闘用の奴隷である君がいる前で、あんなサービスをしてくれるとは」


「ああ。貴族の屋敷なんて歩き回ったのは初めてだったが、実に面白かった。大きな家というのは、それだけで興奮するな。……特に、どの部屋にどの程度戦力が集まっているか確認するのは、とても心が踊ったよ」


 俺はクラトノスから目線を逸らし、まるで悪役だとでも言わんばかりに呟いた。


 そう、クライストが屋敷を案内してくれたのはあくまでもレクリエーションとしてだが、俺はその間にも、敵情視察を忘れてはいなかった。


 自慢げに家の大きさや歴史、誇りなどを語るクライストの言葉を一切無視し、いつか攻め込むかもしれないあの屋敷を、観察し続けていたのだ。


「まったく、二ノ瀬君は血の気が多くてならないな。もっとこう、穏便な方法を探そうとか思わないのか?」


 穏便な方法? 彼はいったい何を言っているのか。屋敷を歩くと言ったら、まず見るべきは騎士団の訓練状況だ。そして、壁などに立てかけてある槍や剣の類も見逃すべきではない。


「例えばそうだなぁ。応接室にあった大きな窓。壁一面を使ったアレは、相当な金額になったという。確かに彼の屋敷を襲撃することはあるかもしれないが、その程度の情報で充分上手くやれるんじゃないか? 君なら」


 なるほど。思い返してみると、彼は高級な品々を高らかに自慢していたな。そういった情報をうまく活用する、ということは……。


「屋敷を襲撃する際、敵の戦力ではなく財力を叩くことができる。財力が無ければ、貴族など所詮はただの人間だ。戦うことなどできなくなる。……つまりはそういうことだな?」


「うん、そうだね。私は昔から戦わずに勝つ方法だけを考えていたから、むしろ二ノ瀬君のような視点は持ち合わせていなかったよ」


 クラトノスは戦いが嫌いだ。この時代の人間にしては、それはもう異常なほどに。

 彼に何があったのかは、敢えて聞いていない。しかし、尋常ならざる何かがあったのだとは思う。


 彼は戦いを嫌いつつも、備えは怠っていない。当然、俺を購入したのもそうだ。それに、騎士団もかなり精鋭ができつつある。クロノやシアンでは、全員を相手しきれないだろう。


 もちろん、俺だって全員は無理だ。何より、騎士団長であり、クラトノスの専属護衛でもあったあの男。アレは強かった。一対一ならば負けないが、指揮をとらせれば無類の強さを発揮するタイプの男だ。


 それを従えるクラトノスは、俺の目にはただの非暴力主義者には映らないのだ。

 真に、彼は暴力を根絶する気なのだろう。時代が違えば、最高の指導者となったに違いない。


「おや、そんな話をしていたら、もうそろそろ屋敷に着くころだね。思っていた以上に、時間が掛かってしまった」


 彼のことについて考えていると、もうクラトノスの屋敷へ辿り着こうとしている。

 空は赤く、まだ始まったばかりの春は、ここから一息に気温を下げようとしていた。


 ふと視線を空から下へ向けると、あの忌々しい闘技場が飛び込んでくる。本当に、アレを見るだけでむかむかしてくるのだから、不思議なものだ。


 屋敷の手前に着くと、俺はすぐさま扉を開け馬車を降りる。

 ゆっくり下ろうとするクラトノスに、手を差し伸べた。


「……優しいね、ありがとう」


「この馬車は不親切なことに、扉は豪奢だが手すりがない。転んで怪我でもしたら大変だ。特に、その綺麗な顔とかはな」


 ホントに、意匠にこだわるのは良いが、もっとバリアフリーを意識して欲しい。


 何を見栄を張っているのか異様に車輪が大きいし、その分馬車の扉も高いのだ。階段も付いていないし、これでは飛び降りるしかない。乗るときも大変だ。


「私はこれから、父上に報告してくるよ。二ノ瀬君は修練場の方に顔を出してくれ。騎士団長が話があると言っていた」


「そうか。警備は誰か付けているのか?」


 憂鬱だ。あの闘技場が視界に映ってから、また胸がざわつき始めた。


 クライストの邸宅も確かに気分の悪い場所ではあった。しかし、アカネに会い話ができるということで、どうにか乗り越えることができたのだ。


 しかし、あの闘技場は不快感がぬぐえない。どうしてアレは、こんなにもクラトノスの屋敷から近い場所にあるのか。


 それに、騎士団長からの話というのもまた、憂鬱なものだ。どうせクラトノスのことで、何やら難癖を付けられるんだろう。クソッたれ。


 叶うのならば、このままクラトノスの父、クラリスの部屋まで護衛として着いて行きたい。


「ハハハ、大丈夫だよ。この屋敷の中は、クライストの屋敷よりも警護が多いんだ。屋内ならば、悪漢に襲われる心配もない」


 そうか、そうだよな。屋敷内は、一々護衛なんか付けてないもんな。

 いや、わかっていたさ。そんな口実でサボることはできないって。


 クラトノスと玄関で分かれ、俺はそのまま外を移動する。修練場へは屋内からも行けるが、屋外からの方がアクセスしやすいのだ。


 しかし、ここの騎士団は本当に勤勉だな。もう夕方も終わり夜に差し掛かろうというのに、まだ訓練をしている。


 一応、全体での訓練自体は終わっているのだ。だから、今は全員OFFの時間を使って自主練に励んでいる。


 ここの騎士団は、夕食の時間になっても剣の音が途絶えることはない。日中、外回りの時間が一番静かなくらいさ。


「よく来たなジャック。待っていたぞ。予定では4時ごろに戻ってくると言っていたが、何をそんなに時間を掛けていた」


 この声は……。


「騎士団長アーグロスター殿、こんばんは。実は、クライスト殿の屋敷を少し見て回っていたのですよ。クラトノス殿も興味を示されたので、こんなに時間が掛かってしまったんです」


 以前までクロノの作戦により、貴族相手には上からの態度を取っていた俺だが、この男にはそんな姿見せられない。もし彼を怒らせようものなら、俺は袋叩きにされてしまう。


 何故か。それは、彼が大の奴隷嫌いであるからだ。理不尽なことに、俺は望んで奴隷にされたわけでもないのに、奴は俺を排除しようとしている。


「フン、まあそんなことはどうでも良い。修練時間が延びて幸いした。……お前を呼び出したのは他でもない。もう一度、俺と決闘をしろ。奴隷風情に、クラトノス様の隣は相応しくない」


 ……しかも困ったことに、このアーグロスターはクラトノスのことが大好きなのだ。それはもう、恋していると言っても良いくらいに。


 その奴隷風情に実力で負けて、隣にいる権利を剥奪されたのは、いったいどこの何さんなのやら。


「……拒否権なんてない。分かっていますよ。ただし、俺に勝てるのなら、ですがね」


「そういうところが気に入らないのだ、ジャック」

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