第十二話 非暴力運動
なんだ、コイツは。どうして俺の名前を知っている。ここの連中は、全員俺のことを『ジャック』と呼ぶ。本当の名前など、誰も知らないはずだ。
いや、そんなことより気になるのは、彼の口から飛び出した言葉か。
「罪……? それはいったい、何のことだ」
クロノが意外そうな声を上げる。彼に留まらず、声は出さぬとも皆意外という雰囲気を漂わせていた。まるで、彼の言っていることが何も理解できないといった風に。
「ふむ、説明しなければ分からないか。想像は付いているだろうが、昨日の夜、私の父クラリスはここの管理者と共に、アカネ君の処女を奪った。それは許されざる行いだ。私は断じて、この二人を許しはしない」
きっぱりまっすぐ言い放ったクラトノスに、周囲の皆は動揺を隠せない様子だった。
彼の言葉を、素直に飲み込むことができないのだろう。そのくらい、奴隷たちにとって、貴族が自身の汚点を認めるというのはありえないことなのだ。
しかし、彼はどうやら物事をまっすぐ言い過ぎる性質のようだな。ボカすということを知らない。どこまでもまっすぐな青年だ。
それは美点ではあるのだが、時と場合を選ぶ。
見てみろ。アカネの顔が、その髪と同じくらい真っ赤に染まっている。当然だ。大衆の前で、こんな辱めを受けたのだから。
しかし、彼の言葉がもたらす影響は大きかった。変に回りくどく言うよりも、奴隷たちの心にはまっすぐ刺さっている。単に安易だと非難することはできない。
「……それはつまり、アンタが俺たちに協力してくれるって話か? アカネが傷つかず、それでいてここにいる全員が満足な食事ができる。それが実現できるのか?」
「もちろんだとも。私は今日、その話し合いがしたくてここまで来たのだ。父の愚行を清算するためにも、私は君たちに協力しよう」
なんとありがたいことだ。領主の息子が直々に協力を申し出てくれるとは。
彼ならば、アカネを傍においても手は出さないだろう。あれほど紳士な男性は珍しい。
「そいつは最高ですね、次期領主殿。なら、剣と盾をください。そいつで、ここにいる衛兵を皆殺しにする。ついでに管理者と、現領主もだ。罪を償うというのなら、そのくらいしてくれないと」
「……君は確か、シアン君と言ったね。確かに、私の権力を使えば武具の類をこの場に持ち込むことは可能だ。しかし、私は戦いを好まない。断じて、暴力で解決してはならないのだ。暴力の先には、支配と搾取以外に残っていない。君たちは、自分たちが受けた地獄の日々を、他人に強制するつもりか」
シアンの要求はもっともだ。協力するというのなら、まずは武器を寄こしてくれ。俺たちの作戦はそこから始まる。
しかして、クラトノスはそれを良しとしなかった。彼は本当にどこまでもまっすぐな男で、逆にこの時代では、王の器を持ち合わせていない男だ。
力とは、人を従え導く、最も原始的な動力である。そしてそれは、上辺だけの言葉や信頼などよりもずっと安定している。
何時の時代も、王の言葉には力が伴っていなければならないのだ。
地球だってそうである。どれだけ議論を持ちかけようとも、強国が一度『戦争』の一言を呟けばそれで崩壊する。どの国も、強国の『親切心』に生かされているだけなのだ。
それを、クラトノスは理解していない。彼は、真に言葉だけで人を従え、導くことができると思っているのだろう。カリスマ、という奴を神聖視している。
そんなものが通用するのは、個人や少人数の集団の中だけだ。それこそ、親切心が発生しやすい身近な現場にのみ通用する。そうでなければ、力のない者に誰も寄り付かない。
「クラトノス様の考えは素晴らしい。暴力のない世界というのは、ここにいる誰もが望むものでしょう。しかし、それが実現できるとは思えません。であれば、武器を取るべきでしょう。俺たちはそのために今まで戦ってきたんだ」
「二ノ瀬君。どうしてそんな簡単に、平和を諦められるんだ。始める前から諦めていては、実現できるはずないだろう。皆がいっせいに始めなければ、叶うはずはないだろう。私は、どんなに時間が掛かろうとも、平和を追い求めることを辞めるつもりはない」
まっすぐ俺を見つめる金の瞳は、やはり力強い。彼の心は、もう外側から動かすことなどできないのだろう。彼の心は、彼の内にしか存在しないのだ。
「なら聞かせてもらおうか。クラトノスはどんな方法でこの状況を打開する?」
彼に負けじと、クロノが聞き返す。何せ、妹の人生が掛かっているのだ。クロノは下手な道を選べないし、間違っても相手を信じすぎることはない。
「……最初に謝らせてもらおう、私の力不足だった。父の甥、クライストが彼女を買い取ることが決定してしまっている。私も猛反発したが、覆らなかった」
