第十五話 奴隷専門家気取り

 闘技場の近くにあるクラトノス宅から馬車に乗り、少し南に進んだ場所にあるクライストの邸宅までやってきた。


 闘技場から離れると、何故だか俺の気持ちが楽になる。あの建物が目に入ると、どうしても胸が苦しくなるのだ。


 しかし、これからの予定を考えれば、この場所も同じくらい嫌悪する場所だ。


 とても大きな邸宅。馬車から降りて踏む土が、ここの主人に似合わず整えられているのが不気味であった。しかし、共に行くクラトノスは、特に何か感じている様子はない。


 ……シャキッと背筋を伸ばすと、隣を歩くクラトノスはやはり背が低い。俺の頭ひとつ分も違うのだ。良い飯食ってる貴族とは思えん。


 歩くスピードも、さほど早くはない。歩く姿も様になっているが、歩幅が狭いゆえに、俺が合わせると凄く神経を使う。


 ……なんだか懐かしいな。珊瑚も、俺よりずっと身長が低いのだ。彼女の隣を歩くときも、俺は気を遣って歩幅を狭めていたな。最初は、ずっと歩調が合わなくて苦労したものだ。


「どうしたんだい二ノ瀬君。そんなにジロジロ見られると歩きずらいんだが」


「あいや、妻を思い出してな。不思議な話だ。妻とクラトノスは全然似ていないのに、たまに彼女の面影を見てしまうんだ」


「ハハハ。なら、何も気にすることはない。私に奥方を重ねるというのなら、存分にすると良いさ。君の想いが潰えないことの方が大切なのだから」


 本当に、クラトノスは優しいな。こんな世界でも、彼のような良心がいてくれることが本当に嬉しい。


「まあ、それはまた後でな。君が扉を開けてくれ。私から中に入る」


 談笑しつつしばらく歩いていると、重厚な扉の部屋に突き当たった。

 木材に金属の意匠が施され、非情に高級感のある扉だ。


 グッと体重を掛けて開け、クラトノスを先に行かせる。それに続いて、俺も室内に入っていった。


 壁の一面が大きな窓で、部屋の中央には大きな机。対面のソファが二つある。部屋のスペースを圧迫しない程度の小ささの植物が、この部屋の雰囲気にさわやかさを与えていた。


 随分趣味のいい部屋だ。しかし、俺たちから見て反対側の椅子に座る男は、とてもこの清潔な部屋に相応しいとは思えなかった。


 典型的なビール腹。アジア人を思わせる平坦な顔は、異常なほどむくんでいた。


 ニキビや膿が生えまくり、とてもクラトノスと似通った環境で育ったとは思えないほど、彼の顔は清潔感の欠片もなかった。


 いや、確かにこの国、こういった男性は多いのだ。ある程度所得のある人間は、たいてい彼のような風貌をしている。しかし、クラトノスを見た後だと、どうしても彼の薄汚さが際立つのだ。


 そして極めつけは、彼が座るソファの後ろに控える三人の女性。


 皆一様に、腕や脚、そして腰が細く、それでいて胸と尻は大きい。いわゆる、この国の男性が好む女性像を体現したような三人だ。この国の男は、組み伏せやすい女性を好む。


 服装は胸や尻を強調するような、露出度の高いものだ。鉄製の首輪足枷手枷が、彼女たちが所有物であることを示していた。


 そしてその中には、良く目立つ赤毛を持った少女が一人。久し振りに会ったが、どうやら食事は摂れているらしいな。表情はともかく、顔色が良い。


 今は、恥ずかしさからか下を向いてしまっているが。まあ、そうだろうな。俺はもう闘技場で慣れてしまったが、一人の少女がこんな格好を見られて、恥ずかしがらないはずはない。


「やあクラトノス、待っていたぞ。さあ、そこに座ると良い」


「こちらこそ、楽しみにしていましたよ、クライスト」


 ……クラトノスは、クライストのことを呼び捨てにするのか。彼はいつも、俺たちには君付けだが。


 しかし、考えてみれば自然なことだ。確かに年齢はクライストの方が上だが、クラトノスは領主の実の息子であり、クライストはその従兄である。


 立場はクラトノスの方が上。むしろ、クライストがタメ口を利いている方がおかしいのだ。


「ん? クラトノス、その男は誰だ? お前の護衛には、騎士団の者が付いていたと思うんだが……」


「ええ、クライストは見覚えがありませんか? 我が都市国家トーノの闘技場において、最強の闘士ジャックですよ。私もこれから奴隷を扱うことになる予定ですから、その前にひとつ、使い勝手の良さそうなのを買ってみたのです」


