第十七話 性奴隷の生活
なんとも言えない空気が、この部屋を支配している。
大きな窓から差し込む陽光も、それを受けて青々と勢いを付ける観葉植物の爽やかさも、今この場においては無意味だった。
クラトノスの発言が、あまりにも衝撃的だったのだ。
クライストはそれを受け入れた様子だったが、やはりまだ引っかかりが残っているのだろう。押し黙ってしまった。
「そういえば!!」
!? いきなり大声を出すな。何から話を切り出すのか、こっちはずっと考えていたんだぞ。助け船を出すべきかと。
しかしそんな心配も杞憂に終わった。
クラトノスは、この空気の一切を無視して話し始めたのだ。メンタルが据わりすぎてるだろ。
彼は、たまに天然のフリをする。そうした方が簡単に物事が進む場面もあると、理解しているのだ。そして、決してそのタイミングを間違えることがない。
本当の彼は、天然などでは断じてない。一言一言考えて紡いでいるタイプだ。
しかし、表面上の彼は実に軽く、人によっては簡単に言いくるめられるだろう。その勢いは凄まじい。
「このジャック君とアカネ君は同じ元闘技場奴隷ということでしたよね。きっと久し振りに会ったことでしょうし、少し対話させる時間も設けてはいかがですか? ……私たちも、二人の前ではできない話もありますし」
! これはチャンスだ。アカネと二人で話すことができれば、彼女の状態をより正確に知ることができる。きっと彼女は隠そうとするだろうが、それを見抜くのが俺の仕事だ。
クロノやシアンも、アカネの現状が気になっているだろう。彼らを安心させるためにも、俺は自分の役割をしっかり果たさなければならない。
……しかし、クラトノスが言っていた、俺たちの前ではできない話というものが気にかかる。この場にいるのは奴隷だけだ。その俺たちに、何を隠す必要があるというのか。
「……少々危険ではないか? そのジャックという奴隷が、俺のアカネに危害を加えないとは限らない。金属の鎖も着けていないんだろ?」
クライストがクラトノスを見る目が、少しきつくなっている。彼はあれで聡い男だ。クラトノスから、不審な何かを感じ取ったのだろう。
しかし、クラトノスは負けじとまっすぐ目線を合わせる。あの力強い目に合わせられては、さしものクライストもたじろいだ。
「大丈夫ですよ、こう見えてジャック君は温厚な性格です。それに、アカネ君の兄であるクロノという青年は、ジャック君の親友でもあります。その妹に手を出すことは、まずありえないでしょう」
……俺のことを、トカゲの飼育か何かのように言うのは止めてくれないか。温厚な性格って。まあそれは良いか。
一瞬クライストが引いたところに、クラトノスは畳みかけた。
なんとなく大丈夫そうな、本当に上辺だけで根拠も何もない言葉だが、彼から紡がれるそれは不思議と力がある。
「はぁ、わかった。クラトノスがそこまで言うのなら、信頼してみよう。本当は奴隷など信じてはいないが」
……まさか、あの疑り深いクライストに、俺とアカネを二人きりにするところまで認めさせるとは。恐るべしクラトノスの話術!