クラトノスの口から飛び出した衝撃の告白に、皆は騒然となる。誰も、声を上げることなどできなかった。
都市国家トーノの領主クラリスの甥クライスト。それは、清潔で純粋なクラトノスとはまったく真逆の、汚泥にまみれたような男だ。
彼からは、悪い噂しか聞かない。
クラトノスが『従兄』ではなく『父の甥』などという回りくどい表現をしているのも、ひとえに彼のことを良く思っていないからだろう。親類だという意識がない。
闘技場に観戦に来るときも、必ず3人以上の女性を侍らせている。正妻もいるのだろうが、ほとんどは性奴隷だ。試合中におっぱじめるもんだから、こちらとしてはたまったものではない。何せ試合中の俺は全裸なのだ。
それに、クライストは鬼畜な趣味を持った男だ。飽きた女はすぐに壊してしまう。別のところに売るなどならばまだマシだが、精神か心臓のどちらかが壊れてしまうのだ。
そんな男の元へアカネを連れていくなど、言語道断である。
「ふざけるな! やっぱりアカネちゃんはここにいるべきだ。今すぐ武器を持ってこい。クライストがこの場に来たのなら、その場で僕が切り伏せてやる!」
「ならん、ならんならん! 絶対に、そんなことをしてはダメだ。それでは、クライストの家が動いてこの場にいる全員を処刑しに来る。戦ってはならないのだ!」
シアンの激怒は当然のことだ。彼が怒っていなければ、俺が代わりに怒っていたところである。それほどまでに、クライストという男はダメなのだ。人間として終わっている。
「安心しろ、とは言えないが、一か月後にはアカネ君を私のところに渡してくれる交渉は付いている。私のところに来れば、ひとまずアカネ君は安心だ」
「本当にそうか? 一連の話を聞いていて、俺はやはり不安になったぞ。お前も所詮は貴族。それも、アカネを襲った領主の息子だ。同じことをしない保証が、いったい何処にある。貴族なら、隠蔽工作くらいできるんだろう?」
どうやら、クロノはそもそものクラトノスの人格も疑い始めているようだ。
俺の目には清潔な好青年にしか映らないが、長いこと奴隷をやってきて貴族への恨みが募った彼には、やはり引っかかるところがあるのだろう。
「その点も考慮している。どのみち、今日この場で私が一人も奴隷を買わないというのは不自然だ。だから、この中でそれなりに腕が立ち、なおかつ君たちの信頼できる者を指名して欲しい。代表は……クロノ君。君だったな。私はその人物を、こちらの情報担当として買おうと思っている。私を信頼するかは、その人物を通して判断してくれ」
……まあ、当然だろうな。大男……ゴランドルにああ言った手前、誰も買わずに帰るというのはおかしい。それに、家の連中にも話を付けてきているだろう。奴隷というのは高い買い物だからな。
「二ノ瀬! 二ノ瀬君にして!」
クロノが渋っていると、アカネがそう言った。それまで沈黙していた少女に、皆があっけにとられる。
「クロノ。そう言えば俺たちは、彼女の意志を何も聞いてはいなかった。クライストに買われるのも、クラトノスに引き取られるのも、全て彼女の意志ではない。なら、その過程に少しでも彼女の意志を組み込んでやらなければ、いったい誰のための戦いなのだ!」
「……わかったよ。悪かったなアカネ。お前のことを考えているつもりが、結局俺たちは例の作戦のことばかりに気を取られていたようだ。……クラトノス、俺は二ノ瀬を指名する。そいつはここにいる誰よりも腕の立つ男だ。持っていくと良い!」
「ふ、ふざけんな! 二ノ瀬がいなくなったら、これから闘技場はどうすんだ!」
「結局そっちの都合で俺たちが被害を受けるんじゃないか!」
「今のままでも充分じゃないか! どうして問題を起こそうとするんだ!」
クロノの宣言に、周囲からは再び罵声が浴びせられる。最近、本当にこんなことが多い。闘技場奴隷たちの間にも、亀裂ができ始めていた。
「やかましい! 一人の少女が、これから皆のため戦いに赴くのだ。それを、なんだその言いぐさは! 貴様らそれでも闘技場奴隷か! 戦いの中で生きてきた貴様らが、何故戦いの苦しさを理解しない! その中に、ひとつの希望も持たせてやれない!」
クラトノスの純粋な言葉は、非難を浴びせていた周囲に深々と突き刺さる。
そうだ。この場にいる誰よりも、アカネが一番辛い思いをするのだ。その彼女に、せめて何かしてやろうと、そう思えなければ人間失格であろう。
その日から俺は、闘技場奴隷改め領主子息の専属奴隷となった。ついに国有ではなく、私有のものとなったのだ。
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