第十三話 二面の生活
「二ノ瀬君、ここでの生活にはもう慣れたか?」
俺が一人鍛錬に励んでいると、不意にクラトノスが話しかけてきた。
金の髪に同色の瞳。相変わらず、今日も清潔さと力強さを感じさせる男だ。彼ほど芯の通ったまっすぐな男を、俺は他に知らない。
剣を持っておらず略装を纏っていると、本当に女子のようにしか見えない。
背筋に剣でも入っているかの如く整った姿勢だが、それでも身長がかなり低いのだ。
「慣れた、と言えばそうでしょう。けど、実際やっていることは今までとほとんど変わっていませんよ。闘技場にも参加しているし、皆ともかなり頻繁に交流している」
俺の生活は、居住地こそ激変したが、それ以外はほとんど何も変わらなかった。
鍛錬をする場所は、領主邸にある小さな中庭のひとつ。クラトノスが管理している場所だ。
今までの奴隷が全員敷き詰められた大広間とは違い、周囲を気にしなくていいのはとてもグッドである。
ときたま、クラトノスが対戦相手を連れてくることもあった。それは、彼の専属騎士であったり、または町でそこそこ有名な喧嘩屋であったり、様々だ。
中には、以前俺がボコボコにした衛兵もいた。あの時は大笑いしたな。
今までは、特訓の相手と言えばクロノとシアンしかいなかった。俺とまともに戦える奴など、闘技場奴隷にはその二人しかいなかったのだ。
今では、それももう厳しくなっている。俺は突出して強くなったのだ。
それが、ここでは簡単に解決した。衛兵をあっさり片付けてクラトノスに一言、もっと強い奴を連れてこい。それだけで、俺の訓練相手は日増しに強くなっていく。
もう、ここの衛兵などは相手にもならないほどだ。
しかし、誰も俺が暴挙に出て脱走するとは考えていない。
当然、一対一ならば絶対に負けないが、多勢に無勢では俺も限界が来る。それに、ここの連中は皆、クラトノスのカリスマを信用しているのだ。
それこそ、彼が暴力ではなく言葉を重要視する所以でもある。実際に彼は、力ではなくその話術と信頼関係だけで、ここの衛兵をまとめているのだ。
それは俺も感心するところではあるのだが、まあ、万人に通用するとは思えなかった。
寝る場所も大きく変わった。硬い石製の地面ではなく、柔らかな布になったのだ。それも、なんだかよくわからない綿のようなものが敷き詰められている。非情に寝心地が良い。
食事も、一日に二食食べたのは久し振りだった。ついに肉類も食べることができ、肉体の鍛錬に磨きがかかっている。
「ここの暮らしは最高ですよ、奴隷に比べれば。今も奴隷であることは変わらないですが、立ち位置的にはクラトノス様の守護、ということになるでしょう。以前よりも生活レベルが上がりましたから」
「……なあ、その敬語はやめにしないか。どうにも、不慣れな感じがしてならない。私は主人で君は奴隷だが、罪があるのは私たちの方だ。君は、もっと私たちに対して攻撃的に接していいんだぞ」
ふむ、自分で自覚はなかったが、俺の敬語は不自然か。多分、まだ俺の言語能力が浅いせいだろう。この世界に来て、わずか一年しか経っていないのだから。
「……なら、お言葉に甘えて口調を崩させてもらうよ。こっちの方が使いやすい。何より、俺は貴族に対しては高圧的にと決めていたんだ。それも、クロノの作戦だがな」
俺の役目はとにかく目立ち、貴族に注目され、それでいて誰からも捨てられないこと。
わざと貴族を挑発しつつも、それに見合った成果を出す。
今や、俺を観に闘技場を訪れるギャラリーもいるほど、俺は注目のファイターになっていた。
その俺をあっさり切れる奴など、そうそういない。事実、クラトノスの奴隷になって以降も、俺は闘技場に顔を出し対戦者をボコしている。
そのための作戦が、貴族への不遜な態度。誰もが俺を嫌がるが、それでいて手放すことができない。そんな状況を作り上げるのが、俺の役回りだ。
……しかしはて、思い返してみれば、俺はクラトノスに出会ったその時から敬語で喋っていなかったか。無意識に、彼へ敬語を使ってしまっていたのか。