彼の会話は、確かにその言葉選びも巧みながら、やはり大部分は彼の視線や勢いに寄るところが大きい。
まっすぐ背筋を伸ばし相手に目を合わせ話す。時には下手に出つつも、天然を装って勢いを付ける。彼の真摯な態度とそのギャップが、相手を翻弄するのだ。
クライストの目を見る。彼は、もはやクラトノス以外視界になど入っていない様子だった。完全に、彼の術中に嵌っている。恐ろしい男だ。
「さあジャック君、アカネ君を連れて隣の部屋に行ってください。私は少し、クライストと話すことがありますから。30分くらいしたら戻ってきてくださいね」
クラトノスは一瞬だけ俺の方を振り返り、すぐにクライストへと向き直った。
恐らくは、アカネのことは俺に任せると、そういうことなのだろう。
俺はアカネの手を引いて、この部屋を出ていく。クライストの下卑た視線がアカネに刺さるのを確かに感じたが、今は指摘しない。アカネの方が重要なのだ。
隣の部屋も、先程の部屋と似た作りになっていた。扉の高級感は先程の部屋に劣るが、内装はほとんど同じである。
「さて、久し振りだなアカネ。元気に……はしてなさそうだが」
「ホントに来てくれた。ありがとう、二ノ瀬君!」
そう言って、アカネは俺に抱き着いてきた。正直、彼女の身体はかなり女性的というか、服装も相まって大分刺激的だからこっちもヤバいんだが。
しかし、ここで突き放すわけにはいかない。約2週間、アカネは奴の相手をしていたのだ。その苦痛を考えれば、抱きしめてやる程度なんということはない。
後ろに手をまわして近づけると、仄かに花のような香りが鼻腔を刺激した。
派手な衣装も、闘技場奴隷が着るような粗雑な素材では断じてない。
性奴隷として扱われている分、清潔にはしているようだ。闘技場にいたころよりも、病気などは起こしにくいだろう。
それに、実際肌で触れてみてわかった。やはり、食事の質が良い。
この国の男性は組み伏せやすい女性、すなわち痩せぎすの女性を好むが、だからと言って食事を減らすようなことはしていないようだ。これはクライストの判断か、はたまた衛生管理職の判断か。
「どうやら、身体的には闘技場にいたころよりも良い暮らしができているようだな」
じっくり30秒程度だろうか。長く抱きしめ合った後、俺から切り出した。
「そうだね。食事は毎日二回食べられるし、衣類も肌触りが良いよ。お風呂にも入れるし、石鹼だって使い放題なんだ」
……やはり、アカネは表面上元気なように振る舞う。俺を心配させないようにと思ってのことか、それとも彼女の性分なのか。俺には、後者のような気がする。
確かに、彼女は人を心配しすぎることがある。しかし、自分が本当に辛いとき、何よりもまず自分を守ることのできる女性だ。
自分の精神が壊れてしまわないよう、強気に振る舞う。自分が元気でいられるように、周りを元気にする。彼女が優しく微笑むのは、周りのためではなく自分のためだ。
……ならば。
「単刀直入に聞こう、あと2週間耐えられそうか? 無理だというのなら、助けてやれるだけの力が俺にはある。クラトノスには悪いが、アカネに替えられるほどではない」
ここはクラトノスを見習って、まっすぐ目を見て話した。俺が誠実に、真摯に話していることをアピールするのだ。
正直、今の彼女は煽情的に過ぎる。本当ならば、目線を逸らしてしまいたいくらいだ。しかし、それをしてしまうことは誠実さに欠ける。俺はそんな、薄情な男になどなりたくない。
「……ホントに、二ノ瀬君を指名してよかった。これがもしお兄ちゃんやシアン君だったら、私もうダメだったかもしれない」
俺はまっすぐに視線を合わせようとしているが、彼女は俺から目を逸らす。当然だろう、こんな姿は見られたくないに決まっている。
「私、今日二ノ瀬君に会えたから、もう少し頑張れるよ。それに、クラトノスさんも良い人だしね。私も皆の力になりたい! 誰も傷つかないで、奴隷を辞めたい!」
切実な叫びだ。これまでの人生、奴隷としての生き方以外に知らなかった少女の、心の内から漏れ出した叫びだ。
こんな小さな少女が、まだ戦えると言っているのだ。ならば、俺がそれを支えてやらないでどうする。俺が叶えてやらなくてどうする!
「そうか。頑張れ、とは言わない。ほどほどにな。これからは、もっと早いスパンで会いに来れるよう、何とかしてみるよ。アカネが帰ってきたら、すぐに奴隷解放運動を本格化する」
「うん、楽しみにしてる。正直クライストは最低のクズだけど、私には二ノ瀬君がいるもん。大丈夫だよ!」
……強がって。やはり彼女は、自分の本音を少ししか見せてはくれない。
「……ねえ、二ノ瀬君。今の私、綺麗かな? ……なんてね! クライストに無理やり着せられた衣装だもん。気に入ってないから!」
ああ。俺に珊瑚がいなかったら、きっと彼女を好きになっていただろう。こんなに健気で優しい少女を、どうして世の男性が放っておけようものか。
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