 なるほど、俺はそういう立ち位置になるのか。アカネの前座に、俺を買ったことにすると。確かに、それならば不自然ではない。


「ハハハ! クラトノスも奴隷を欲しがるようになったか。……にしてもその男、騎士団を差し置いてこの場に連れてくるほど強いのか?」


「当然です。私の所有する騎士団と戦わせて見ましたが、相手にもなりませんでしたよ。騎士団は全員帯剣していたというのに、情けないことです。しかし、その力が今私の元にあるのですから、問題はありません」


 クラトノスは、少し過剰に表現している。確かに騎士団とは戦ったが、俺を追い込んだ奴も中にはいた。以前までクラトノスの専属護衛をしていた者だ。あれは、本当に強かった。クロノやシアンでは敵わないだろう。


「なるほど。よくそんな強い奴を、闘技場の管理者が寄こしてくれたな」


「大きい買い物でしたよ。ですが、金を叩けば簡単に頷いてくれました。それに、ジャックは今も時々闘技場に顔を出していますから」


 クラトノスとクライストは、交渉の前にしばらく世間話をするようだ。クラトノスは嫌そうにしているが、相手には関係のないことなのだろう。


 今のうちに、少しでもアカネの状態を確認しておこう。


 以前より食事の面では良くなっているが、では他の面ではどうなのか。特に、怪我などをしていないかよく確認するべきだろう。


「……ジャックとやら、俺の奴隷がそんなに気になるか? お前も男だからな。目が惹かれるであろう」


 俺がアカネに注意を向けていると、クライストが話しかけてきた。コイツ、クラトノスと話している間にも、俺のことを見ていたのか。俺になど興味がないと思っていた。


(何か気付いたことがあったら言ってくれて良いぞ。元々闘技場奴隷だ、素行の悪いものだと、向こうもそう認識している)


 返答に困っていると、クラトノスが小さな声で耳打ちしてきた。

 彼も彼で、アカネの状態を聞き出そうとしているのだろう。直接口では言ってくれないことも含めて。


「では……。そうですね、クライスト殿の奴隷は皆美しい方ばかりです。しかしひとつ、助言をさせてください。鉄の首輪、足枷、手錠は、人間にとっては毒です。彼女たちの肌も荒れてしまいますし、ここはひとつ、革製の枷にしてはいかがですか?」


 あまり知られていないことではあるが、金属には毒がある。特に鉄などは、長時間皮膚に触れていると、炎症を起こすことがあるのだ。


 事実、先日引き渡されたばかりのアカネの肌も、手首や足首など、一部炎症を起こしているのが見て取れた。アレは良くない。早々に対処させるべきだろう。


「ふむ、君はどうやら、奴隷は人間だと思っているタイプの奴だな? もちろん、手枷足枷を革製にする方が良いことは知っているとも。特に性奴隷はな。しかし、彼女たちは使い捨ての道具だ。なら、見栄えが悪くなったら捨てれば良いのさ。どうすそのうち替えるのだから」


 ……なるほど。ここまで穏やかに会話していたが、むしろこれが彼の恐ろしさか。本当に、人間を捨てることを何とも思っていないんだ。


 思わず、握る拳に力が入る。きっと、後ろに手を組んでいなければ、俺がキレかけているのも見抜かれてしまっていただろう。


「ではクラトノス、奴隷扱いの先輩である俺からもひとつ助言してやる。男の奴隷、それも戦闘ができるような奴隷には、必ず金属製の頑丈な鎖を付けろ。拘束は多いに越したことはない。そいつらは危険だからな」


 まっすぐな目線で、クライストは俺を睨みつける。この眼力だけは、一族共通か。間違ってはいるが、彼の中でひとつの筋が通っているのだろう。


「忠告ありがとうございます。しかし、私は暴力や強制を好みません。知っているでしょう、クライスト。彼を信頼していますから、私は彼に枷を付けることなどできませんし、その必要もありません」


 きっぱりと言い放ったクラトノスも、これまたまっすぐな目をしている。お互い、譲れないものがあるのだ。

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