いや、それこそが彼のカリスマなのだ。その瞳が、その口調が、その声音が、気品に溢れていて、どうにも自分より上の存在だという感覚が残る。そしてまた、彼の態度は他人を従えさせるのだ。
意識して貴族に反抗的態度を取ろうとしていた俺ですら、彼の風格に押され無意識のうちにへりくだってしまっていた。恐るべきカリスマ性である。
「そうか、君たちはそんな根本的な部分まで考えて、脱出作戦を決行しようとしていたんだな。それを一時中断させてしまって、本当に申し訳ないと思っている」
クラトノスは正義感の強い男だ。特にアカネの一件以降、奴隷に対する扱いに関して異議申し立て続けている。
そんな彼は、当然俺たちの奴隷解放作戦についても寛容的だ。武力による作戦決行は認めてくれないが、それでも、根底にある思想は理解してくれている。
貴族たちが皆、彼のように誠実で真面目であれば良いのにと、何度思ったことか。
「良いのさ、俺たちよりもアカネの方が心配だ。……いや、正直、彼女よりもクロノの方が俺は心配だな。アイツは、あれで純粋な男だ」
「クロノか、妹想いの良い青年だ。ゆえに、クライストの強行を抑え込めなかったことを申し訳なく思う。シアンも激怒していたが、クロノのそれは一際強かった。恨み、とでも言うべきだろうな」
クロノは意外と根に持つタイプだ。それも、アカネのこととなると特にな。
彼には全て説明したが、理解していない可能性もある。クライストがアカネに何をしたのかその目で見たとき、果たして彼が平静を保てるのか。
「まあ、それは俺の担当だ。俺をクラトノスとクロノたちの間に配置したのは、そのためだろう? 彼らの精神を保ちつつ、こっちの作戦まで時間を稼ぐ」
「その通りだ。アカネ君には本当に悪いと思っているが、あと一ヶ月耐えれば、彼女は助かる。もちろん、これからは私が彼女の世話をしよう。親戚の愚行は、私が払拭せねばならない」
本当に、クラトノスはできた男だ。本来、彼がそこまでする必要などなにもない。彼には関係のない話なのだから。
それを、親戚の愚行も許せないほどの正義感でもって、間に入って来た。そして、もうこの問題を解決しようというのだ。
ただ間に入って来ただけならお節介な貴族のボンボンだが、実際にそれを解決できるのならば話は別だ。彼には実行力も、権限も、そして情報力も、その他全ての力が備わっている。正義感に全身鎧を着せたような男だ。
「心配すべきはアカネの精神と、クロノ・シアンの暴走だな。クライストとは頻繁に会っているのだろう? その時にはアカネも連れてくる。なら、アカネの状態はそこで確認しよう。俺ももちろん同行するぞ」
女性にとって処女であるとか、身が清廉潔白であることがどれほどの重要事項か、俺には分からない。しかし、彼女の感情の起伏を読み取るのは自信があるのだ。一年も一緒にいたのだから。
彼女はあれでキャラを作っているタイプだ。自分の感情を表に出さず、作り出したアカネという像を映し出しているだけ。
しかし、その中でもわずかに、彼女の感情があるのだ。それを読み取るのも、俺の仕事である。
「……二ノ瀬君、私が一番心配しているのは、アカネ君でも、クロノ君やシアン君でもない。君自身だ。君の話は何度も聞いたが、ここにいる誰よりも、そう、誰よりも君が一番、精神的に参っているんじゃないか。奥方のことで」
「……俺の、精神か。確かに、参っていると言えばそうなんだろうな。珊瑚のことを頭に思い浮かべると、急にアカネやクロノが何を言っているのか理解できなくなるんだ。俺は、こんなところにいる人間ではないと、そう思ってしまうんだろうな」
「二ノ瀬君……」
異世界での生活に、慣れてきたと思っていた。しかし、今でも珊瑚のことを思うと、自分の存在が分からなくなる。俺は今、何処にいるのかと。まだ、夢でも見ているんじゃないかと。
珊瑚に会いたい。声が聴きたい。また彼女と話をして、笑い合いたい。彼女との平穏な日常を取り戻したい。しかし、どうすればいいのか分からない……。
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